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サッカーは心理ゲーム・・(1998年11月28日)

このテーマに基づいたコラムを、2週間続けて「Yahoo Sports 2002 Club」で発表しました。

 サッカーは心理ゲーム。その深遠なコノテーション(言外に含蓄される意味)についての私なりの考え方を、2週にわたってとりまとめたものです。読後感などをお聞かせください・・

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 サッカーは心理ゲーム・・

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 「選手の気持ちが一つになったからね・・」(フリューゲルス、山口選手のコメント)

 「自分たちの目の前で相手の胴上げを見たくなかった・・」(引退した、ヴェルディー、ラモス選手のコメント)

 マリノスへの吸収合併が一方的に公表されてから、フリューゲルスが、たしかに下位チームとの対戦だったとはいえ、破竹の四連勝を遂げた。特に、そのことが発表された直後のセレッソ戦では、「ふざけるなヨ!!」とでも言わんばかりに七点もたたき込んでしまう。また第16節では、ヴェルディーが、王者アントラーズに対して互角に近いサッカーを展開し、自分たちのホームスタジアムである等々力での胴上げを阻止した。

 それは、セカンドステージでの彼らのサッカー内容からすれば不可解なほどの「パフォーマンスアップ」だったわけだが、その背景には、ロジックで推し量ることが出来ない「心理パワー」があった。

 そもそもサッカーは、心理的、精神的な状態が、他の競技以上に色濃くグランド上のプレーに影響を与えるボールゲームなのである。

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 これまで何度も「サッカーは心理ゲームだ・・」と言い続けてきた。サッカーでは、心理的、精神的な状態(何らかの内的な『刺激』)が大きくチームパフォーマンスを左右してしまうということなのだが、要はモティベーション(やる気のポテンシャル=積極性やリスクチャレンジ姿勢など)レベルのことだから、もちろん他のすべのスポーツに共通する重要な要素ではあるが・・。

 言いたいことは、本質的に「自由にならざるを得ない(限りなく自由にプレーせざるを得ない)」ボールゲームであるサッカーの場合、心理・精神的な要素の、チームパフォーマンスに占める重要度が、他のスポーツに比べて格段に高いということだ。

 それはそうだ。完全に平坦ではないグラウンド上を球形のボールが転がる・・、またそれを扱うのは、身体のなかで比較的鈍い「足」・・、そんな「不確実性要素」がテンコ盛りというのは、サッカーをおいて他にないことは事実なのだから。

 選手たちは、急激に変化する状況に、自分自身の判断、決断、そして果敢な実行力で「限りなく自由」に対応していかなければならない。

 だからこそ、(選手個々の心理・精神状態に大きく影響を受ける)積極性、リスクチャレンジ姿勢などによる「その時点」でのチームパフォーマンスのアップダウンの幅が、サッカーほど大きなスポーツは他にはないということが言えるのである。

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 「パスがくる!」。そう感じたプレーヤーは、パスを受けた後の「次の展開」をイメージしながらボールを受けようとする。ただそのパスがイレギュラーしてしまったら? 野球とは違うから、イレギュラーしても、そこでプレーサイクルが止まったりしない。選手たちは、そんな瞬間的に変化するシチュエーションでも、「自信」をベースに、自分自身の判断と決断で、積極的に「次の」効果的なプレーを実行しなければならない。

 それは何も攻撃に限ったことではない。基本的には受け身の守備においてだって、読みをベースにしたインターセプトや、「次はコイツのところにパスがくるに違いない・・」という自分自身の「能動的な」判断に基づいたポジショニング、「ボールがないところ」でのチェイシング(マーキング)など、アクティブな心理・精神状態をベースにした積極性が雌雄を分ける。

 サッカーでは、常に、選手一人ひとりの「積極的」な判断、決断、実行が伴わなければ「効果的な有機的プレー連鎖」は成立しない。そのレベルを極限まで高めるベースになるのが、何らかの刺激による強烈なモティベーションなのである。

 フリューゲルスの場合は、「(選手・ファンにとっては)理不尽?!」な企業論理でチームが消滅してしまうことに対する怒りが、選手たちを一つにまとめたのだろう。そんな「特殊な」刺激なしに、チームのパフォーマンスが上がらなかったことは問題だが、そんなモティベーションの高まりをベースに、あれほどハイレベルな強い「チームプレー」ができたのだから、それは、彼ら一人ひとりの基本的な身体的、戦術的能力の高さも象徴していたとすることができるだろう。そんな優れたチームが消滅してしまうのだから、もったいないとしか言いようがない。

