My Biography


My Biography(54)_大ケガ(その4)・・(2015年11月5日、木曜日)

■手術・・

「アナタの手術は、全身麻酔で行います・・いま、プロフェッサーがきて説明しますからね・・」

担当医が、そう言った直後、当のプロフェッサーがやってきた。優しい、ちょっとラテンの香りを感じさせる(!?)まなざし。まあ、スペイン人だから当たり前だけれど・・。

「キミは体育大学に留学している日本人だってね・・私にも、日本の友人がいるよ・・彼らは、例外なく、とても優秀だよね・・それに、誠実で謙虚だ・・私は、日本ファンなんだよ・・とにかく、心配せず、私に任せておきなさい・・必ず、良い結果を出すからね・・」

力強い言葉だった。それを聞いて、ものすごく落ち着き、権威に裏打ちされた言葉が秘めるパワーを体感させられていた。

まあ、平たく言うと、スペイン人プロフェッサーの自信と確信、そして優しそうな人間性が、「何となく」心に入ってきたことで、ホッと胸をなで下ろしていた筆者だったというわけだ。

そして、プロフェッサーと初対面の会話を交わした後、まず看護師の彼女から、一本の注射を打たれた。たぶん、全身麻酔をほどこす前段階の「軽い麻酔注射」だったと思う。徐々に、全身の感覚が「鈍く」なっていった。

手術室。

動き回っている何人ものスタッフの一人が近づいてきた。たぶん「麻酔医」だろう。

「さて、打とうか・・この麻酔注射は、脊髄(せきずい)に直接入れるんだけれど、正確に打ち込まなきゃいけないから、できるだけ動かないように意識してくれよナ・・」

彼も、私が体育大学の留学生だと知っている。

だから言葉も、学生に対する教師のような感じになるのだろう。そのときの私にとっては、その方が有り難かった。とにかく、彼らに全てを委ねるしかなかったわけだから。

「はい、できる限り、動かないようにします・・」と、わたし。

でも結局、針を打ち込むときに「ビクッ」としてしまった。痛みからではなく、恐怖からだ。そのとき、その先生(麻酔医)が、強い口調でたしなめるんだよ。

「ダメだ、ダメだ・・それじゃ打てないじゃないか・・言っただろ・・とにかく、動かないように、自分でコントロールするんだっ!!」

「ウ〜〜ッ・・」

そして、次の瞬間、スッと意識が遠のいた。

■術後・・

意識が戻ったときには、すでに病室のベッドに寝かされていた。もちろん手術のコトなんて、まったく覚えていない。そのとき、例の看護師の彼女が病室に入ってきた。

「あら・・気がついたのね・・手術は成功したわよ・・良かったわね」

「ウ〜〜ッ・・」

そして翌日、プロフェッサーが、レントゲン写真をもって病室にやってきた。

「どうだネ、調子は・・キミの足首だけれど、コレが今の状態だよ・・」

そう言ってから、レントゲン写真に写し出された足首の状態を事細かに説明してくれた。

そこには、足首を支えるサポート骨(腓骨)を包み込むように取り付けられた「真っ白」な金属プレートが写っていた。もちろん、6本の「真っ白い」ボルトも一緒に。

そのボルトだけれど、一つ一つに刻まれている「スクリュー部分」も明確に視認できた。

「こんなヤツが自分の身体の中にあるのか〜・・」。そんなことを考えたとき、ちょっとした違和感と心配に苛(さいな)まれたものだった。

・・ホントにサッカーができるまでにオレの足は回復するんだろうか・・

ところで、プロフェッサー。

いまの足首の状態をひとしきり説明した後、その手術がいかに難しく、自分がいかに上手くやったか・・なんていう自慢を、延々と語りつづけるんだよ。

もちろん、彼のハナシの全てが分かるわきゃない。だから、「・・フンフン、ナルホド〜・・それはスゴイ・・サスガにプロフェッサー〜・・」などと、調子を合わせたっけ。

そして、そんなやり取りを聞いていた看護師の彼女が、プロフェッサーが帰った後に、こんなコトを言うんだよ。

「プロフェッサーは、とても機嫌が良かったね・・あんなに楽しそうにしゃべる彼を見るのははじめだったよ・・それにしてもアンタ・・うまく調子を合わせて いたじゃない・・まあ、プロフェッサーが上機嫌でしゃべりまくっていたのには、アンタの態度もあったよね・・聞き上手ね・・それに、プロフェッサーは日本 が大好きだしさ・・」

そんな彼女の言葉を聞きながら、ちょっと良心の呵責を覚えていたっけ。何せ、ほとんど理解していないにもかかわらず、プロフェッサーを褒め称えたんだからサ。そんな自戒を口にしたとき・・

