The Core Column


The Core Column(26)__半月板(その損傷)という厄介者・・長谷部誠の場合・・(2014年2月25日、火曜日)

■長谷部誠のアクシデント・・そして英断・・

日本代表のキャプテン長谷部誠が、1月17日に、日本で半月板の手術を受け、つい先日の2月19日にチームトレーニングに復帰したと聞いた。

右ヒザ外側の半月板の損傷。もちろん、内視鏡手術で、損傷した部分を摘出したのだろう。

長谷部誠がアクシデントに見舞われたのは、スペイン合宿中の2014年1月14日。そこで行われた、対ステアウア・ブカレスト親善マッチでのことだった。そして、その3日後には、帰国して手術を受けたのである。

長谷部誠は、現地でのMRI検査の結果について、信頼できるチームドクターと(監督、アドヴァイザーやマネージャーなども含めて!?)話し合い、すぐに日本へ飛ぶことを決断したということなのだろう。

そして、彼がもっとも信頼する日本人ドクターに「ヒザ」を委ね、アクシデントの一ヶ月後にはチームトレーにニングに復帰した。

どのようなタイプの半月板損傷だったのか、詳しくは知らないが、その後の、物理的、心理・精神的なリハビリも含め、まさに電光石火の(プロフェッショナルな!)英断だったと思う。

■半月板の損傷とは・・

半月板の損傷。それは、サッカー選手につきまとう持病ともいえる。

あっと・・、まず簡単に、半月板のことを説明しておこう。

半月板は、モモの大腿骨と、スネの頸骨の間にある軟骨であり、両方の骨が、直に接触するのを防ぐだけではなく、四本のじん帯とともに、ヒザの安定性を確保する役割も担う。

要は、クルマの足回りでいう、ショックアブソーバー的な機能を果たしているということだ。ジャンプ着地のショックを和らげ、ヒザの動きを安定させるための緩衝装置なのである。

でもその半月板に、急に、大きく「複雑な」負荷が掛かったら、危ない。

動きが複雑なサッカーの場合、垂直方向や水平方向の負荷と同時に、回転するチカラも掛かったりするのだ。だから、半月板の部分的な損傷というアクシデントを引き起こすケースが多い。それが、始末に負えない。

ここでいう「損傷」だけれど、それには、タテやヨコ方向の断裂、亀裂、剥離、はたまた表面が「ささくれ立つ」などなど、多くのタイプがある。そして、その損傷内容に応じて、保存的療法から手術まで、様々な処置がとられるのである。

