My Biography


My Biography(9)__エピソード・・鈴木中先生、そしてロッキー(その2)・・(2013年10月30日、水曜日)

■自分の「心の深層」に入り込む・・

「アンタ・・なんで黙っているの?」

『彼女』が、その優しい表情とはかけ離れた、鋭い口調をブチかましてくる。

「・・ちょっと、自分のなかに偏見があるって意識してしまったモノだから・・」

「フ〜ン・・やっぱりアンタも、心のなかの壁は、厚いんだね・・でもサ、そのことを意識できるだけでも、アンタが素直でいい人だって分かるわよ・・なかには、私のことをあからさまに蔑(さげす)んだりする人も多いからね・・」

「あっと・・もっとヒドイ人たちもいるのよ・・心のなかでは蔑んでいるくせに、そのことをオクビにも出さず、表情や話し方なんかも、とても上手くつくろうヤツら・・」

「そしてサ・・まったく平静を粧(よそお)って会話をつづけられるヤツら・・自分にウソをつくことに慣れ切っている人たちね・・そんなヤツらは、もっとタチが悪いんだよ・・」

「でもサ・・私たちはダマされない・・そんな人たちの心の奥底なんて、簡単に覗(のぞ)き込めるだけの経験は積んでいるからね・・だから逆に、余裕をもって、そんな人たちにでも、楽しい時間を過ごしてもらえるんだよ・・」

「まあ、ある意味じゃ、だまし合いということなのかもしれないけれど、ものすごく優しくおだてて、これ以上ないほど気持ちよくさせてあげるんだ・・あの人 たちが、日頃のプレッシャーを忘れるための癒しを求めているのは分かっているし、それを提供できるのが私たちの価値だからね・・」

「あの人たちは、ある意味じゃ、自分に正直になれない・・というか、正直になっちゃいけない可哀相な人たちなんだよ・・だから、ここでしかできない私たちとの本音の会話を、心から楽しんでもらっているというわけさ・・」

そのときは、言われている意味がよく分からなかった。でも、後から思えば、腑に落ちる。

『彼女』たちは、社会の「底辺」で、逞(たくま)しくサバイバルしている。そう、社会の隅に押し込まれているからこそ解放されたパーソナリティー・・

そんな究極の本音の世界に生きているからこそ、「人間性のウラ」までも手に取るように見えるし、どんな人たちに対しても、魅力的な時間を提供できる。

「シュガーボーイ」が、流行るわけだ。

ところで、その『彼女』、名前は何といったっけ。

もちろん、ステージネームのことだけれど、思い出せない。

そのとき、何か、とても残念で後ろめたい気持ちに包まれた。

『彼女』からは、自分自身の深層を見つめることと、その大事さを教えられた。それは、とても素敵な刺激だったんだ。

ロッキーは、そんな人たちと一緒に仕事をしている。そのとき、ロッキーに対する興味が、何百倍にも膨れ上がった。

早く、登場してきてくださいよ、先輩・・

■そして、心のなかの何かが変わっていった・・

そのときの『彼女』との会話だけれど、話しているうちに、徐々に違和感がうすれていったと感じた。いや、というよりも、その違和感が、「何か」によって中和されたというか・・

たぶん、自分自身のなかの「偏見」を、強烈に意識「させられた」ことで(逃げ場を失ったことで!?)、逆に、その偏見の「呪縛」から解放されはじめたのかもしれない。

そして、自分の「中身」をダイレクトに観察すればするほど、自分が、「建前」によって楽に生きてきたことを意識せざるを得なかった。

今から考えれば、それは、ドイツの日常生活で繰り返し体感しつづけた厳しいカルチャーショックに似ていたとも思えてくる。

要は、『彼女』の中身を直視できるようになったことで、まったく健全な、普通の人と何ら変わらない一つの人格として自然に受け容れられるようになっていったっちゅうことなんだろう。

まあ、そのときは、もう、それ以外に逃げ場がなくなっていたわけだけれど・・

ということは、『彼女』に会った最初は、その人格を否定していた・・!?

ちょっと恥じ入り、そして逆に、本心から恥入ることができる(!)自分に、何となく気持ちが軽くなっていったことを思い出す。

とはいっても当時は、『彼女』が、日本社会の「はぐれ者」だったことは厳然たる事実だ。

たしかに今では、ゲイの人たちの社会的な立場はポジティブに確立しつつあるけれど、何といってもそれは、1970年代半ばのハナシだったわけだから・・

「はぐれ者」だったゲイの人たち。彼らのほとんどは、私とは比べものにならないくらい敏感で優しく、そして逞しかった。

そんな彼らは、日本的なタブーによる「縛り」など、ほとんど気にしていなかっただろうから、社会生活で忍耐を重ねるサラリーマン客たちが、(前述したように!)手玉に取られるのも道理だった。

「アンタ、そんなミエばっかり張ってたら疲れるんじゃない。ミエなんか放っぽりだして、裸になっちゃいなさい。そしたら楽になるし、ホントの友達も出来るわよ〜・・」ってな具合。

