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2008_XEROX・・まさに「サッカー的なドラマ」ではありました・・(鹿島vs広島、2-2、広島のPK勝ち)・・(2008年3月1日、土曜日)

「ホントにつまらないゲームだよね・・二人も退場させちゃうんだから・・もっとサッカーの内容を考えて余裕を持ったレフェリングをやらなきゃ・・」

 ハーフタイムに、尊敬する重鎮ジャーナリストの方からそんな声を掛けられました。そのとき、とっさに、ある試合のことがアタマを駆けめぐったのです。1990年イタリアワールドカップでのドイツ対オランダ戦。

 皆さんもご存じの通り、その試合は、ルディー・フェラー(後のドイツ代表監督)とフランク・ライカールト(彼もオランダ代表監督を務めた・・現在はバルセロナ監督)がケンカ両成敗ということで退場させられ、それ以降は「10対10」のゲームになりました。観ている方は、スターが退場になってガッカリしたのですが、実際のゲーム内容は、高質なものへと変容していったのです。

 それは、グラウンド上の人数が減ったことで中盤スペースが広がったからに他なりません。そのゲームは、(ドイツ左サイドバックの)ブレーメが目の覚めるようなシュートを決めてドイツが勝利をおさめました(この退場劇では、攻守にわたる中盤のコアであるライカールトを失ったオランダの方が確実に不利だった!)。

 その後、FIFAのテクニカル委員会が、「サッカーを10人でプレーするようにルール変更したらどうだろうか」なんていうアイデアを出したとか・・。中盤や最終ラインでの守備プレッシャーが厳しくなっていることで、才能のある選手たちが、美しいプレーを展開できなくなっているし、サッカー全体の「クリエイティビティー(創造性)」も低下の一途をたどっているから、ここは一つ・・ってな発想だったということらしい。さもありなん。そのテクニカル委員会の(当時の)メンバーには、ベッケンバウアー、プラティニなど「往年の天才たち」が名を連ねていたんだから・・。

 ハーフタイムに老練ジャーナリストの方に声を掛けられたとき、そんなことまで思い出していたのですよ。そして口をついた。「でも・・さん、ご存じのように、1990年ワールドカップのドイツ対オランダ戦じゃ、人数が少なくなったことで、ゲームがものすごくエキサイティングに高揚していったじゃないですか・・あんなコトがあったら、そんな仕掛け合いのゲーム展開になることが自然な流れだと思うのですよ・・でもこの試合じゃ・・レフェリーのジャッジは仕方ないとして、中盤にスペースが生まれたにもかかわらず、両チームともリスクを冒していかないんだから何をか言わんやですよ・・」

 その視点じゃ、ホントにガッカリさせられた。たしかに一発勝負だから、「守備のバランス」に気を遣う闘いをやらなければならないのは分かるけれどね。ハーフタイムの監督コメントでも、両チームともに「バランス」という言葉が強調されていたっけ。

 それでも、チャンスを活用しないというのでは、プロサッカーのエンターテイナーとして十分に価値を提供しているとは言えない。要は、ボールがないところでのプレーの量と質を上げることで、もっともっと「スペース」を活用していかなければならなかったのに、結局彼らは(両チームともに)絶対にチャンスになるような場面でしか「リスクを冒そうとしなかった」ということです。

 それじゃ、生活者の皆さんに「また観たい!」と思わせるようなエンターテイメント価値を提供できるはずがない(これは、現日本代表コーチ大木武さんがよく使っていた表現・・たしかに甲府のサッカーは常軌を逸するくらいエキサイティングだった!)。

 さて、ここで出てくるテーマが、またまた「バランス感覚」ということになるわけです。リスクチャレンジあふれる魅力的なサッカー(美しさ)と勝負強さという、ある意味で相反するテーマ。難しいね・・。とにかく日本では、「バランス」という表現は、ものすごくデリケートに使わなければならないのですよ。ちょっとでも・・。まあ、この(リスクチャレンジという)テーマについては、日本代表(岡田ジャパン)について先日発表した「このコラム」を参照してください。

