トピックス


トヨタカップ・・レアルが競り勝つ(2-1)(1998年12月2日)

いや、実力が拮抗し、互いに秘術を尽くすような面白い試合でした。

 たしかにゴール前でのエキサイティングシーンがあまりなかったことで、競技場の盛り上がりは、拮抗した状況を「固唾を呑んで見つめる」といったものでしたが、それでも、レアルの「スリーバック(普段はフォーバック=一発勝負の試合ということでより確実な最終守備ラインシステムを選択)」とバスコの「フォーバック」の機能レベル、ボランチの活躍、そしてボールがないところでの騙し合い、競り合いなどなど、見所テンコ盛りといった内容でした。

 特に、先制点を奪われたバスコが、その後まったく戦術的な変更をしなかったこと。また同点弾をたたき込まれたレアルも同様に、まったく動揺することがなかったこと。そこらあたりに、世界の勝負を知り尽くした強者たちの「勝負に対する確信」の強さがうかがえました(戦術を変えても何も生まれない・・要はワンチャンスさえ・・)。

 私個人としては、レアル、イエロのカバーリング、レドンドの読みベース守備と攻撃の起点としての「ボールの動かし方」、ロベカルの攻守にわたるスピードとパワー、逆にバスコでは、中盤でのボールの動きがカッタルイにもかかわらず、ココゾッという場面では、どんどんと個人的な勝負を仕掛けていく姿勢などにも感銘を受けました。また後半に魅せた、バスコ、フェリピ、ラモン、ジュニーニョ、ドニゼッチなどが仕掛ける、「単独ドリブル勝負」「タメ」「そこからの決定的スルーパス」などの「個人技」主体の迫力攻撃にも、サッカーの本質的な魅力を感じたモノでした(久しく忘れていた感動が蘇ってきた?!)。

 とはいっても、この試合の最高のハイライトは、やはり「静かな展開」における「ボールがないところでの勝負」。それを象徴していたのが、ラウルの決勝ゴールです。

 このことについては、「マイクロソフトネットワーク(msn)スポーツ」でコラムを発表しましたので、その文章を添付します。今日は、私の本業(副業?!)が忙しく、これ以上書くことができません。また気付いたことがありましたら「トピックス」でアップデートします。ということで本日はこれまで。悪しからず・・

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 静けさの中の「興奮と感動」・・勝負は「ボールがないところで決まる!」

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 「ヨシッ、出たー!!」

 私は、思わずそう叫んでいた。

 後半37分、レアル・マドリッドの決勝ゴールのシーン。それは、このゲームの「隠し味」が凝縮されたゴールだった。

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 トヨタカップは、クラブレベルでの世界一を決定するゲーム。それも一試合のみである。選手たちは、世界頂点での、偶然と必然が織りなすドラマを何度も「体感」している強者たちだから、そんな「一発勝負」の怖さを痛いほどよく知っている。彼らは、一瞬のスキが雌雄を分かつことを心の底から理解しているのである。

 試合は、これ以上ないというほどの極限テンションを内包しているにもかかわらず、表面的には、まったく波立たない水面のような静けさの中ではじまった。互いに、探り合うように中盤での「注意深い攻防」を繰り返す。そこでは、ギリギリのリスクにチャレンジするようなプレイはあまり出てこない。選手たちは、チーム戦術(どのようなサッカーをするのかについての基本的な決まり事)をベースに、確実、堅実に、淡々とプレイを続ける。

 つい先日行われた、アントラーズ対ジュビロの「J」チャンピオンシップ。またアンダー21の日本代表対アルゼンチン代表のフレンドリーマッチ。そこでのドラマティック、エキサイティングな攻防を目の当たりにした観客は、その、あまりにも静かな試合展開に、ただ固唾をのんで見守るだけといった雰囲気だ。

 記者席に座っていても、ベンチからの指示や、グラウンド上で怒鳴り合う選手たちの声まで聞こえてくる。(有料入場者数が)5万人以上の観客をのみ込んだ国立競技場の雰囲気としては、異様なほどの静寂だった。

 それは、ゴール前でのエキサイティングシーンが少なかったからに他ならない。単独ドリブル突破でディフェンダーを置き去りにしてしまうようなプレイが出てこない。そして、相手ゴール近くで、フリーでパスを受ける選手もほとんど出てこない。

 中盤でボールを持った選手たちは(見た目には)安全第一といったパスを繰り返す。たしかにそれは、「表面的」には、エキサイティングとは言い難い展開だった。ただ、そんな静けさの中の「見えにくい」ところでは「ホンモノのエキサイティングドラマ」が展開されていた。そんな「隠し味」を楽しんでいた観客が何人いただろうか・・。

 そのドラマが、ボールがないところでのせめぎ合いである。

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 (他の多くのボールゲーム同様)サッカーでも、ボールがないところ、つまり「パスの受け手の動き(これもプレイ!)」で勝負が決まってしまうケースがほとんどだ。

 私は、「静かに」ボールが回されているときでも、パスを受けるための決定的な動きを仕掛ける「パスの受け手」と、その選手をマークするディフェンダーが繰り広げる、ギリギリの競り合いのドラマに酔いしれていたのである。

 右サイドのハーフウェイライン付近で、レアル・マドリッドのセードルフがボールを持つ。その瞬間、最前線にいたラウルが、バスコ・ダ・ガマ最終守備ラインのウラに広がる決定的スペース(つまり、バスコの最終守備ラインとゴールキーパーとの間のスペース)へ向けて爆発的なダッシュを仕掛ける。相手守備ラインの「ウラ」を突き、そこで、フリーでパスを受けようというのである。ただセードルフからタテパスは出ない。