そして、「これ」が、もっとも大事なポイントなのだが・・。

それは、半月板は軟骨であり、血管が(外周の一部を除いて)通っていないことで十分な栄養が供給されないということだ。そのことで、ほとんど自然治癒は望めないのである。

まあ、将来的には、「iPS細胞」や「STAP細胞」によって、半月板を「再生」できるようになるかもしれないけれど・・。

■ヒザの半月板損傷・・それは筆者も経験した・・

かくいう筆者も、ドイツ留学時代、半月板のトラブルに見舞われた。

忘れもしない。スペシャル(プロコーチ)ライセンスのドイツ国家試験に合格し、最終的に日本へ帰国しようとしていた1981年4月のことだった。

人工芝のグラウンドでミニサッカーに興じていたとき、相手のタックルをジャンプしながらかわし、着地するのと同時にボールを左へ切り返そうとした。

そう、着地と、ひねり(回転)動作を、同時にやろうとしたのだ。

そのとき突然、「ボキッ!」という異音とともに、右ヒザが「ズレ」た。

激痛が走り、立ち上がれなくなった。すぐに知り合いのドクターに診てもらい、半月板と、前十字じん帯の部分的損傷だと見立てられた。

後に、半月板が、外周に沿って断裂剥離したことで、手術しか治す方法がないと診断されることになるのだが、それまでには紆余曲折があった・・。

もちろん、手術などイヤだ。それに、その「事件」の2週間後には、日本へ(最終的に!)帰国する予定だったんだ。

格安チケットだから(もちろんアエロフロート)、キャンセルなどできはずがない。

フ〜〜ッ・・。

知り合いのドクターや友人たちに相談し、結局、そのまま帰国して(もし必要ならば)日本で治療を受けるのがベストだということになった。

でも、日本に帰り着いた頃には、徐々に、ヒザの腫れや痛み(膝の内部組織の炎症)も治まりはじめていたのだよ。

だから、病院へ行くのを先延ばしにし、筋トレやストレッチなどでダマしながらプレーをつづけることにした(そう、保存的療法だ)。

でも、そんな中途半端なやり方がいけなかった。その後も、際限なくヒザのトラブルに見舞われることになるのである。

■半月板損傷という、厄介なトラブル・・

本当にそれは、一筋縄ではいかなかった。

前十字じん帯の部分損傷が癒えていなかったこともあって、半月板の断裂剥離した部分が、例えば着地の際などに、ある特定の方向や種類のチカラが掛かることによって簡単に「ズレ」てしまうのだ。

本当に「軽いチカラ」でも、その方向や種類によって、まさに滑るように、「ズルッ」ってな感じで、ヒザの上下の骨(大腿骨と頸骨)がズレてしまうのである。

そのことで、ヒザの内部組織が炎症を起こす。そして、ヒザ全体が腫れたり、「水」が溜まって動かせなくなってしまうのだ。

もっとも厄介だったのは、いつ「ズレ」るか分からないことに対する恐怖心だった。

とにかく、変なチカラが掛かったら、それがいくら小さなモノだったとしても、滑るように「ズレ」てしまうのだよ。また日常生活でも、階段などでのちょっとした不正な動きで「滑ってしまう」ことだってあった。

サッカーでは、ボールと両チーム選手の動きに常に気を配る。だから、ヒザへの「チカラの掛かり方」までも制御するのは難しい。でも怖いから、気になる。

そんなだから、意識が散漫になってプレーが縮こまってしまうのも道理。そして、そのことによる心理的なストレスは、大きな負担になっていった。

■そして結局は手術することになったのだが・・

「まあ、オレに任せてくれよ・・」

あるとき、高校時代の友人から、整形外科の医師を紹介された。ある病院の整形外科部長をやっているということだったけれど、その先生がヒザを診てくれるというのだ。

気は進まなかったけれど、「それじゃ、取り敢えず、検査だけでもお願いできますか・・?」と、彼の病院を訪ねることにした。

そして検査の結果、手術するのが最善の方法ということになったのである。

それは、部分断裂し、剥離している半月板の部位を切除し、ヒザの安定性を取り戻すことを主眼に置いた手術だった。

執刀してくれたのは、その整形外科医の方と、彼の母校からヘルプにきた、ヒザ専門の整形外科の先生。

でもそれは、ヒザを、メスで「大きく開く」外科手術だった。

当時は、そんな外科手術から内視鏡手術への「移行期」に当たっていた時期だった。だから、まあ、仕方ない成りゆきだったとは思うのだが・・。

■福林徹先生・・

その頃の私は、既に、読売サッカークラブで、(ユース監督など)契約コーチとして仕事をはじめていた。

だから、その手術によって、あまり気を遣わずにプレー(コーチ)できるまでにヒザが回復したことを感謝していた。でも・・

そう、ヒザ前十字じん帯の損傷(部分断裂!?)というトラブルが、まだ解決していなかったんだ。

だから、ヒザが十分に安定せず、その後も何度か、ヒザが「ズレ」るアクシデントに見舞われつづけたんだよ。

そうこうしているうちに、トップチームのコーチに「も」就くことになるのだが、そのことで、病院を訪れるための時間と気持ちの余裕をもつことができない。

とにかく、そのときの私は、ダマし、ダマしプレーを(コーチの仕事を)つづけるしかなかったのだ。

そんなときに知り合ったのが、トップチームのチームドクターも務めていた東大の福林徹先生だった。

今では、押しも押されもしない整形外科のトップドクターだし、日本代表のチームドクターや日本サッカー協会のアドバイザーとしても、また、日本のスター選手たちの「個人的なアドバイザー」としても勇名を馳せているから、ご存じの方も多いだろう。

