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2008_ドイツ報告、その6・・ドイツが内包するサッカー文化の「広さと深さ」をかいま見る・・(2008年8月1日、金曜日)

どうも皆さん、今日は(退屈な!?)国際会議の話題ではなく、ちょっと視点を変え、ドイツのサッカー文化を支えるアマチュアクラブの活動を紹介します。ドイツでは、サッカー文化が、日常の生活に広く、そして深く浸透しているのです。

 「もちろん選手はホビーキッカーさ。でも、サッカーが好きで好きでたまらない連中なんだよ。ヤツらは、いくらアマチュアとはいっても、この地区を代表するクラブでプレーすることに誇りを持っているんだ。もちろん周りの人たちも大いに興味を持ってくれているし、しっかりとバックアップしてくれている。6部リーグとはいっても、毎シーズン、上位リーグに昇格できるかどうかが巷の話題に上ったりするんだ。そんな環境が、選手のマインドをしっかりと支えているということだよな」

 監督のマティアス・ブリュッケンが目を輝かせて語りつづけます。それこそ、ドイツが、長い歴史に支えられた本物のフットボールネーションであることの確かな証ということだろうね。

 監督のマティアス・ブリュッケンは、私と同じプロライセンス(Fuァball-Lehrer-Lizenz)を持っています。知り合ったのは、今年の国際会議。ヴィースバーデンのサッカースタジアムで行われたトレーニングのデモンストレーションで、たまたま隣に座ったのが彼だったというわけです。

 何故だか分からないけれど、互いに「ドウモ・・」と笑みを交わしたとき、自然とこんな言葉が口をついた。「ホントに素晴らしいよ・・コーチ会議に、メディアも含めてこれほど多くの人たちが集うんだからな・・日本じゃ考えられない・・まあそれも、本物のサッカー文化の為せるワザってなことなんだろうな・・」

 「えっ? もう日本にだってサッカー文化が深く浸透しているんだろ。ドイツでも、日本サッカーに対する評価はどんどん上がっているんだぜ。器用だし、よく走るし、何といってもチームワークに対するマインドが素晴らしいよな・・」

 「まあ確かに日本サッカーも発展してはきているよ。でも、何といっても歴史が浅いこともあって、まだまだ一般に、サッカーの深みが理解されているというわけじゃないんだ。こんなシンプルな形式のボールゲームは他にはないよな。だから限りなく自由だ。だから常に主体的に考え、積極的に行動していかなければサッカーにならない。そんな姿勢というか、自分の人生を主体的に切り開いていく基本的な態度をトレーニングしてくれるスポーツなんて他にはないよな。ドイツじゃ、言葉で表現できなくても、人々は感覚的にそのことを理解している。でも日本じゃ、まだまだそんなサッカーの深みに対する理解が進んでいないんだよ」

 ちょっと、しゃべり過ぎた。マティアスが、黙って私を見つめている。「いや・・ちょっと、喋りすぎた・・もちろん日本にも、そんなサッカーの深みを理解して啓蒙しようとしている組織や人々もいるしネ・・」

 「そういうことについて深く考えることは希だよな・・おれ達にとっては、まさに当たり前のことだからな・・」と、マティアス。

 そうそう、それが(自由というサッカーの本当の価値に対する感覚的な理解!?)当たり前ということこそが、広く、そして深く浸透したサッカー文化の「本物度」の証明ということなんでしょうね。

 ということで、デモンストレーションを観ながら彼と話し込んでしまった。いや、彼との話はホントに面白い。知識とインテリジェンス、それに人を惹き付けるパーソナリティー。プロコーチライセンスを持っているとはいえ、6部リーグの監督だぜ・・。そんな「コト」にこそ、サッカー文化というつかみ所のない「社会的な現象」の本質が隠されているのかもしれない。

 「今度オマエのチームのトレーニングを観に行きたいんだけれど・・そうか、木曜日の夜にトレーニングがあるのか・・よし、万障繰り合わせて絶対に行くよ・・いいよな?オレが観に行っても・・」「もちろんだよ・・歓迎するぜ!」

 ということでトントン拍子に、マティアスとの関係が深まっていったのです。人類史上最高のパワーを秘める「異文化接点」であるサッカーの面目躍如・・。

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 マティアス・ブリュッケンは、元プロ選手です。バイヤー・レーバークーゼンがまだ三部だったころに(1973/74シーズン)デビューし、彼が「得点王」に輝くと同時に、レーバークーゼンが二部に昇格した。そこでマティアスに目をつけた「1.FCケルン」がオファーを出し、1974年から1976年までケルンでプレーしたのです。

