湯浅健二の「J」ワンポイント


2009年Jリーグの各ラウンドレビュー


 

第10節(2009年5月5日、火曜日)

 

なかなか深いテーマがてんこ盛りだった・・(レイソルvsレッズ, 2-3)

 

レビュー
 
 筆者の印象でも、このゲームでの原口元気のプレーには、たしかに元気がなかった・・

 ゲーム後の記者会見。一人の記者が、前半だけで交代した原口元気について質問した。そして、それを受けたフォルカー・フィンケが、まさに堰(せき)を切ったように話しはじめたのです。彼が言いたかった骨子は、若い才能を本当の意味で発展させるためには、正しい(心理)環境を整備しなければならないということでした。

 わたしには、彼がドイツ語で話す内容が分かりますから、彼が言わんとしたニュアンスを私なりに(端的に)まとめておこうと思います。彼は、若手の育成について、非常に重要な『正論』を展開したのです。

 ・・原口元気の出来は良くなかった・・多分それには、彼を取り巻く様々な環境が激変していること「も」大きく影響を与えているはずだ・・要は、メディアの注目度が格段にアップしたことで、彼自身の「感覚的な日常」が大きく揺さぶられている(急に揺さぶられはじめた)ということだ・・

 ・・極端に増幅してしまったメディアのノイズが、心理的にネガティブに作用していると「も」言えるかもしれない・・わたし(フォルカー・フィンケ)は、ドイツで、これまでに何人もの才能ある若手を、本当の意味で大きく開花するところまで導いたという自負をもっている・・自慢するのではなく、とにかく私が、若く、才能に恵まれた選手を「本当の意味で発展させる」ためのプロセスについて、十分な経験を持っているということが言いたかった・・

 ・・そのような若手選手にとっては、ここでは原口元気だが・・素晴らしい才能に恵まれた17歳の選手だからこそ、大事に、本当に大事に扱わなければならない・・出来れば、彼を、三ヶ月間、まったくメディアから隔絶した環境に置きたいくらいだ・・それが許されないことはよく分かっているつもりだが、そのことについて、メディアの皆さんのご理解をいただければ幸いに思う・・

 ・・ドイツでは、このテーマについて、メディアとネゴシエート(話し合いによって互いの対応を調整すること)できる・・ドイツのメディアは、才能ある若手の育成プロセスについて、しっかりとした理解をもっている・・そして、そんな、才能ある若手が、本当の意味でしっかりと発展できるような『環境』を整備することもまた、監督の最も重要なタスクなのだ・・

 フォルカー・フィンケは、このコメントをした後、彼がメディア取材を(情報を)規制していないことに言及し、そして、もし今の彼の発言が、メディアの皆さんに対して失礼に当たるとしたら、そのことを謝罪したいとまで言っていた。

 フォルカー・フィンケの原口元気に対する目的イメージ(責任イメージ)は、2-3年後に、彼が、日本を代表する選手として(レッズだけではなく!)日本サッカーにも大きく貢献できるまでに成長すること。そのために、いま「いま何」がもっとも重要なことなのかについて言及したかったということです。

 17歳、18歳、19歳・・といった若手の選手は、まず正しい社会性を身につけることが重要です。知識やサッカー的な能力を磨くだけではなく、『社会的な知恵』も同時に深化させなければならないのですよ。そう、正しいインテリジェンス・・。それこそが、最終的に、発展をつづけられるかどうかを決める唯一のファクター(発展要素)だからね。

 もちろん、ここでいう知恵とは、日本的な集団主義的な発想から独立した『二面性パーソナリティー』的なもののコトだよ。難しいね・・。このテーマについては「このコラム」も参照してください。

 要は、フォルカー・フィンケは、原口元気について、あまり騒ぎ過ぎると、結局、本来メディアが望んでいるようなホンモノのスターへと順調に成長していくのではなく、その途中で潰れたり(発展が阻害されたり)歪んだりしてしまう可能性の方が大きいということが言いたかったのだと思いますよ。

 そうそう・・そんな、外的なファクターによって才能ある若手の発展が阻害されたり、歪んだりしてしまう現象については、もう日本でも、数え切れないほどの「前例」がありますよね。

 このテーマについては、やはりドイツは「フットボールネーション」であるからこその『経験則』が広く認知されている。だからこそ、フォルカー・フィンケが言うように、「現場」とメディアが、目的イメージを共有しながら、さまざまな意味で「協調体制」を組むことも可能だということです。

