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レアル・マドリーというストーリー(その1)・・(2003年12月30日、火曜日)

年を越えたら鬼に笑われてしまうから(アレッ・・ちょっと違うかな?!)、やはり年内に思うところ(ストーリー)をまとめておこうとキーボードに向かいました。

 何のストーリーかって? 世界最高レベルの高質サッカーを展開し「つづける」レアル・マドリー。

 シーズン前は、デル・ボスケ監督や、イエロ、モリエンテス、マケレレといった主力選手と袂を分かつだけではなく、デイヴィッド・ベッカムを獲得したり、(人気抜群の)彼を前面に押し出したアジアツアーを企画するなど、とにかく話題に事欠かなかったレアル。シーズン開幕当初は、あまりにも露骨なスター獲得戦略や、クラブの伝統を支えていた人材を放出するようなビジネス重視政策に嫌気がさしていた多くのエキスパートたちがアラ探しに奔ったものです。

 そんなことを書いている私も例外ではなく、レアルの、レピュテーション(名声)や経済力などの「パワー」を駆使したチーム強化策に呆れ気味でした。レアル・マドリーは、現代的な(アメリカ的な?!)ビジネスリソースをベースに作り上げられた世界選抜チームの代表格・・世界共通のルールに則ったフェアな戦いというスポーツの原則をねじ曲げる暴挙もここに極まれり・・なんてネ。

 とにかく、世界共通のルールに則ったフェアな戦いという原則的な(プロ)スポーツメカニズムが機能しなくなったら、確実にプロサッカーは(長い目でみれば)衰退の一途をたどるということです。それでも私には、自給自足的な世界(=自分自身でボールを蹴るというドゥースポーツの世界)が残されているからいいさ・・なんてネ。

 これまで社会システムは、「規制と自由」との間を揺動してきました。規制が過ぎれば自由へ振れ、自由が過ぎれば規制方向へ振れる。そんな「揺動」が、見えざる手によって自然と機能していたのです。その意味でいまの欧州プロサッカーは、確実に「自由」に振れすぎ。要は、アメリカ的な自由競争アイデアが支配しているということです。アメリカ的な自由競争は、決して自由競争じゃなく、「枠組みの中にいる者たちだけの競争」ですからネ。いまは、いつ「見えざる手」が機能しはじめるかを注視している湯浅です。イラク戦争や、アメリカ一国主義に対する反動など、そこには「見えざる手ファクター」が機能しはじめる兆候がある?!

 プロサッカーに対するマーケティング的(価値交換という)視点では、いまの「価値独占傾向」がネガティブなプロセスにあることは自明の理だとは思うのですが、逆に、いくら「人工的に作り出された世界選抜チーム」だとはいっても、あれほどの見事なサッカーは、そうそう観られるものではないというのも確かな事実。要は、現場の戦術的発想(イメージ)の発展という視点では、レアル・マドリーが展開する魅惑的サッカーの貢献度は高いということです。私も、そのファンタジーに魅了されまくりだし、学習機会としてもそのサッカーを見つづけたい。だからこそ、サッカーという「人類共通の文化資産」が、ある意味で「人質」に取られているなんて感じることもあるというわけです。誰によって人質に取られているかって? もちろん「G14」・・。

 まあこのテーマについて語りはじめたら切りがなくなってしまうので、とにかく「サッカーの話題」へ入ることにしましょう。

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 ということで「レアルのサッカー」。まず、12月4日にアップした東アジア選手権レポート(日本対中国戦のレポート)を参照してください。その導入部で、マドリーダービー(レアル・マドリー対アトレティコ・マドリー)について触れました。内容は、「まだベッカムのパートナーは決まっていない・・」と述べていたケイロス監督が、最終的にエルゲラをベッカムの守備的ハーフパートナーに決める根拠になったゲームだったというもの。そして、12月14日におこなわれたリーガエスパニョーラ第16節、レアル(マドリー)対デポルティーボ(ラ・コルーニャ)では、ベッカム&エルゲラのコンビが高質なコンビネーションを魅せていたというわけです。

 まあ、12月4日にアップしたレポートでも述べたとおり、どちらかといえばベッカムは、ボール奪取後の最初のゲームメイカーとして機能することをイメージしながらプレーし、エルゲラが最終ライン前の「スイーパー」として機能していたとするのが正確でしょう。エルゲラは、二列目から決定的フリーランニングを仕掛けていく相手のマーキング(自チームの最終ラインまでも追い越してしまうような、勝負所でのタテのマーキング!)をこなすなど、ベッカムにとっても最良のパートナーというわけです。「マケレレ後」に、それに近いパフォーマンスを示せるとしたらエルゲラしかいない・・。

