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2007_アジアカップ・・ここで簡単にオシム日本代表を総括しておきましょう・・(2007年7月31日、火曜日)

湯浅さん・・日本代表は、たしかに残念でしたが、個人で勝負するプレーが少なすぎるのでは、相手にとって怖い存在にはなり得ませんよね・・パスサッカーでキレイに崩そうと意識するあまり、リスクを背負って1対1で勝負するようなプレーが少なかったし中距離シュートに対する強い意志も感じられなかった・・高温多湿だから体力を温存するという意識があったのは分かるのですが・・

 私が信頼する方から、そんなメールをもらいました。また・・いくらボールを動かしたってシュートを打たなければダメだ・・とか、組織パスプレーに自己陶酔している・・なんていうメールもありましたよ。今回は、それらのメールには返事を出さず、コラムで考えるところをまとめることにしました。

 あっと・・私に送られてくるメールですが、拙著「日本人はどうしてシュートを打たないのか?」(アスキー新書)については、多くの読者の方から、元気の出るメールをいただきました。この場を借りて、心から感謝いたします。何せこの12年間、悪意ベースの言葉の暴力と闘いつづけてきましたからね。私も人間だから、たまには落ち込んだりすることもあるのですよ。あははっ。鈍感力か・・よい言葉です。さすが、渡辺淳一さん。

 あっと、ハナシが逸れた。さて、個人プレーというテーマ。

 オシム監督が、アジアカップ後に、個人の勝負能力が足りなかった・・個人の向上なしに組織の向上はない・・それは(突き詰めれば!?)個人の(所属するチームの!?)課題だ・・なんていうニュアンスのことを言っていたらしい。フムフム。それに関して、こんなニュアンスのメールももらいました。オシムが組織プレーを強調し過ぎたり、厳しく(組織プレーでの)ミスを指摘するから、選手たちが萎縮し、個人勝負も出にくくなっているのではないのか・・。フムフム。

 私は、今回の大会は、内容でも結果でも、おおむね満足できるものだったと思っています。もちろん、ここで言う「内容」には、良いサッカーを展開したという事実だけではなく、大会を効果的な学習機会として活用する(=本質的な課題を抽出する)というニュアンスも含まれています。要は、現状をしっかりと認識する良いベースになったということです。「理想」マイナス「現状」イコール「課題」。

 オシム日本代表の絶対的な発想ベースは、有機的なプレー連鎖の集合体としての「組織プレー」。守備においても、攻撃においても・・。それは、チームを作っていく上での絶対的なコンセプトだし、オシム監督が言うように、世界サッカーの潮流は、その方向へ「のみ」動いているのです。

 そしてその潮流のなかに、いかに個の才能を「効果的に」表現させていくのかという本質的なテーマも含まれているというわけです。組織プレーと個人プレーのバランスの高揚という本質的なテーマが・・。

 オシム監督が志向する組織プレーと目標イメージは、こんな感じでしょうか・・。

 『クリエイティブなムダ走りを複合的に組み合わせることで(人とボールをしっかりと動かしつづけることで)達成するスペースの活用・・それは、シュートを打つという攻撃の目的を達成するための、当面の具体的な目標イメージである「攻撃の起点」の演出と同義・・それをベースに、考えて走るというキーワードの内容ニュアンスに対する深い理解をチーム内に浸透させる・・などなど』

 それについては、「継続こそチカラなり」というテーマで先日アップした「このコラム」を参照してください。

 とはいっても、組織プレー「だけ」では、攻撃の「変化」を効果的に演出することは叶わない。攻撃における最も重要なコンセプトは、何といっても「変化」ですからね。特に今回のアジアカップは、高温多湿という厳しい自然環境との闘いでもあったわけだから、運動量が必要とされる「組織」だけではなく、「個の要素」もより一層必要だったということです。

 そんな厳しい気候条件に対してオシム監督は、人とボールの動きの「メリハリ」という「組織的な手段」を、ゲーム戦術的なスタートラインにした。要は、カウンターのチャンスがなくなって組み立てプロセスに入ったケースでは、ボールを大きくスムーズに展開することで、まずしっかりとボールをキープし、最前線への鋭いタテパスや、効果的なサイドチェンジなど、あるプレーをキッカケに、「急に」人とボールを素早く、大きく動かしはじめるという「動きのメリハリ」を、しっかりと選手にイメージさせたということです。そして、仕掛け(最終勝負)の起点ができたら、そこから個人勝負や組織コンビネーションで最終勝負を仕掛けていく・・。