それでも客は、例外なく、そんな本音の会話を心から楽しんでいる。

そこは、抑圧されたサラリーマンたちが、日常生活の呪縛から解き放たれる「際の別世界」だったんだろうな。

■やっと、ロッキー登場・・

そんな私たちを、2時間以上も待たせて、ようやくロッキーが登場した。

黒のタイツ姿。シェイプアップした体躯。髭をたくわえた精悍な顔つき。まさに、ダンスのプロっちゅう雰囲気がプンプンだ。

彼が登場した次の瞬間、店内が、拍手と歓声に包まれた。

・・ロッキーッ!!・・ ロッキーッ!!・・ ロッキーッ!!・・

チュンさんが言っていたとおり、その道では、すでに「超」のつくスターのようだった。ロッキーは、チュンさんと私に、軽く会釈してから、楽屋に入っていった。そう、颯爽(さっそう)と。

そして、再び20分ほど待たせてから、やっとショーがスタートした。

それは、派手な衣装に身を包んだゲイの人たちが(1人か2人は普通の女性も混ざっていたらしいけれど・・)、ダンス、歌、寸劇などを繰り広げる壮大なパフォーマンス。

私は、ユーモアセンスもたっぷり詰め込まれたバラエティーショーに入り込み、そして心から楽しんでいた。

それは、本当に、「本音で」楽しめるショーだった。人が集まるはずだし、どんなに待たされても、帰らずにロッキーを待望する気持ちがよく分かった。

ショー、店の雰囲気などなど、それら全てはロッキーが演出した・・と思う。

ショーの途中で、演出家のロッキーが私たちのテーブルにやってきた。そのとき、本当に、後光が差しているように感じた。

そして、湘南高校サッカー部の先輩に、こんなレベルを超えた人がいることを誇りに感じていた。

■そして、朝・・

ショーが終わったのは夜中の1時をまわっていた。

「そ〜なんだ〜・・キミは、これからドイツへ行くんだ〜・・」

前にも書いたけれど、『そ〜なんだ〜』は、ロッキー得意のフレーズなのだ。

それは、今も変わっていない。何故だか分からないけれど、そこには、相手を惹きつける独特の響きがある。

「とにかく頑張ってネ・・人生は一度キリなんだから・・」と、ロッキー。

私にとっては、ロッキーの生き様に肌で接することができただけでも大収穫だった。だから、そんな(表面的な!?)励ましなんて必要なかった。

・・頑張れって言っても、ヤルのはアンタだからサ・・あとは、もう誰にも甘えずに、1人でやるっきゃないよね・・まあ、とにかく自分が納得するまで、せいぜい気張れよ・・

私は、ロッキーの言葉のウラに、そんな隠されたメッセージを感じていた。

彼は、日本社会の「既製品レール」から外れ、そして、その周辺で(そのレールを、したたかに利用して!?)社会にとって価値のある(!?)エンターテインメント文化を創造している。

結局レールなんて必要ないじゃないか・・

私は、ロッキーの「ウラのメッセージ」を感じながら、自分決めた進路が間違っていないという思いを強くしていた。

もちろん、そんな素敵な機会をつくってくれたチュンさんに、心から感謝していた。ロッキーに紹介するというアイデアは、私にとって、これ以上ないほどの価値があった。

その後は、勇気づけられて気持ちよくなったこともあるのだけれど、酒を飲み過ぎ、一人だけ伸びてしまったようだ。恥ずかしい・・

頬をパンバンと叩かれて目が覚めた。気がついたら、ソファーのうえで寝転がっていた。だらしがないことこの上ない。起こしてくれたのは、例の『彼女』だった。

朝の五時だったけれど、六本木には、まだ開いているキャフェがあるというので、チュンさん、ロッキーと連れだって「シュガーボーイ」を出た。

キャフェでは、あまり会話は弾まなかった。そこにいたのは20分ほどだったろうか。まずロッキーが、「さて、帰って寝ようかな・・」と、席を立つ。

私も、チュンさんが、朝の九時から会議があるというので、いっしょに始発で帰ることにした。

「とにかく、不安になったらいつでも店においで・・あっ、そうか。明後日からはドイツか・・まあ、なにかあったら手紙でも書いてちょうだい・・」

ロッキーは、そう言うと、振り返らずに手だけ振り、颯爽(さっそう)と駐車場へ戻っていった。

カッコ良いことこの上ない。オレもいつかは、そんなカッコ良さを身につけてやるぞ・・そう思った。

ロッキーがプロデュースする店には、プロのコーチライセンスを取得してドイツから帰国した後にも、何度も足を運んだ。

当時のロッキーは、いくつもの店のプロデュースや、ショーの振り付け、また有名な歌手のステージもプロデュースしていたのだが、そのことについては、また別の機会に触れることにしよう。

とにかく、陸送という仕事と、ロッキーの生き方に接したことが、当時の私の、「大丈夫、なんとかなるサ・・」という確信のバックボーンだった。

(つづく)

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これまでの「My Biography」については、「こちら」を見てください。

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 重ねて、東北地方太平洋沖地震によって亡くなられた方々のご冥福を祈ると同時に、被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。 この件については「このコラム」も参照して下さい。

 追伸:わたしは”Football saves Japan”の宣言に賛同します(写真は、宇都宮徹壱さんの作品です)。

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