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レアル・マドリー、中田ボローニャ、そして高校選手権に関して雑感を少しだけ・・(2004年1月8日、木曜日)

どうも皆さん、ご無沙汰してしまいました。元旦の天皇杯決勝以降(ラジオ文化放送とHPレポート以来)、親しい人々との語らいや読書など、リラックスした時間を過ごしているうちに、HPレポートを書くという発想が薄れていってしまって・・。

 もちろん過去のゲーム(ビデオ)にもスラ〜ッと目を通していましたよ。なかには創作意欲がかき立てられるようなエキサイティングマッチやピックアップテーマもあったし、正月3日にはリーガエスパニョーラもはじまりました。また、高校選手権の観戦にも出掛けました。でも、どうしてもキーボードへ向かう「気」が高揚してこない。まあ仕方ないから自然の「気の流れ」にまかせていたら、どんどんと時間ばかりが過ぎていってしまったというわけです。

 ところでレアル・マドリー。彼らの2004初戦は、1月3日にホームでムルシアとの対戦でした。メンバーは、この2ヶ月で見出されたベスト布陣。要は、ベッカムとエルゲラの守備的ハーフコンビということです(その前にジダン、ラウール、フィーゴが並び、最前線はロナウドのワントップ)。それにしても、やはりヤツらの「仕掛けイメージのシンクロ内容」はレベルを超えている。仕掛けがスタートしたときには、三人目、四人目のアクションも連動し、素早く、正確に、その「ステーション」を経由して決定的スペースを突いてしまうのですよ。それこそ、理想的な「有機的プレー連鎖」。感動させられます。

 彼らが演出する仕掛けアクションが振りまく「感動」ですが、魅惑的なアクションを観ながら、その感動の本質は何なのだろうなんてことに思いをめぐらせていました。たしかに、局面でのエスプリ・ボールコントロール(トラップからフェイク&パスまでの一連の動作)なども魅惑ファクターなのですが、やはり感動の本質については、こちらの予想が、自由に、そして心地よく「裏切られ」、それがエキサイティングなシュートシーンへつながっていくから・・という表現が適当かもしれないと思っているのですよ。もちろん「予想を裏切るプレー」は、コンビネーションなどの組織プレーや、ドリブル勝負やタメなどの個人プレーが混在したものなのですが、それでも、特にディフェンスがスピードアップしスキルアップしている現代サッカーでは、やはりコンビネーションが主体だとするのが正解でしょうね。観る方の予想をはるかに超越した、まさに有機連鎖という表現がピタリとあたはまる夢のような人とボールの動き・・。

 サッカーはどうして面白いのか・・どうして人々は感動するのか等々、たまにはそんなテーマに深く入り込むのも一興ですよ。何故・・どうして・・目的は・・背景は・・等々。そんな、本質をつき詰めるという哲学的行為は、常に新鮮な刺激を与えてくれるものですからね。

 いよいよ「転」段階に入ったレアル・マドリーというストーリー(それについては、前回のコラムを参照してください)。これからの展開が楽しみで仕方ありません。これからは、レアルのゲームについても、順次レポートすることにします。

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 さて、ボローニャへの期限付きレンタル移籍ということになった中田英寿。その初戦をものすごく楽しみにしていたから、彼が腰痛でゲームに出場しないと知ったときの落胆の度合いも計り知れなかったですよ。まあ仕方ないけれど、そのことも、私の創作エネルギーの減退の背景にあったというわけです。

 でも・・と、気を取り直し、中田の新チームをしっかりと(期待をもって!)観察しておくことにした次第。でも、そのザル・ディフェンス(特に中盤ディフェンス)に、またまたガックリ。エンポリにチンチンに「ウラスペース」を突かれてしまうボローニャ・・ってな体たらくなのです。要は、ボール絡みのチェイス&チェックが緩慢なだけではなく、ボールがないところのマークも甘すぎるということです。だから、ハッと気付いたときには、自分の眼前スペースにフリーで入り込まれてボールを持たれてしまうなんていうシーンが続出してしまう・・。何本、エンポリに決定的シーンを演出されましたかネ。

 ボールがきてから慌ててチェックにいくというタイミングほど最悪なディフェンスアクションはありません。そのタイミングでのチェックアクションほど、ボールを持つ相手にとって簡単に外せるシチュエーションはないのですよ。