 それは、ある程度は機能した。急激にテンポアップし、人とボールが動きはじめたら、ボールがないところで勝負を決めてしまうという日本代表の「決定的スペース攻略の流れ」を効果的に抑制できるチームはいなかったに違いありません。もちろん、あくまでも「そのアップテンポの組織コンビネーション」がうまく機能したらのハナシではあるけれどネ。タラレバでスミマセン。

 そのスペース攻略の流れ。たしかに、サウジアラビア戦でもある程度は機能したけれど、結局スペースで「ある程度フリーで」ボールを持っても、そこからの最終勝負がうまく回っていかなかった。要は、ドリブル勝負(個人の勝負プレー)もままならなかったし、肝心な勝負所でのボールがないところでの人の動き(組織コンビネーション)も十分じゃなかったということ。

 ちょっと「人の動き」というテーマに入り込むけれど、ここで言っている人の動きとは、あくまでも自分が主体になって周りを動かし、アップテンポの最終勝負の流れを「スタートさせる」という能動アクションのことです。決して、最終勝負の流れがはじまるのを待って、それに乗るという受動アクションのことじゃありません。

 なかには、動きが不十分で、アリアリと、最終勝負の流れが出てくるのを「待っているというプレー姿勢」の選手もいたからね。守備においても、攻撃においても。ちょっとフラストレーションが溜まった。まあ、そんなポイントも「組織プレーの課題」として見い出せたということです。

 さて、「攻撃の変化」を効果的に演出できる個人勝負。それを、心理ファクター(要素)という視点でも見てみましょうか。要は、オシム監督が組織プレーに厳し「過ぎる」ことが、個人勝負マインドを萎縮させてしまっていた・・という議論。個人の勝負では、エゴイスティックとまで表現できるような「強烈な自己主張マインド」も必要になってくるからね。

 まあ、チーム内の事情については分からないから(議論を逃げているわけではないけれど・・)、ここで、オシム監督の戦術マネージメントが、個人の勝負マインドを減退させるような方向性にあったかどうかをディスカッションするわけにはいきません。中村俊輔や高原直泰に対して、もっと個人勝負もミックスしていかなければならないと要求していたという事実もあるからね。

 とはいっても、トレーニングの全体的なテーマが、「組織プレーでのスペース攻略」に集中していたことは確かな事実。そこでは、組織プレーに個の勝負をミックスしていくというテーマが十分に強調されていたとは言えなかったと思うのです。たしかに、個人勝負というテーマを抽出した「1対1」の勝負トレーニングはあったけれど、組織プレーの流れに「個」をミックスすることを強調した(意識させた)トレーニングは、そんなに多くはなかったと思うのですよ。

 個人の能力(才能と呼ばれるモノ)は、もちろん「出現するのを待つ」しかないけれど、そこでは、いまチームが持ち合わせている「個の才能」を、実効あるカタチで発展させ、それを効果的に発揮させるという発想も大事です。もちろん、組織プレーを絶対的なベースとしてね。特に日本チームの場合は、メンタリティー的に、どうしても組織が「より」強調されるから、どうしても個人プレーは「塩と胡椒」という発想になってしまう。まあ、だからこそ、その発想を常に反芻しつづけることが大事になると思うのですよ。

 とはいっても、もちろん、レベルを超えた個の才能が出現してくればハナシは別なんだろうけれどね・・。

 その個の才能が「組織」を凌駕するレベルにあるかどうかを評価・判断し、そして、その「個」を組織プレーに組み込んでいくプロセスは、オシム監督のウデに拠ります。たしかに今回は、中村俊輔や高原直泰の「個の能力」がうまく発揮できていた訳ではなかったという見方が出来ないわけじゃないけれど、逆に、彼らによる個の勝負によって、オーストラリアやサウジアラビア、韓国の守備ブロックを切り崩せていけたかどうか・・という疑問も残る。オーストラリアのビドゥーカやキューウェル、サウジの9番や20番、はたまた18番などといった個の才能と比較して・・ネ。