 もちろんドイツでも、そんな健全な目的などお構いなしに低級な記事を「書きなぐる」メディアもあるけれど、そこからのネガティブな波長が広がりすぎないように抑制できるだけの(長い歴史に支えられた)世論パワーがあるだけじゃなく、それなりの「権威パワー」を備えた健全なメディアも多いのですよ。

 まあ、そんな、生活者も巻き込んだ、メディア同士の健全なパワーストラグル(せめぎ合い)もまた長い歴史の為せるワザなんだろうけれどね。

 とにかく、フォルカー・フィンケが投げかけた真摯なアピールに対しては、日本のメディアの方々も真摯に対応してくれるに違いないと確信する筆者なのです。

 とはいっても、原口元気は、そんなメディアの取材攻勢に簡単に「舞い上がってしまう」ような低級パーソナリティー(低級インテリジェンス)ではないと思うし、彼には(クラブからの!)しっかりとした心理マネージメント体制もバックアップしているとは思うけれどネ・・

--------------------

 ちょっと長くなってしまった。

 次に取り上げたかったテーマは、原口元気、山田直輝、高橋峻希といった若い才能(私にとっては、この三人が若手の三羽がらす!)を本格的な「才能開花ベクトル」に乗せたユース監督の存在。そう、堀孝史(ウィキペディアで検索してください!)・・

 忘れもしない。彼については、1997年8月2日のJリーグ第二節、マリノス対レッズ戦の「レポート」で初めて採りあげた(その後のベルマーレ時代にも何度か採りあげた)。そのマリノス対レッズ戦のコラムは「こちら」

 また、そのころ連載していたインターネットマガジン「2002 Japan(当時は2002クラブでしたかネ)」でも、彼のことを採りあげた。そのコラムのタイトルは、たしか、「たった一人の選手が、ゲームの流れを逆流させた・・」だったっけ。

 この「2002 Japan」のコラムは、オリジナル原稿が見つかったから、私のHPでも、トピックスコラムとして、別立てで掲載することにしました。そのコラムは「こちら」

 「その」堀孝史が彼らをコーチしていたんだっけ・・。知ってはいたけれど、今さらながらに、堀孝史が魅せつづけた自己主張あふれるダイナミックなプレー姿勢を反芻し、「さもありなん・・」と再認識していた次第。それにしても、堀孝史ユース監督に触れるタイミングがちょっと遅れ過ぎた。面目ない・・

 ところで、レッズのトップチームで発展ベクトルを邁進中の若き才能というテーマ。

 まあ原口元気は、ちょっと「寄り道」っていう感じになってしまったけれど(それでも、フォルカー・フィンケの優れたウデによって、これまで通りの正しいベクトル上を邁進しつづけるに違いない!!)、山田直輝は、ビンビンに発展ベクトル上を邁進しているよね(スミマセンね、表現が稚拙で・・あははっ)。

 そして、ここから唐突に「選手交代によって減退した組織プレーの機能性」というテーマに入っていくわけです。

 前節のアルビレックスとのホームゲーム。それについて「このコラム」を参照していただきたいのですが、そこでは、高原直泰(原口元気と交替)とアレックス(山田直輝と交替)が前戦と中盤の「フタ」になり、レッズの中盤での「コンビネーション・エネルギー」を大幅に減退させた。

 そしてこの試合でも、後半から登場した高原直泰(原口元気と交替)とセルヒオ・エスクデロ(山田直輝と交替)の両人は、レッズが志向する、攻守にわたって数的に優位な状況をできる限り多く演出するための組織(コンビネーション)プレーの流れに、うまく乗れず仕舞いだった。

 要は、動きが少な過ぎることで(基本的なパス&ムーブもほとんどない!)中盤での人とボールの動きを加速させられるどころか、逆に減速させてしまう悪因になり下がってなっていたということです。

 とにかく、フォルカー・フィンケが志向するサッカーでは、攻守にわたって動きつづけることが大前提。要は、意志の発露としての「全力スプリント」の量と質が問われているということです。そんな「ダイナミックなサッカーの流れ」に乗れないのであれば、まあ、邪魔なだけの存在に成り下がってしまうのも道理ということなのです。さて・・

 ここで、いまのレッズが展開するダイナミックな組織サッカーの流れに乗れる(少なくとも、その流れを阻害しない・・調子が良ければ加速させられるような)選手の組み合わせを考えてみたい。

 アレックスについては、前回のコラムで指摘したように、タスクを限定すれば、彼のサイドゾーンでの勝負ドリブルと正確な(危険な)クロス能力が生きてくるはずです。でも「そこ」には細貝萌がいる・・。