「いや・・いいんじゃない・・彼も気持ち良かったんだから・・」

看護師の彼女も、そんなふうに「軽く」受け流した。

まあ、そういうコトなんだろうけれど・・

■松葉杖と入院生活・・

プロフェッサーが帰った後、リハビリ担当のスタッフが、病院内を動き回れるようにと、松葉杖をもってきてくれた。

この松葉杖には、退院後も長くお世話になったのだが、それは、見たことがない形状をしていた。

日本の松葉杖は、脇の下にサポート部を入れ、そこで支えるような形状をしている。でも彼がもってきてくれた松葉杖は、とても短く、プラスチック製で、手と前腕部の「二点支持」タイプだった。まあ、松葉杖と言うよりは、ステッキの機能性に近い。

もちろん、すぐに使い方はマスターした。そして、この「ステッキ」の使いやすさが気に入った。

「ヒジ関節」を存分に活用できるから、松葉杖と比べて、可動性が段違いに大きいのだ。もちろんウデのチカラが要るわけだけれど、その分、運動性能がアップするというわけだ。

まさにスポーティーな松葉杖。日本では、「オープンカフ・タイプの松葉杖」などと呼ばれているらしい。

そのタイプでは、ステッキの上部が「オープン形状」になっていて、そこに、ヒジと手の間の「前腕」をスポッとはめ込む。そしてその状態で、手でグリップを掴んで支持するっちゅうわけだ。

その「スポーティー松葉杖」を手に入れてからというもの、病院内での活動範囲が、まさに何百倍にも広がった。

そのスポーツステッキを駆使し、まさに隅から隅まで、病院のなかを探検したんだ。また、立ち入り禁止とは気付かずに侵入し、「ここにはダメッ!」なんて追い出されることもしょっちゅうだった。

病院内のトレーニングジム(リハビリ施設)でも、ダイナミックな訓練で目立っていたから、すぐに有名になった。それは、もちろん足首を使わない全身トレーニングだ。

そんなだから、たまにリハビリ医から、「あまり激しく動かないでくれる!?・・他の患者さんが威圧されてしまうからサ・・」なんて注意されることもあった。

ことほど左様に、有り余るエネルギーを健康的に消費していたから、手術から一週間もすると、病院内では知らない人がいなくなった・・と思う。へへっ・・

またその背景には、1メートル90もある日本人というだけでも目立つわけだけれど、ウリやベアーテ、また、超有名人の奥寺康彦、サッカークラブや体育大学で知り合った多くの友人達が、ひっきりなしに通ってくれたこともあった。

もちろん脚には、膝下まで届くギプスをはめられていたわけだけれど、見舞いにきてくれた友人たちは、例外なく、そこにサインしていく。

そんなだから、二週間も経った頃には、真っ白だったギプスが、真っ黒になってしまった。

そんな「身体のデカい日本人」のウワサは、もろちん、執刀してくれたスペイン人プロフェッサーの耳にも届いていたに違いない。

他の医者や研修医、看護師たちを引き連れた回診行脚では、プロフェッサーに、こんなふうにからかわれたこともあった。

「キミは、とても真面目にトレーニングしているそうだね・・どんなトレーニングだい?・・そうか、主にウェイトトレーニングか・・そこじゃ、サイドステップなんかもやるんだろ?」

「えっ!?・・サイドステップ(ドイツ語では、ザイテンシュプルングという)ですか〜!?・・いまはまだ無理ですが、そりゃ、やりますよ・・機敏性をアップさせるためとかですよね・・」

その瞬間、プロフェッサーを中心にした「大名行列」が、笑いで弾けた。ドイツ人は、概して声が大きい。だから、その「爆発的な笑い声」は、病院全体に響きわたっていたはずだ。

もちろん私には、どうして皆が笑い転げているか、さっぱり分からない。

「エッ・・!?」

そして、キョトンとする私に、例の看護師が耳打ちしてくれるんだよ。

「あのネ・・ザイテンシュプルングっていうのは、ドイツ語のスラングで、浮気するっていう意味なのよ・・」

フ〜〜ッ・・

とにかく、それからというもの、プロフェッサーが回診するたびに、別な病室からも、「プロフェッサー!!・・わたしも、ザイテンシュプルングでトレーニングしているよ〜っ!!」なんていうジョークが飛び交ったこともあったっけ。

そんな「楽しい!?」入院生活も、一ヶ月が過ぎる頃には終わりを告げることになる。

さあ、これから、スポーツステッキ(松葉杖)を使った日常生活がはじまる。

(つづく)

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これまでの「My Biography」については、「こちら」を見てください。

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 重ねて、東北地方太平洋沖地震によって亡くなられた方々のご冥福を祈ると同時に、被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。 この件については「このコラム」も参照して下さい。

 追伸:わたしは”Football saves Japan”の宣言に賛同します(写真は、宇都宮徹壱さんの作品です)。

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