 またヴェルディーにしても、ライバルの胴上げを見たくない・・、オレたちは元チャンピオンだ・・、そんなプライドが大いなる「心理的刺激」になっていたに違いない。それが彼らの、攻守にわたる何かに憑かれたようなアクティブプレーとなってグラウンド上に現れてきたのである。

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 さて、一部参入決定戦、そしてアントラーズとジュビロによるチャンピオンシップがはじまる。選手たちの基本的な「モティベーションレベル」、「緊張レベル」は最高潮に達しているに違いない。

 そんな極限状態でのゲームだからこそ、勝負は、フィジカル的、技術的、戦術的なフォームだけではなく、試合のプロセスの中におけるに「心理パワーのアップダウン」を、いかにうまくマネージできるかにも大きく左右されてくる。

 それに失敗すれば、確実に「心理的な悪魔のサイクル」に落ち込んでしまう。相手にペースを握られ、プレーが消極的になり、そして・・。だから、グラウンド上で互いに刺激し合うことができるくらいの「セルフモティベーション能力(自分自身で、ヤル気のポテンシャルを鼓舞できる能力)」が重要になってくるのである。

 このホンモノの勝負の試合では、「サッカーは心理ゲーム」という部分にもスポットライトをあてて観戦することにしよう。

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 PS: いま、一部参入決定戦、アビスパ対フロンターレの試合を見終わったところだ。まさに興奮の心理戦争というにふさわしいゲームだった。

 両チームともに、心理的に一歩も引かず、最後の最後まで極限の戦いを展開した。たしかに「J」トップチームと比べれば、技術的、戦術的には見劣りする。ただ両チームの闘う姿勢を前面に押し出したグラウンド上のパフォーマンスには、久々に、心の底から自然とわき出てくるような感動を味わった。

 特に、アビスパサポーターの大声援がこだまする敵地においても、相手をギリギリの剣が峰まで追い込んでしまうような立派な戦いを展開したフロンターレに大拍手である。

 たしかに総体的なチカラではアビスパの方が僅かに上。ただそのギャップを「心理パワー」で十二分に補ってしまったフロンターレ。最後まで諦めない必死のチェイシング。「どんなカタチでもいい。絶対に何らかのフィニッシュまで行くぞ!!」・・そんな気迫。見ている方に感動を与えるに十分なパフォーマンスではあった。

 こんな「悲劇と歓喜のドラマ」を繰り返しながら、一部参入決定戦は続く。フィジカル(身体)、テクニカル(技術)、タクティカル(戦術)、サイコロジカル(心理)、そしてアンロジカル(ツキ)。それらすべての要素のトップレベルの戦いであるチャンピオンシップとは「ひと味」違うギリギリの心理戦を、まだこれから何試合も見ることができる。今から楽しみで仕方がない。

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「心理ゲーム」という視点で、アンダー21の試合を見てみよう・・

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 「0−5で負けてもいいから、思い切ってリスクにチャレンジしてこい・・」

 21歳以下の日本代表と、同アルゼンチン代表とのフレンドリーマッチ。その試合が始まる前、トルシエ監督は、そう言って選手たちをグラウンドへ送りだしたという。

 この試合の見所は、日本代表の若武者たちが、世界の強豪を相手にした中盤でのせめぎ合いに、どのくらい積極的に挑めるかということだった。ボールを奪い合う死闘とも表現できるが、そこでの優劣が勝負を決めてしまうことを、両チームの選手たちは「体感」として理解しているはずだ。

 トルシエ監督は、宮本を中心とした三人で構成する最終守備ライン、「フラット・スリー」を、できるだけ「高い位置」へ押し上げさせ(中盤でのプレーゾーン自体を狭くする=コンパクト守備=ゾーンプレスなぞといわれた時代もありましたネ)、中盤での積極的なプレスをバックアップするという「超攻撃的」ともいえる「守備のゲーム戦術」を選択した。

 これは、対戦相手を考えればかなりリスキーな戦術だとすることができる。もし中盤でのプレスを、アルゼンチン特有の素早いショートパスで外されでもしたら、そこで何人もの味方が「置き去り」にされて結局は墓穴を掘ることになってしまう。