 一度落ち着いたラウルが、足元でパスをもらうために、今度はセードルフに向かって戻り気味のダッシュを仕掛ける。当然、ラウルをマークするバスコのディフェンダーは、彼に付いていく。その瞬間、決定的な場面を作り出すチャンスが訪れる。一瞬、ラウルが最初にいた場所に、両チームの選手が誰もいない「スペース」が生まれ、そこへ、中央にいたミヤトビッチが、これまた超速ダッシュで入り込んできたのである。

 それは、ラウルの「スペースを作る動き」だった。ただ結局セードルフからは、走り込んだミヤトビッチにもタテパスが出ることはなかった。パスを出せる直前のタイミングで、相手ディフェンダーの包囲網にはまってボールを奪い返されてしまったのである。

 一瞬にして、決定的な「チャンスの芽」がつぶれてしまったわけだが、私は、そんなラウルとミヤトビッチの「ボールがないところ」での創造的な「パスを受ける動き(その意図)」だけではなく、それを確実、忠実にマークし続けたバスコ・ダ・ガマのディフェンダーの守備プレイ(予測をベースにしたクリエイティブな守備プレイ)にも感動していた。それこそ、クリエイティブ、エキサイティングな「ボールがないところでのドラマ」だったのである。

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 この試合では、そんな「ボール周辺での勝負シーン」がテンコ盛りだった。

 もちろん両チームともに世界の超一流だから、守備に回った選手たちが、そう簡単に「決定的パス」を通させてしまうはずがない。対する攻撃側は、傍目には退屈な「安全パス」を回しながら、猛禽類の鋭さで、相手マークの一瞬のスキを狙う味方(パスの受け手)の「動き」に全神経を集中させる。

 パスの出し手と受け手、そしてそれをマークする守備。そんな彼らの「駆け引き」が面白くて仕方なかった。

 さて、冒頭のシーンである。

 ハーフウェイラインから15メートルは自陣に入ったところで、レアルのセードルフがパスを受け、しっかりと周囲に目をはしらせる。その瞬間、最前線にいたラウルが、一度、戻り気味の動きを入れる。当然マークする相手も付いてくる。ボールを持つセードルフの目は、ラウルの動きをしっかりととらえている。その瞬間、この二人の「次のプレイに対するイメージ」がシンクロ(調和)した。

 その「一連のアクション」が脳裏に焼き付いて離れない。私の目は、ボールを持ってルックアップ(周りを見ること)するセードルフと、最前線で、パスを受けるために動くラウルを同時にとらえていた。

 「二人の視線が合った!」。と、思った瞬間、ラウルが勝負のアクションを起こした。一度戻り気味に動いた彼が(事前のフェイント動作)、今度は、バスコ・ダ・ガマの最終守備ラインの「ウラ」に広がる決定的スペースへ向けて爆発的なダッシュを仕掛けたのである。この「前後に揺さぶる動き」に相手ディフェンダーはついていけない。

 そして、「ヨシッ、出たー!!」という、セードルフからのピンポイントロングパス。ボールを受けた時点で、ラウルはまったくのフリーだった。

 それはラウルとセードルフによる、えも言われぬ、美しい「イメージ・シンクロ」プレイだった。

 ラウルは、「これが世界レベルの落ち着きさ!」とでもいわんばかりに、追いついてきたバスコのディフェンダー二人をエレガントにかわし、クールに決勝ゴールを決めてしまう。「世界の才能の証明」とでもいえるゴールは見事ではあったが、私は、その直前に展開された、セードルフとラウルの「次のプレイに対するイメージ」が完璧にシンクロした「ボールがないところでのドラマ」の方に酔いしれていたのである。

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 後半の中盤を過ぎたあたりから、バスコの才能溢れる左サイドバック、フェリピ、中盤のラモン、ジュニーニョたちが、「タメ」や「単独ドリブル突破」など、個人技を中心に何度もレアルゴールを脅かす。逆にレアルも、カウンター気味の迫力攻撃を仕掛けていく。ただ私は、そんな白熱してきた雰囲気のなかでも「ボールがないところでのドラマ」に目を凝らし続けていた。

 そのハイライトが、ラウルのゴールだったのである。

 タイムアップのホイッスルが吹かれた瞬間、レアルの選手たちが、それまでのハイテンションから解き放たれたように、天に向かって拳を突き上げ、互いに包容しあう。その歓喜のアクションには、熱くたぎるモノを内包しながらも、最後まで極限の集中力を切らさず、「静かなバトル」を戦い抜いて勝利を収めたピュア・プロフェッショナルたちの、至福の達成感が込められていたのである。

 ところで、帰宅後に、録画しておいたビデオを見たのだが、そのカメラワークに納得がいかなかった。今年のフランスワールドカップの中継では、カメラ映像を「引き気味」にしていたから、ボールがないところでのドラマまでもある程度堪能できたのだが、今回のテレビ中継では、カメラ映像がボール周辺に寄りすぎる傾向が強かったため、本当のエキサイティングシーンが画面に映し出されないケースが目立っていたのである。

 ラウルのゴールにしても、彼が画面に飛び込んできたのは、セードルフからのロングパスが出され、そのパスを彼が受けた直後からの場面だけ。たしかにラウルの「才能ゴール」は楽しむことはできたが、そこに至るまでの「ボールがないところでの騙し合いのドラマ」がまったく映像でとらえられていなかった。

 テレビ観戦には限界がある。やはりサッカーは、スタジアム観戦が一番なのである。




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