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2014_W杯(25)・・日本人一世の方との会話・・そして最後まで悩まされたレンタカー・・(2014年7月3日、木曜日)

いまは、レシフェに戻り、飛行機を待っているところです。

ところで昨夜のことですが・・。

「Gravatá」に住む友人と、その街の唯一の「日本料理店」で夕食をともにしました。まあ、寿司がメイン料理ですかね。

レシフェでも、何度か、食べ放題の寿司レストランに入ったのですが、とにかく「ブラジル風のアレンジ寿司」に目を白黒させていました。

また、ブラジル人たちが食べる、半端じゃない量にも目を白黒。そりゃ、肥えるはずだ。

もちろんスマートな人たちも多いけれど、太った人たちの「メタボ度」が半端じゃないんですよ。まあ、余計なお世話かもしれないけれど、少しは「糖分」の摂取量や、食事の絶対量をコントロールしたら・・なんて言いたくなっちゃうのです。

あっと、グラヴァターでの日本食レストランのハナシだった。

そこは、日本人一世の女性の方(82歳)と、その方の次男が切り盛りしている。

ビックリすることに、その女性、ブラジルに渡って既に50年以上も経つのに、ポルトガル語がほとんど喋れないんですよ。

「そうなんです・・子供たちと一緒に生活していると、ポルトガル語を覚える必要がないし、困ったときには子供たちが助けてくれますからね・・」と、屈託がない。

そして、久しぶりの日本語に、もうハナシが止まらないのです。

食事もそこそこに、その方の半世紀を聞かされた。ものすごく面白いから、こちらも箸を止めて聞き入っちゃう。

同じテーブルに着いている友人は、日本語が分からないから、パクパクと食べつづけている。

その様子をチラリと見ながら、こんなことを思うのですよ。

・・だから〜・・食事の絶対量が多すぎるんだよ・・少し自重した方がいいよ・・ホントに・・それに、寿司は、そんな風にぱくぱく食べるモンじゃないし〜・・あははっ・・

でも、彼女のハナシが面白いから、それに引き込まれて、友人のことは、もう全く気にならなくなっていった。

彼女のハナシ・・

・・戦後の、日本全体が生活に苦しんでいる頃、バラ色の生活が約束されている(と言われていてた!?)ブラジルへの移住を決意した・・もちろん、聞かされていたのは甘い話しばかり・・そこには、金のなる木がある・・なんてネ・・

・・でも来てみたら、現実は違った・・最初にブラジルに降り立った地は、言わずと知れたサントス・・そして、最初に仕事をはじめたのは、大方の日本人移住 者の方々と同様に、コーヒー農園だった・・仕事については、(まあケースバイケースで、まったく違うとも聞くけれど・・)もうほとんど選択肢はなかったと のこと・・

・・とにかく仕事がキツイ・・でも、選択肢がない・・

・・そんなとき、一念発起した彼女は、そこを出る決意をした・・その時点で、すでに四年という月日が流れていた・・そして彼女は、自分より前にブラジルへ渡っていた父親の友人を頼って、パラナ州へ移住することになる・・

・・彼女には、四人の子供がいた・・男が二人に、女が二人・・そんな家族全員で、既にレストランを経営していた父親の友人のところに世話になることになった・・

・・その父親の友人だけれど、これからは日本食だと言って、そのとき既に、自分の子供たちを、修行に出していたのだそうだ・・先見の明がある・・

・・もちろん彼女も、息子二人を、日本食レストランへ修行に出すことにした・・そして今では、それぞれに立派にレストランのオーナーになっているとのことでした・・

結局、彼女は、南部のパラナ州から、北部のレシフェ(ペルナンブーコ州)へ移り住むことになったのだけれど、そのあたりの経緯については聞きそびれた。

彼女は、(日本にいた当時の)ブラジル移住を勧める風潮や、良い仕事などまったく用意されていなかったことなどに対して、恨み言など発しなかったけれど、ハナシを聞いているうちに、とにかく彼女の「行動範囲」がものすごく狭いことに、ショックを覚えたっけ。

