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2007_アジアカップ・・イビツァ・オシムさんが魅せた「指先のフィーリング」・・(2007年7月11日、水曜日)

それにしても、ものすごい交通事情だよな・・ハノイ。私はまだ事故を目撃していないけれど、トレーニングで一緒になった大住良之さんによれば、日本人カメラマンの方が事故を目撃したそうな。その現場では、路上に倒れていた人はピクリとも動かなかったということです。さもありなん。フム〜。

 昨日のコラムでも書いたけれど、とにかくオートバイが「我がもの顔」のハノイ。彼らは、例外なく全員が、自分の進路を主張します。それでも(昨日書いたように)一応は「混沌のなかの秩序」はありそう。あうんの呼吸での柔軟な譲り合い・・。

 ここで言うオートバイとは、もちろん大型ではなく、排気量が50〜100cc前後の「カブ」タイプ。それに家族全員が乗って移動したりする。もちろん女性やお年寄りも多い。そんなライダーたちは、ハノイは右側通行だから、道路の右端のレーンを比較的落ち着いた安定スピードで進行します。また彼らは、交差点でも柔軟に譲り合ったり、歩行者を注意深く行かせたりします。問題は、やはり、どこにでもいる無法者たちなのですよ。

 昨日のコラムで書いた「トラフィックカオス」は、そんな無法者をイメージしていたということです。赤信号なんて完全無視で交差点に突っ込んでいったり、過度に自分の進路をゴリ押しするライダー。男女を問わず若者が多い。また、ちょっと排気量がある(馬力があって速い)スクーターを駆る若者も大変危険な運転をします。秩序正しく走行しているクルマや他のオートバイの間を「すり抜けて」いくのですよ。それも猛スピードでね。決して彼らは、全体的にゆっくりしたスピードで移動している「カオスの集団(mass)」の流れに乗ろうとはしない。

 私も、散歩するなかで何度も道路を横切ったり交差点を横断したりするのですが、それは、まさに、まったく途切れないトラフィックの(交通の)波に身を投げ出すといったイメージ。とにかく、オートバイやクルマ、自転車やリクシャーの流れはまったく途絶えませんからね。橋のない川・・。

 とはいっても、そこでは、「普通のライダー」たちとの有機的なコミュニケーションは成り立つのですよ。オートバイや自転車に乗る連中との「あうんのアイコンタクト」。だから、ゆっくりと歩けば、誰もが進路を譲ってくれるし、私も柔軟に対処できる。でも、無法者は違う。危ないですよ。鼻先で急ブレーキを掛けられたこともあった。そしてヤツらは、こちらを睨みつけてから、私の脇をすり抜けながら排気ガスをブチかましていくのです。ホントに難しい連中だね。フ〜〜。そんな無法者の「量と質」が、それぞれの国や地域の文化・文明レベルを測るバロメーターだったりして。さて・・。

 無法者といえば、カタール戦での記者席でタバコを吸っている中東の(カタール人の!?)記者もいました。彼が二本目に火を付けようとしたところで、仕方なく寄っていって注意しましたよ。「いまここでタバコを吸うのは、そんなに必要なことなのですか?・・タバコを吸わない周りの人々が危険にさらされる二次喫煙のことは知っていますよね・・吸いたいならば、決められた場所へ行くのがルールでしょう・・」。そんな私の言葉に、「ここではタバコを吸うのは禁止されていないんだよ」と訳の分からないことを言う。それも横柄な態度でね。その会話を聞いていたベトナム人の競技場スタッフの方が、「いやいや、スタンドは全面が禁煙です」と言ってくれたことで、渋々タバコを箱に戻したけれど、その輩は、結局は別の席へ移動してまた吸いはじめた。その周りには日本人記者の方もいたけれど、誰も注意していなかったように見えた。そしてゲームは「あの結末」だったからね。嫌な思いばかりが残りました。

 人類史上もっともパワフルな異文化接点であるサッカー。そこでは、異文化が「衝突」することも日常茶飯事です。だからサッカー観戦は、異文化同士の「大人の調整トレーニング」とも表現できるかもしれない・・なんてネ。もちろんそんな衝突は、「J」のクラブのサポーターのなかにだってあるでしょう。何せ、人種や言語、文明コンテンツや宗教だけじゃなく、年代や性別、職業や生活環境なども異文化を形づくるファクターだからね。異文化接点トレーニングという社会的な機能も果たしているサッカー!? 私はその事実を体感として知っているつもりです。

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 あっと・・またまた前段が長くなってしまった。さて、トレーニングにおいてイビツァ・オシムさんが魅せた、優れた「指先のフィーリング」。