 それでも後半はやっとゲームが落ち着き、ボローニャの実力がより鮮明に見えるようになってきました。まあまあのチームだけれど、ディフェンスは不安定だし、エースストライカーのクルスがインテルへ移籍したことで、攻撃にもインパクトがないなどの課題も山積み。もちろん逆の見方をすれば、中田にとって、チャレンジ甲斐があるチームだということです。脅威と機会は表裏一体。

 ボローニャでの中田は、ミッドフィールドの中心選手ダッラボーナとの連携をイメージしておかなければ・・と言われているそうな。また優秀なセンターハーフのロカテッリはいるし、攻撃の絶対的なコア(仕掛けイメージのリーダー!)シニョーリもいる。なかなかエキサイティングな状況じゃありませんか。そこで中田が、いかに存在感を高めていくのか・・。私は、「脅威と機会は表裏一体」という普遍的概念の背景に潜むコノテーション(言外に含蓄される意味)を、人は、どんな状況でも常にクリエイティブな学習機会へと昇華させられること・・なんていうふうにも捉えているのですよ。

 このチームでの中田は、限りなくボランチに近い「センターハーフ」という役目を与えられるのでしょう。面白い・・。まあ、基本的ポジション(基本的タスク)なんて、あまり意味はない。とにかく今の中田英寿にとってもっとも重要なことは、グラウンド上の「自由度の高揚」なのですよ。規制から解放へ・・。そんな「チームの戦術的な環境」こそが、中田の能力を存分に引き出すということです。もちろん、その私の評価における絶対的なベースは、中田が秘める「クリエイティブで実効ある守備意識」。とにかく(いつものように)守備から入っていけば、すぐにでも全てがポジティブに回りはじめ、自然と中田が、攻守にわたるイメージリーダーになっていくことでしょう。本当に楽しみで仕方ありません。

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 さて最後は高校選手権。結局、国見と筑陽学園による決勝戦ということになりました。私は、三回戦から、視点を絞って観戦しています。

 連日、エキサイティングなドラマが展開されている高校選手権。でも、どうも筆が進まない(レポートを書く気になれない・・)。「湯浅さんは高校選手権を観ていないのですか・・観ているのだったら是非レポートを・・」なんていうメールをたくさんもらってはいるのですが・・。

 筆が進まない背景には、身体的な能力や技術的・戦術的レベルなどに代表される「ユースサッカーの限界」というファクターだけではなく、それぞれのチームが目指しているサッカーに限界が見えているから・・なんてこともありそうな・・。

 要は、勝ち上がってくるほとんどのチームが、戦術的規制に縛られすぎだと感じるのですよ。そして私は、彼らの規制サッカーを観ながらこんなことを考える。もっと自由に「解放されたサッカー」をやらせればいいのに・・とはいっても一発勝負のトーナメントを県予選からつづけているのだから仕方ないか・・自分がチームを任せられても結局はそうならざるをえないかも・・いやいや、そんなことはない・・オレがやったら、もっとクレバーに、リスクチャレンジを増やせるはずだ・・そのために、ホンモノの守備意識を高揚させる作業に大きく時間を割くに違いない・・等々。

 もちろんなかには、素晴らしい才能を秘めたタレントもたくさんいますよ。でもその才能が、うまく開花していない(才能が開花するサッカーではない)と感じる・・。言うまでもなく、選手たちが秘める才能を開花させるためには、とにかくリスクへのチャレンジしかありませんからね。でも、大会自体が、そのリスクチャレンジを抑制する性質だから仕方ない。まあ高校選手権については、いつもこのポイントに帰結してしまうのですがネ。

 フットボールネーションのユースサッカーに課せられる目的・目標は唯一。それは、「彼らの才能を開花させるための機会の提供」です。このことは日本も例外ではないはずなのですが・・。だから、小学生・中学生・高校生が参加する大会の「在り方」に大きな疑問符がつくのですよ。まあこのことは昔から語り尽くされていることだし、近年では、プリンスリーグなど、曲がりなりにも「ユースリーグ」がスタートしているようですから・・。

 とにかく、十分なリスクチャレンジ機会を与えられない「潜在的な才能たち」を観ているのは辛いと実感している湯浅なのですよ。まあ、とはいっても、国見の平山(14番)や兵藤(10番)、筑陽の桑原(7番)や西野(9番)など、吹っ切れたチャレンジプレーを披露してくれる選手たちもいますが、それも局面的なレベルのハナシですから・・。




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