 その後、当時ケルン監督だった、ドイツサッカー史に残るスーパーコーチ、故ヘネス・ヴァイスヴァイラーが、ベルギーからファン・ゴール、日本から奥寺康彦という二人のストライカーを引き抜いてきたことで、マティアスは、押し出されるようにレーバークーゼンへ戻り、1982年までプロとしてプレーしたということです。

 オク(奥寺康彦)は、彼のことを覚えているだろうか? どなたか、このコラムを読んだ方は、奥寺に、「湯浅が、アナタが押し出したマティアス・ブリュッケンというストライカーを覚えているか・・」と聞いていますよと問いかけてくれませんか? あははっ・・

 マティアスは、プロとしてプレーしながら、同時に大学で「経営学」も学んだ異色のプロ選手。キャリアの最終段階に差しかかっていた当時(最後はレーバークーゼンからヴィクトリア・ケルンという三部リーグのクラブへ移籍)RWEというドイツの大手エネルギー会社から声を掛けられ、それ以来、人事部の部長として活躍しているとのことです。

 ということで、6部リーグの監督としての収入は、月々10万円くらい(!?)と微々たるモノだから、まあボランティアに近い活動とも言えますかネ(このクラブのトップチーム監督に就任して、既に13年目に入ったとのことです)。それでも、その地区を代表するクラブのプロコーチとして、何度かチームを昇格させるなど優れたウデを発揮するだけではなく、その地区でも、様々な「異文化接点活動の顔」としても機能しているのです。そのことは、もちろん会社でも高く評価されている。それも、サッカー文化が深く社会に浸透していることの一つの証明ということです。

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 マティアス・ブリュッケンが所属するクラブは「V.F.L. Bachem」といいます。ケルン郊外のバッヘムがホームタウン。先日、創立75を祝ったということからもサッカー文化の深さがうかがえる。クラブの会長さんは、ペーター・クリュッチュさんといいます(クラブの看板と一緒に写っている方です)。つい数年前まで、この地域が含まれるフレッヒェン市の副市長を永年勤めてきた方です。

 「サッカー文化を探るなら、やはり我々のような地域に根ざしたクラブを見るのが一番だね。我々は、地域の接点として十分に機能していると思っているよ。もちろん、子供達が自然のなかで伸び伸びとサッカーに興ずる環境を作り出すという意味でもね。とにかく子供達は、外へ出て遊ばなけりゃいけない。ウチのクラブには、160人ほどのユース選手がいるんだが、近頃になって、やっとコンピュータゲームからグラウンドに回帰するようになってきているんだよ」

 フムフム、なるほど・・。そのクラブの社会的な機能については、マティアスもこんなことを言っていた。

 「社会的に恵まれない若者がいるだろ。例えば、親が低所得者だとか、もっと極端な例を言えば、親が犯罪を犯して服役しているだとかな。おれ達のクラブは、そんな若者を積極的に受け容れているんだよ。このチームにも3人ほど、問題を抱える若手選手がいる。おれ達のクラブに来る前の彼らは荒れていた。でも、ここにきてからは、ホントの健康的な若者らしさが戻ってきたと思うんだ。彼ら自身も、そう言っているよ。まあ・・今でも理不尽に反抗的な態度をすることもあるけれど、本心ではクラブに感謝しているということだろうな。彼らにとっては、クラブが家族みたいなものだからな」

 素晴らしいね。ということでトレーニングがはじまった。内容(トレーニング意図)は素晴らしかったし、マティアスによるリードも優れていた。もちろん選手のレベル的な限界はあるけれど、マティアスによる優れたモティベーションもあって、選手は、クリエイティブな向上心を常に前面に押し出していましたよ。そこでは、自分の限界を探ろうとする積極的なプレー姿勢が感じられたのです。

 写真は、トレーニング後の一時だけれど、まさに異文化接点の現場そのものだった。国籍も様々。そんなアクティブな雰囲気のなか、毛色の違う私に、矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。マティアスから聞いたんだろうね、私がクリストフ・ダウムの友人ということで、ケルンの情報を知りたいらしい。でも最後は、ケルンに対する自分の意見を主張しはじめるのですよ。

 ホント、素晴らしい。それこそが、フットボールネーションの、フットボールネーションたる所以じゃありませんか。そこには、自由を主体的に楽しむという雰囲気があふれていた。もちろん私も、誠実に彼らの意見を聞き、自分の考えを返す。その意見にしっかりと耳を傾け、今度は自分の意見をぶつけてくる若手ストライカー。たしか彼が、マティアスの言う「社会的に恵まれない若者」のはずだけれど、彼が放散する闊達なエネルギーからは、そんなネガティブなモノなど微塵も感じられなかった。フムフム・・