 この試合(ラコルーニャ戦)でも、ベッカムとエルゲラのコンビは冴えわたっていました。私は、彼らのポジションニングだけではなく、ジダン、フィーゴ、ラウール等のプレーコンテンツにも目を凝らしていました。そして思ったものです。「やはりヤツらは大人だ・・勝負所では、しっかりとボールのないところでの組織ディフェンスもこなしている・・」。

 レアルの中盤から前線へかけてのコンストラクション(構造)はこんなイメージでしょうか・・攻守にわたる組織プレーリーダーとしてのベッカム・・主に中盤ディフェンスでベッカムのサポート役に徹するエルゲラ・・最前線から大きなゾーンを動きまわって組織プレーのサポート役に徹し、最後は最終勝負シュートシーンに影のように現れるというイメージのラウール・・両サイドで、組織パスプレーと「個」のエスプリプレーを高質にバランスさせながらシュートチャンスを演出するフィーゴとジダン・・そして、最前線のフタから、組織プレーでちょっと発展したロナウド(もちろんヤツの突破力とシュート力、そしてシュート決定力は驚愕だから大きな価値アリ・・周りも、ロナウドの価値を利用するというイメージでプレー・・それこそレアル的な勝負イメージシンクロ!)・・。

 特にベッカムの運動量の多さが目立つ、目立つ。いや・・運動量というよりも、攻守にわたる実効レベルの高さといった方が正しい表現ですね。チェイス&チェックやボールがないところでのマーキングなど、中盤ディフェンスでの忠実プレーだけではなく、インターセプトや相手トラップの瞬間を狙ったアタックなど、自身がボールを奪い返してしまうシーンも目立つ、目立つ。まあ、タテへの「抜け出し」にチャレンジする相手に対する「スッポンマーク」はあまりこなしませんがネ(ケースバイケースで、タテのマークの受けわたしや、エルゲラに任せる・・もちろん必要なときは最後までマーク・・その面が、ものすごく良くなっているからレアル守備ブロック全体が落ち着いてきている!)。そして、ボールを奪い返してからの(攻撃に移ってからの)ゲームメイカーぶりに彼の真骨頂が発揮される。

 レアル選手たちは、ボール奪取の後には、まずまっ先にベッカムを探します。だから、組み立て段階でベッカムがボールに触る頻度がめちゃくちゃ高い。そしてそこから、例外なく優れた展開パスが飛ぶのですよ。それは、安全志向の横パスや逃げパスなどではなく、前方ゾーンへの仕掛けパス。また、強烈なだけではなく、パスレシーバーの「利き足」まで考えた優しい正確なパス。そこでは、ボールを持ってからパスを出すまでのタイミングが「シンプル・リズム」というのも特筆です。だからこそ、味方パスレシーバーが、パスを受ける動きに入りやすいというわけです。

 そんな組み立てプレーばかりではなく、チャンスを見計らい、どんどんと最前線スペースへ飛び出すような「タテのポジションチェンジ」を演出したりします。もちろんそこでは、ジダンやフィーゴの仕掛けプレーの「壁(捨て石)」になったり、自身がシュートまでいったりする。そんな組織プレーと個人勝負プレーのメリハリが最高です。

 「汗かきプレー」も含む、実効あるダイナミックディフェンス。そして、ボールをもってからの、正確でクリエイティブなシンプルプレー(パスコースと、パスリズム!)。そんなプレーが、味方からの信頼感を高めないはずがない。だからこそチームメイトたちは、ベッカムを「探す」というわけです。とにかく、こんなに短い期間で、あれ程の信頼感をチームメイトから勝ち取ったのは素晴らしいとしか言いようがない。それもまた、彼の「高い守備意識」が為せるワザだったというわけです(もちろんボール絡みプレーの信頼度もベース駄だけれど・・)。

 ベッカムの組み立てプレーでは、特に、フィーゴとジダンに対する「球出し」に気を遣っているとい感じます。ベッカムからの優しいパスを受けた彼らは、ほとんどのケースで、そのまま仕掛けに入っていけるのですからネ(自分たちが得意な見せ場に入っていける!)。ということで、この二人にしても、組み立てリーダーとしてのベッカムに信頼を置くのも道理というわけです。

 一時期は、マケレレの穴が心配されたレアルでしたが(ホラ見たことか・・というヤッカミも含めてネ!)、チームとしては、ビックリするほどまとまってきています。その背景には、ケイロス監督の(心理マネージャーとしての?!)ウデもあるだろうし、選手たちが大人だということもあるのでしょう・・。

 たしかに「セカンドチーム」が十分に揃っていないという不安もありますが、それを補って余りあるトップチームのスーパーサッカー。今年のレアルも存分に私たちを楽しませてくれそうです。




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