 ただトルシエ監督は、あくまでも選手たちの「リスクチャレンジの姿勢」を重視した。それが、冒頭の「激」になったのである。

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 前回のコラムで、サッカーは心理ゲームだと書いた。今回は、実際のゲームを例にとり、そこでの「心理的なダイナミズム」にスポットを当ててみようと思う。

 まず、サッカー選手にとって重要な要素をまとめる。それらは、フィジカル(身体)、テクニカル(技術)、タクティカル(戦術)、サイコロジカル(心理・精神)、そしてアンロジカル(ツキ)。

 その中でもっとも重要なものは、やはり心理・精神的なベース。自分たちの持てるチカラ、つまり身体的、技術的、戦術的な能力を十二分に発揮するための土台になるのが心理・精神的な要素というわけだ。ビビッてしまったら、持てるチカラの半分も出すことができない。

 すべての出発点は、心理的な部分に集約される。特に、不確実要素テンコ盛りであることから、基本的に自由にプレーせざるを得ないサッカーでは、その傾向が強い・・というのが前回のコラムの骨子だった。

 心理・精神的な「フォーム」を、90分を通してハイレベルに維持することは非常に難しい。このゲームでの日本代表にも、心理的なアップダウンがあった。今回は、そこにスポットをあてようというわけだ。

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 フィジカル(身体的)、テクニカル(技術的)、タクティカル(戦術的)な能力では、確実にアルゼンチンに一日の長がある。そんな相手に対し、サイコロジカル(心理・精神的)な部分でも呑み込まれてしまうことにでもなれば、足が止まり、ビビッて技術や戦術的なチカラを十分に発揮できないままに「心理的な悪魔にサイクル」に落ち込んでしまうのがオチ。そして、それらの要素の総体である「チーム力」も地に落ちてしまう。

 少なくとも気持ちの面(サイコロジカル)では、相手以上のパフオーマンスを発揮しなければならない。そのことをベースに、身体、技術、戦術的にも自分たちの持てるチカラを100%以上発揮する。そのための事前の心理マネージメントが、冒頭のトルシエ監督の「指示」に込められているというわけだ。彼は、最終守備ラインに、「どんどんとオフサイドを取るつもりで、思い切って上げて行け!」とまで指示を出したという。

 その戦術は、選手たちに最高レベルの「集中(考え続けること)」を要求する危険な賭である。最終守備ラインを上げれば、GKとの間の「決定的スペース」が、太平洋ほどに大きくなってしまう。もし中盤のプレスがうまく機能しなかったら、アルゼンチンのことだから、すぐにでもサイドチェンジやワンツーなどを組み合わせ、その「太平洋」に決定的なスルーパスを簡単に通してしまうことだろう。

 ゴールを奪われないまでも、もしそんなことが何度か続けば、最終守備ラインは「注意深く(消極的に?!)」なり、押し上げも「ぬるま湯」になってしまうかもしれない。そんな状態だと中盤のゾーンが中途半端に広くなり、アルゼンチンのボールの動きがより活発になるだろう。そして、日本代表が意図する中盤での「プレス」が完璧に空回りしてしまう・・。悪魔のシナリオである。

 それは、「オフサイドを積極的に取りにいく」ほど上がり気味の最終守備ライン、そして中盤の効果的なプレスとの「バランス」が、少しでも、本当にほんの少しでも乱れたら、すぐにでもプレーのリズムが崩れてしまうようなリスキーな戦い方だった。

 ただトルシエ監督は、「リスクテークのない(危険を犯さない)ところに成果なし・・」と、まるで意に介さず、選手たちに「超」攻撃的なプレー姿勢を要求する。

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 さて試合。最初の5分間が、心理戦争の序章である。そこで相手を「ビビ」らせた方がその後の試合を有利に展開することができる。そして案の定というか、日本代表のプレーからキックオフ直後の勢いが徐々に失われていく。

 相手のウマサは、グラウンド上の選手たちが一番良く分かる。何回か、強烈なプレス(ターゲットを絞った守備選手たちの集中)が、アルゼンチンの素早いショートパス交換で外されてしまう。そしてそのことが原因で、心理ダイナミズムのエネルギーレベルが徐々に低下していってしまう。

 現象面でもっとも明らかだったのが、中盤守備のプレスに空回りが目立ちはじめたことで、最終守備ラインの押し上げに、チョットためらう雰囲気が出てきたことだ。確かにボールを持つ相手には集中してプレスをかけるが、それが「相手が動かすボールを追いかける」というタイミングを失したものであるため、アルゼンチンの巧妙なパス回しに、簡単にプレスが外されてしまうケースが多く見受けられたのである。