 そんな「自由闊達なディスカッション」は、夜中までつづいた。もちろんトレーニングで疲れ切った選手は家路に就いたけれど、私とマティアスを囲み、クラブの重鎮が集まってくれた。そしてサッカーについて話しはじめたら、もう止まらない。ホントに止まらない。ハッと気付いたら、すでに時計の針は真夜中を指していた。

 そこでの話題は、ヨーロッパ選手権から、ユース年代のことまで多岐にわたりましたよ。なかでも、優れたユース選手が、トッププロでプレーできない矛盾については、本当に口角泡を飛ばしつづけたモノです。

 「(FIFA会長の)プラッターが言うように、才能ある若手がプレーできるようにルールを変更すべきだよ。それでなければ、どんどん若手の才能が死んでいってしまう・・」「そんなコト、いくらプラッターでも、ヨーロッパ共同体の意向に反するコトなんて出来るはずがない。ヨーロッパ共同体に加盟する国の選手は、外国人としてカウントされないという基本的なルールがあるわけだからな」「とにかく、勝たなければクビというトップクラブの監督連中が、自分の首をかけて、パフォーマンスが未知数の若手ドイツ選手を使うはずがない」「だからこそ、ルールの改正が必要なんだよ」・・

 「それにしてもスペインは強かったな・・」「そうだな・・。でも最初の15分間は、完全にドイツがゲームを牛耳っていたじゃないか。あの流れを見て、誰もが、やっぱりスペインは何も変わっていない・・ヤツらじゃ、絶対にドイツに勝てない・・って思ったはずだよ。それが・・」「ホントに、15分を過ぎたあたりからのスペインの豹変ぶりにはビックリさせられたよな。これでヤツらは、完全に過去のコンプレックスから解放されたと思ったよ。それに対して、ドイツの勝負強さというイメージは崩壊したのかもしれない。これからのドイツは大変だな」「だからこそ、若手を伸ばすことが大事なんだ。ドイツだけでもいいから、ルールを変更すべきだよ。ヨーロッパ共同体と裁判で争ったっていいじゃないか」・・

 議論は尽きることを知りませんでした。私も、時間を忘れて口角泡を飛ばしていた。声の大きさじゃ誰にも負けないつもりだったけれど、オッサン連中の前だしの強さにタジタジとなった。やはり本物のフットボールネーションだ・・。

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 今日は、これから友人を尋ね、その足でデュイスブルクで行われるケルンとのトレーニングマッチを観戦しに行きます。そこで(試合後の記者会見やミックスゾーンで)クリストフとローラントに別れを告げ、明日の早朝にフランクフルト国際空港へ(約200キロの移動)。いまルフトハンザはストライキ中なのですが、国際線は大丈夫とのことです。

 ということで、今日ホテルへ戻ってくるのは真夜中になりそう。そうなったら、もう何も書きたくないし、明日も時間はタイト。ということで、国際会議の内容報告のつづきは、帰国してからということになりそうです。ご容赦アレ。それでは・・

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 ということで・・しつこくて申し訳ありませんが、拙著『日本人はなぜシュートを打たないのか?(アスキー新書)』の告知もつづけさせてください。その基本コンセプトは、サッカーを語り合うための基盤整備・・。

 基本的には、サッカー経験のない(でも、ちょっとは興味のある)一般生活者やビジネスマン(レディー)の方々をターゲットに久しぶりに書き下ろした、ちょっと自信の新作です。わたしが開発したキーワードの「まとめ直し」というのが基本コンセプトですが、書き進めながら、やはりサッカーほど、実生活を投影するスポーツは他にはないと再認識していた次第。だからこそ、サッカーは21世紀社会のイメージリーダー・・。

 いま「六刷り」まできているのですが、この本については「こちら」を参照してください。また、スポナビでも「こんな感じ」で拙著を紹介していただきました。

 蛇足ですが、これまでに朝日新聞や日本経済新聞(書評を書いてくれた二宮清純さんが昨年のベスト3に選んでくれました)、東京新聞や様々な雑誌の書評で取り上げられました。NHKラジオの「著者に聞く」という番組で紹介されたり、スポナビ宇都宮徹壱さんのインタビュー記事もありました。また最近「こんな」元気が出る書評が出たり、音声を聞くことができる「ブックナビ」でも紹介されたりしました。

 




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