 ここで発想を変えるのですよ。そう、細貝を「下がり目の中盤」に戻すのです。彼は、守備的ハーフとしても抜群のパフォーマンスを証明しているからね。細貝は、中盤でもチームの「運動エネルギー」をアップさせられる存在です。もちろん、鈴木啓太、阿部勇樹のライバルとしても、抜群の機能性を発揮するでしょう。

 もちろんサイド要員としての平川忠亮の「復帰」も期待できるでしょうし、田中達也も近々復帰してくるはず。また、いまの「レッズの発展ベクトル」に大いに刺激されているはずの梅崎司も、満を持しているだろうし、赤星貴文とか、三羽がらすの残りの若手、高橋峻希もいる(私は、特に高橋峻希に大いに期待しています)。

 そんな、いまのレッズが志向するダイナミックサッカーを「身体で表現し加速させられる」選手がライバルとして台頭してくれば、おのずと、高原直泰にしてもセルヒオにしても、レベルを超えて頑張らざるを得なくなる。

 それにしても、セルヒオのプレー姿勢には本当にガッカリさせられる。あれほどの才能に恵まれながら、間違ったプレーイメージに取り憑かれている。彼は、マンUのルーニーとかバルサのイニエスタといった天才連中が、どれほど攻守にわたって全力スプリントを積み重ねているのかを、ビデオで何度も「体感」すべきだね。

 とにかく、イメージトレーニングによって「明確な意志」を持つことが大事なんだよ。そうでなけれぱ、いまのように、ボールウォッチャーになったり、パスして止まってしまったり、ボールがないところでも「ぬるま湯」のフリーランニングしか出来なかったりとか、とにかく低級なプレーに終始するばかりだよ。とにかく、彼の場合は、イメージの転換が必要なんだ。

 以前私は、レッズナビでこんなことを言いました。フォルカー・フィンケのプロコーチとしてのウデを測る「評価基準」として、セルヒオのプレー内容を設定するのがいいかもしれない・・彼が、攻守にわたって本格的に走りはじめたら、そのポイントにこそ、フォルカー・フィンケの確かなウデが表現されているはずだからネ・・

 とにかく、本格的なプレー内容を基準としたライバル意識の高揚こそが、ホンモノの「チーム環境の活性化」というわけです。

 またまた長くなってしまった。

 それ以外にも、二試合つづけての「ギリギリの決勝ゴール」というテーマや、トゥーリオのオーバーラップからのヘディングシュートやエジミウソンの強烈な中距離シュートなど、チャンスメイクの「多彩さ」が出てきたといったテーマ、はたまたタテのポジションチェンジを繰り返す鈴木啓太、阿部勇樹、トゥーリオで構成する「後方のダイナミック・トライアングル」といった興味深いテーマもあったっけな〜〜。フムフム・・

 でも今日は、こんなところで止めにします。悪しからず。あ〜〜疲れた。

------------------

 ところで、拙著「ボールのないところで勝負は決まる」の最新改訂版が出ました。まあ、ロングセラー。それについては「こちら」を参照してください。

=============

 ということで・・しつこくて申し訳ありませんが、拙著『日本人はなぜシュートを打たないのか?(アスキー新書)』の告知もつづけさせてください。その基本コンセプトは、サッカーを語り合うための基盤整備・・。

 基本的には、サッカー経験のない(でも、ちょっとは興味のある)一般生活者やビジネスマン(レディー)の方々をターゲットに久しぶりに書き下ろした、ちょっと自信の新作です。わたしが開発したキーワードの「まとめ直し」というのが基本コンセプトですが、書き進めながら、やはりサッカーほど、実生活を投影するスポーツは他にはないと再認識していた次第。だからこそ、サッカーは21世紀社会のイメージリーダー・・。

 いま「六刷り」まできているのですが、この本については「こちら」を参照してください。また、スポナビでも「こんな感じ」で拙著を紹介していただきました。

 蛇足ですが、これまでに朝日新聞や日本経済新聞(書評を書いてくれた二宮清純さんが昨年のベスト3に選んでくれました)、東京新聞や様々な雑誌の書評で取り上げられました。NHKラジオの「著者に聞く」という番組で紹介されたり、スポナビ宇都宮徹壱さんのインタビュー記事もありました。また最近「こんな」元気が出る書評が出たり、音声を聞くことができる「ブックナビ」でも紹介されたりしました。

 



[トップページ ] [湯浅健二です。 ] [トピックス(New)]
[Jデータベース ] [ Jワンポイント ] [海外情報 ]