 注釈:そのコラムで、個人主義的な発想と集団主義的な発想の背景ファクターとして便宜的に使った「狩猟民族と農耕民族」という表現だけれど、それ以外にも、島国という地政学的な意味合いや宗教的な意味合いももあるだろうね。とにかく欧米の人々が、比較的「移動する(領土を広げようとする!?)」傾向が強いことはあると思います(移動の哲学的意味合いは?)。そこらあたりのテーマを、もっと深く探求したいな〜〜と思っている今日この頃です。

 とにかくアントラーズは、今シーズンも、抜群の「勝負強さ」を発揮するに違いありません。この試合でも、まさに「ACミラン」という素晴らしくバランスした「強い」サッカーを魅せつづけましたよ。

 最後の最後まで前後左右のバランス(ポジショニングと人数のバランス)を崩さずに「全体的に押し上げ」、最後の瞬間に、何人もの選手がボールがないところでのアクションをスタートするだけではなく、危険なドリブル勝負やコンビネーションを繰り出してチャンスを作り出してしまう(何らかのフィニッシュまで行くことで、相手のカウンターを喰らうリスクを抑制できている!)。要は、「ココゾの勝負所」をしっかりと意識した、静と動のメリハリが効いたバランスサッカー・・っちゅうことです。

 まあ「それ」はアントラーズの伝統だし、そんなやり方ももちろん「アリ」。そんなチーム戦術的な捉え方を前提に次のゲームを予測するのも一興なのですよ。

 それにしても、あれほどゲームを支配し、完璧な勝ちゲームにしていたアントラーズがサンフレッチェに同点に追い付かれた「現象」は興味深かった。

 それについて(オリヴェイラ監督に)質問したのですが、その質問の「締めのところ」でミスをしてしまった。「たしかに、こんなことはサッカーでは日常茶飯事だけれど、このようなサッカー的な現象が、サッカーの戦術にどのような影響を及ぼすと思いますか?」と質問すべきところ、「こんなサッカー的な現象について、オリヴェイラ監督からは面白いコメントが聞けると思うのですが・・」なんていう質問の締めにしてしまったのですよ。フ〜〜・・

 案の定、オリヴェイラ監督から、「そうそう、アンタが言うように、あれはホントにサッカー的な現象だったよね・・」で済まされてしまった。それもウインク付きでね。フ〜〜・・

 ホントは・・あのようなサッカー的なドンデン返しがあるからこそ、監督は(必要以上に)注意深くなってしまうのでは!?・・だからこそ、自身のバランス感覚が、詰まらない「勝負寄り」へ引っ張られがちになってしまうのでは!?・・だからこそ、監督のウデの意味合いのなかに「勇気」という心理パワーも含まれてくるのでは!?・・等々というテーマも内包されていたわけなのです。

 さて「J」がスタートする。

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 ということで・・しつこくて申し訳ありませんが、拙著『日本人はなぜシュートを打たないのか?(アスキー新書)』の告知もつづけさせてください。その基本コンセプトは、サッカーを語り合うための基盤整備・・。

 基本的には、サッカー経験のない(でも、ちょっとは興味のある)一般生活者やビジネスマン(レディー)の方々をターゲットに久しぶりに書き下ろした、ちょっと自信の新作です。わたしが開発したキーワードの「まとめ直し」というのが基本コンセプトですが、書き進めながら、やはりサッカーほど、実生活を投影するスポーツは他にはないと再認識していた次第。だからこそ、サッカーは21世紀社会のイメージリーダー・・。

 いま「五刷り」まできているのですが、この本については「こちら」を参照してください。また、スポナビでも「こんな感じ」で拙著を紹介していただきました。

 蛇足ですが、これまでに朝日新聞や日本経済新聞(書評を書いてくれた二宮清純さんが昨年のベスト3に選んでくれました)、東京新聞や様々な雑誌の書評で取り上げられました。NHKラジオの「著者に聞く」という番組で紹介されたり、スポナビ宇都宮徹壱さんのインタビュー記事もありました。また最近「こんな」元気が出る書評が出たり、音声を聞くことができる「ブックナビ」でも紹介されたりしました。

 




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