 昨日のトレーニングで、こんなシーンを目撃しました。クロスからの最終勝負トレーニング。ゴール前の中央ゾーンに矢野と巻が入り、伊野波と坪井がストッパーとして対峙する。そこへ、両側の「ペナルティーエリア角ゾーン」からクロスを送り込むという設定。もちろんそれは、カタール戦でプレーしなかった選手を対象にしたトレーニングです。

 ペナルティーエリアの角の外側ゾーン(タッチライン際のゾーン)は、効果的なクロス攻撃を仕掛けるための「絶対的な起点」。現代サッカーではもっとも重要なスポットの一つです。そこを巡るせめぎ合いが全てを決めると言っても過言ではないほど、そのスポットの重要性は高まりつづけているのです。

 そこから(GKと最終守備ラインの間にある)決定的スペースへ向けて、カーブを描きながら、最後はゴールラインと並行か、もっと言えば、ゴールから「逃げていく」ようなコースを描く「ラスト・クロス」を送り込むのです。我々現場のコーチは、それを「トラバース・クロス」と呼びます。そして、そのボールを狙って、攻撃側の選手が全力でゴール前の決定的スペースへ飛び込んでいくのです。

 これはホントに効果的な攻め手。ちょっとでも「先に」ボールに触ればゴールだからね。逆に、GKにとっては「逃げていく」ボールだし、ディフェンダーにとっても、飛び込んでくる相手フォワードと競り合いながらクリアするのは難しい。だから、ボールが良いコースをトレースすれば、ゴールをゲットできる確率は極大レベルにまで跳ね上がるというわけです。でも、だからこそ難しいトラバース・クロスなのです。

 そこで、左サイドから、カーブを掛けたトラバース・クロスを送り込むタスク(役割)を与えられたのが佐藤寿人でした。

 最初、佐藤寿人はうまくトラバース・クロスを送り込むことができない。強いカーブを掛けるのも難しいし、正確なコースに送り込むのも難しい。何度も、イビツァさんが寄ってきて、身振り手振りで指示をする。それでも、逆にそのことが佐藤寿人を固くしてしまったようで、何度もミスを重ねるのです。「ロビングだけじゃなく、グラウンダーにした方が、相手は守りにくい・・」。通訳の千田さんも、ジェスチャーを交えながらイビツァさんのアドバイスを伝えます。佐藤は頷いているけれど・・。

 そしてそこから、イビツァさんの優れたコーチとしてのウデが真価を発揮するのですよ。何度かのトライ&エラー。イビツァさんは、もう何も言わずに鋭い視線を飛ばしている。そして、徐々に吹っ切れた心境になりはじめた佐藤が、ニアポスト近くで一度バウンドしながらカーブを描き、最後はゴールキーパーから「逃げていくコース」へ飛ぶような理想的トラバース・クロスを成功させたのですよ。たしか巻が、ドカンッ!とゴールを決めたと記憶します。

 「ブラーボ!」。大声が響く。もちろんイビツァさん。自信を回復する佐藤寿人。そして今度は、中央の巻と矢野の飛び込みが遅れ気味だと判断した(トラバース・クロスを送り込んでも彼らは届かないと判断した)佐藤寿人が、素早くボールを持ち替え、逆サイドの味方(たしか水野晃樹)へ素晴らしいサイドチェンジパスを送るのです。

 「ブラーボ!」。これは、佐藤が主体的に判断したことに対する賛辞でしょう。考えて(主体的に判断・決断し)、勇気をもって走る(リスクへチャレンジしていく)。そんなふうに、イビツァさんは、緊張感を高揚させながら厳しく要求しつづけるだけではなく、「果実」もしっかりと意識させるのです。

 こうなったら佐藤寿人は乗りまくり。もちろん、そう簡単には効果的なトラバース・クロスを決められるわけじゃないけれど、それでも着実に「進歩ベクトル」に乗っていることが見えてきたプロセスでした。主体的な(自主的なやる気の高揚という心理エネルギーを基盤にした!)トライだからこその進歩。素晴らしい。

 トレーニングの形式などは、誰でも、様々なアイデアを駆使して効果的なものを考案できる。しかし、誰がそのトレーニングをやらせるのかによって、結果として出てくる効果には雲泥の差が生じる。それは、長いサッカーの歴史のなかで伝承されている「現場の常識」なのです。

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 しつこくて申し訳ありませんが、拙著(日本人はなぜシュートを打たないのか?・・アスキー新書)の告知をつづけさせてください。本当に久しぶりの(ちょっと自信の)書き下ろし。それについては「こちら」をご参照ください。
 




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