そんな福林徹先生に、ヒザの問題を相談したというわけだ。もちろん彼は、快く引き受けてくれた。

「どうして、最初からオレのところに来なかったんだ・・こんなに大きくヒザを開かれちゃって・・」

最初に私のヒザを診たときの、福林徹先生の第一声だった。彼がヒザを診てくれたのは、たまにゲストドクターとして処置(オペ)室を借りる、都内の病院。

「そんなことを言ったって、あの頃は、まだ先生のことを知る由もなかったんだから・・」

私よりも四つ年上の福林徹先生とは、同郷(神奈川県)というだけではなく、そのパーソナリティー(人格、人間性・・)にシンパシーを感じていた(もちろん敬愛していた!)こともあって、すぐに意気投合した。

そして私は、オペ室で、まな板の鯉になったという次第。

設置されていたのは、新型の内視鏡ユニット。それは、有名な福林先生の意見を聞こうと、メーカーが、テストも兼ねて貸し出した新型の機械だった。

また、そのとき手術室には、メーカーの関係者だけではなく、多くの「見学ドクター」も詰めかけていたっけ。ということは、体のいい人体実験!? あははっ・・。

「そうだな〜・・オマエの場合は、切れた前十字じん帯が溶けて無くなっているからな〜・・」

えっ!? 前十字じん帯が、溶けて無くなった!?

何度も、ヒザがズレるアクシデントを繰り返しているうちに、部分的に断裂していた前十字じん帯が、治るどころか、逆に完全に切れてしまったらしいのだ。

「もちろん別のところから、じん帯を引っ張ってきて復活させることは可能だけれど、そうなったら、数ヶ月は入院しなければならない・・それじゃ、トップチームの仕事をつづけられなくなるよな・・まあ、今のところは、様子を見ることにしよう・・」

福林徹先生は、そのときの内視鏡手術では、ヒザのなかに残っていた「損傷した半月板のカケラ」を取り除くだけで、それ以上半月板を「イジる」ことはしなかった。

たしかに今でも、サッカーやスキーなどでヒザを酷使すると、翌日に腫れてしまうことはあるけれど、こちらも、前十字じん帯の断裂や半月板損傷との「つき合い方」が上手くなったことで(!?)、状況は、かなり「落ち着いたモノ」になっていった。

まあ、これからも、半分壊れているヒザや、その他の身体の「痛み」などと相談しながら、それらと上手く「つき合って」いくしかない。

■とにかく半月板の損傷というアクシデントは厄介なんだ・・

何か、私の身の上話のようになってしまったけれど、このコラムでは、半月板の損傷が、サッカー選手にはつき物の、とても厄介なトラブルであり、対処を誤ったら、物理的にだけではなく、心理的トラブルに「も」苛まれるということが言いたかった。

ホントに厄介なんだよ・・半月板は・・。

まあ、長谷部誠の場合は、トップエキスパートによる(即刻の手術などの!)適切な診断と、彼らの入念なプログラムによる、術後の効果的なリハビリも功を奏したということなんだろう。

そのリハビリでは、(手術翌日からの!)筋トレなど、物理的なトレーニングは当然として、それ以外にも、不安解消のための心理・精神的なトリートメントも特に大事になってくる。

そう、ステップバイステップで、どんなチカラが掛かっても大丈夫だという確信を深め、「恐怖の滑り感覚」から心理を解放していくのである。

まあ長谷部誠の場合は、そんな、「ヒザ関節がズレる恐怖感」に苛(さいな)まれるようになる前に、手術に踏み切ったということなんだろうけれど・・。

だから、まさにプロフェッショナルな英断だと思ったわけだ。

長谷部誠については、彼が復帰してから、もう一つストーリーを書こうかな。

何せ、移籍したニュールンベルクでは、攻守にわたって、効果的な「汗かきハードワーク」もこなせるゲームメイカーとして抜群の存在感を発揮しているからね。

互いに使い、使われるメカニズムへの深い理解とか、(それに基づいた!?)攻守にわたる全力ダッシュの量と質とか、彼については、本当に様々な視点でのディスカッションが展開できるのだよ。

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「The Core Column」の全リストは、「こちら」です。

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 重ねて、東北地方太平洋沖地震によって亡くなられた方々のご冥福を祈ると同時に、被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。 この件については「このコラム」も参照して下さい。

 追伸:わたしは”Football saves Japan”の宣言に賛同します(写真は、宇都宮徹壱さんの作品です)。

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 ところで、湯浅健二の新刊。三年ぶりに上梓した自信作です。いままで書いた戦術本の集大成ってな位置づけですかね。

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