 さて、個の才能に対する心理マネージメント。そこでは、もちろん日本人の(日本代表選手たちの)メンタリティーが全てのスタートラインになります。

 PKを失敗した羽生が、責任を感じて落ち込んだというけれど、そうではなく、「PKは仕方ない・・責任は感じるけれど、それでもオレはギリギリまで闘ったのだから・・お互いの健闘をたたえ合うべきだ」と、毅然とした態度でチームメイトと心からの握手を交わせていたら・・。そんな自己主張マインドこそが、個の能力を存分に表現するための絶対的な基盤なのですよ。要は、そんな主体的で積極的(!?)なマインドを、いかにして高めていくのか・・ということがテーマになるということです。

 シュートにしても同じだよね。組織コンビネーションを基盤にしたダイレクトシュートではなく、トラップし、自分で打開していかなければならない状況で、主体的に「まず」シュートを狙うというイメージを持った日本人選手が何人いたのか・・。

 それに対して、オーストラリアやサウジアラビア、決勝でのイラクや韓国などなど(予選リーグで戦ったベトナムにしても!)。とにかく、彼らは主体的にリスクへチャレンジしていく「能力」に長けていたと思うのです。それこそ、社会文化的なバックボーンというディスカッションに入っていかざるを得ないテーマ!?

 まあ・・そういうことかもしれないけれど、だからこそ、日本の文化的背景も、しっかりと理解し、それを(部分的に)超えていく努力を怠ってはならないというわけです。

 日本的マインドとか日本的感性など、日本人の精神的な生活にかかわるものというニュアンスでの日本文化。それは、全体的には大いにポジティブなものであり、混沌とした今だからこそ世界的にも高く評価されています(私もそのことを体感として知っているつもりです!)。ただしサッカーでは、そんな(社会機能的には!?)素晴らしい日本文化が、多くの場合マイナスに作用することもあるという事実がこそにあります。

 だから私は、社会生活では日本文化を標榜し、サッカーでは日本文化を超えていくという「多面的な精神構造」を養成していくことも必要だと思っているのですよ。

 たしかに個人の才能は「待つ」しかないけれど、それよりも、いまある才能を「解放し、本当の意味で発展させる」ことの方が何万倍も大事だということが言いたかったわけです。まあ難しいテーマではあるけれど、大事なことは、絶対に諦めず(斜に構えたりせず)、自ら信ずるところをしっかりと継続していくことなのです。

 そのために(ユースからプロまでの)現場コーチは、恐れることなく、選手の自己主張マインドを高めていくための「刺激」を与えつづけなければなりません。人間性(優れたパーソナリティー≒人徳!?)さえあれば、人間心理のダークサイドパワーを活性化させるような「一見」ネガティブな刺激でも、かならず良い結果につながるはずです。

 ここまで書いて、ハッとキーボードをたたく指が止まる。なんか・・こう・・変に説教調でヤダな・・赤面しちゃう・・でもさ、自分が十分に出来ていないことを実感しているからこそ常に持ちつづけているテーマだから・・「こうありたい」と思うことが大事なんだよ・・意志さえあれば、おのずと道が見えてくるものだからね(誰の言葉だったっけ?)・・ということで、とにかくオシム監督・・

 オシム監督にしても、グラウンド上で、ギリギリの闘う意志を前面に押し出すようなプレイヤーを求めているはず。要は、個人事業主(プロ)同士のビジネスパートナーとして信頼し合えるような選手。だからこそ、さまざまな刺激を(選手だけではなく、協会や我々メディアに対しても)ブチかましつづけていると思っている筆者なのです。

 今回で、アジアカップ連載は終了です。最後までおつきあいいただいて感謝します。次は「J」。明日の、レッズ対サンフレッチェ戦からです。では・・

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 しつこくて申し訳ありませんが、拙著(日本人はなぜシュートを打たないのか?・・アスキー新書)の告知をつづけさせてください。本当に久しぶりの(ちょっと自信の)書き下ろし。それについては「こちら」をご参照ください。
 




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