 そこには、インターセプトや、相手がトラップする瞬間のアタックを狙ような、読みベースの(つまり「待ち構える」ような)クリエイティブ守備が出てこない。リスクチャレンジの守備が見えてこないのである。そして試合開始5分を過ぎた頃から、日本代表の中盤守備が、明らかに「後手、後手」にまわりはじめ、最終守備ラインにもその悪影響が及びはじめてしまう。

 また攻撃も、ボールがないところでの動きが緩慢で、単に前方に「ままよ!」のロングパスを放り込んだり、一発のスルーパスを狙うような「単発オフェンス」に終始する。

 「これはイカン・・ビビらずに思い切っていかなければ、このままアルゼンチンに完璧にペースを握られちゃう。ヤツらにボールを回させちゃダメだ・・」。そんなことを叫びそうになったものだ。

 正直なところ、「何だ、今までと何も変わっちゃいないじゃネ〜か。たぶんこのまま、心理的に押し込まれてしまい、足が止まって(技術・戦術的な)自分たちの持てるチカラを発揮できないままに悪魔のサイクルに入っちゃうんだろうな・・」と思っていた。ただそれは、ボクの見当違いだった。このチーム(選手たち)は、ボクの短絡的な思い込みをあざ笑うほどの心理パワーを備えていたのである。

 ギリギリのところで最終守備ラインが踏ん張る。アルゼンチンは、日本代表のプレスがきついこともあり、ショートパス回しだけではなく、時折、最終守備ラインからのロングパスにもトライするが、ほとんどのケースで、日本の最終守備ラインが確実なカバーリングやオフサイドトラップなどで対処してしまう。

 そして、堅牢な最終守備ラインに勇気づけられように、アルゼンチンの中盤でのボールの動きに対するアタックのタイミングも徐々に合うようになり、集中プレス守備が機能しはじめるのである。その立て役者が、ダブルボランチの石井と稲本だった。

 石井は、「次のパスターゲット」を堅実に密着マークし、稲本が、そのことで選択肢を狭められたパスコースを正確に予測することで、ダイナミックで効果的な「ボール奪取」を成功させはじめたのである。そして守備だけではなく、攻撃にも積極的に絡んでいく。まさに稲本は、チームにとっての「ポジティブな刺激」そのものだった。

 その変化は、25分を過ぎた当たりからだった。チーム全体に、「やれるゾ!」という自信が満ち満ちていくのを感じる。それこそ、ネガティブな心理状態から脱却することに成功した時間帯だったのである。

 もちろんアルゼンチンの攻めが単調になりはじめたということもある。ただボクは、日本の若武者たちが、自らのチカラで(自らを信じることで)心理的な悪循環を断ち切ったと表現したい。それこそ、彼らのハイレベルな「セルフ・モティベーション(自己動機付け)能力」の証明だったのである。

 そして前半42分の先制ゴール。その後の、「心理的には互角以上のゲーム展開」。それが、身体的、技術的、戦術的なチカラの・・を完璧に補ってしまう。

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 サッカーは心理ゲーム。心理状態は、一試合の中で何度もアップダウンを繰り返す。この試合では、ネガティブな心理状態に落ち込みそうになった日本代表が、何かフッ切れた感じで、自分たちの持てる以上の(技術・戦術的)チカラを発揮した(もちろんまだ、単独勝負という部分では大きな課題は残っているが・・)。

 「白い魔術師」、トルシエ監督の手腕も素直に評価すべきだろう。この試合では、トルシエ氏自身の「アグレッシブ・スピリット(攻撃的な姿勢)」が、そのままチームに乗り移ったといっても言い過ぎではないように思う。選手たち(のプレー内容)は、監督(の姿勢)をうつす鏡なのである。

 彼は、若き日本代表に、積極性(リスクチャレンジ)をベースにした『世界に対する自信』を勝ち取るチャンスを与え(積極的にモティベートし)、ある程度の成果を挙げた。

 世界との「(技術・戦術的な)最後の10%の差」を縮める「ヒント」が詰め込まれている「シークレットボックス」。「積極性」と「自信」は、そのフタを開くための唯一の「キー」なのである。

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 チャンピオンシップ第二戦目については、明日(1998.11.29=日曜日)アップデートの予定です。ご期待アレ・・・




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