とにかく彼女は、自分が住んだ(住んでいる)周辺のことしか知らない。いや、もっと言えば、仕事と日常生活を取り巻く「狭い」環境しか知らない。それでも彼女は、とても満足している。そして自分と、子供たちの人生を見つめているんだよ。

そのことについて何かを言おうなどとは思わないけれど、ちょっと考えさせられたっけ。

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ということで、レンタカー。

空港でドロップオフする契約だったから、そのままレシフェの空港へ乗り着けたまではよかったのだけれど・・

そう、どこにも、レンタカー返却の「サイン」がないんだよ。それに表示されているのは、全部ポルトガル語。困った・・。

でも、レンタカーの駐車プールは、空港ビルの正面にあるパーキングビルのなかしかないだろ・・だから返却場所も、そこに違いない・・と、駐車場の入り口に乗りつけ、そこの係員に、契約書を見せたら、三本の指を立てて、「駐車場に入っていけ〜・・」って言う。

そう、三階に、返却場所がありそうなのだ。だから、とにかく駐車券を取ってパーキングビルの中に入り、三階まで登っていった。

でも、広すぎて、どこだか分からない。人を見かけるたびにクルマを止めて契約書を魅せるんだよ。そしたら、やっと3人目の人が、「あっちだよ〜!!」って指で示してくれたんだ。

たしかに、そこには、レンタカー会社の職員とおぼしき人たちが(契約書のロゴと同じ色のユニフォームを着ている!)何人かいる。三階の、端っこのスペースだ。

だから、矢印と逆方向に走行することなど構わず、そのまま目指す場所へクルマを転がしていいったんだよ。

そしたら、大正解。そこが返却場所だった。でも、外国人は、どうやって返却場所を探すんだろう。

「そうなんだよ・・オレも、空港の周辺を探し回ったんだ・・そして仕方なくパーキングビルに乗り入れ、そして、ようやく見つけた・・フ〜〜ッ・・イッツ・インポッシブル・・」

アメリカ人の旅行者が、憤っていた。

良かった。怒ったのは、オレだけじゃなかった。まったく〜〜・・。

ということで、これからサンパウロまで飛び、そのまま夜行バスで、ドイツ対フランス戦が行われるリオへ行きます。

ではまた明日。

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 最後に「告知」です。

 実は、ソフトバンクではじめた「連載」だけれど、事情があって、半年で休止ということになってしまったんですよ。

 でも、久しぶりの「ちゃんとした連載」だったから、とてもリキを入れて書いていた。そして、そのプロセスを、とても楽しんでいた。自分の学習機会としても、とても有意義だったしね。

 そして思ったんですよ、この「モティベーション機会」を失ってしまうのは、とても残念だな〜・・ってね。

 だから、どこかで連載をはじようかな・・と、可能性を探りはじめた。そこでは、いくつか良さそうなハナシもあったし、メルマガでもいいかな・・なんてコトも考えた。

 でも・・サ、やっぱり、書くからには、できるかぎり多くの方々に読んでもらいたいわけですよ。でも、可能性がありそうな(メルマガも含めた)連載プラットフォームとしては、やはり私のホームページにかなうモノはなかった。

 ということで、どうなるか分からないけれど、とにかく、私のホームページで、新規に、連載をはじめることにしたのです。

 一つは、毎回一つのテーマを深める「The Core Column」

 そして、もう一つが、私の自伝である「My Biography」

 とりあえず、ドイツ留学から読売サッカークラブ時代までを書こうかな。もし、うまく行きそうだったら、「一旦サッカーから離れてから立ち上げた新ビジネス」、そして「サッカーに戻ってきた経緯」など、どんどんつづけましょう。

 ホント、どうなるか分からない。でも、まあ、一週間ごとにアップする予定です。とにかく、自分の学習機会(人生メモ)としても、価値あるモノにできれば・・とスタートした次第。

 もちろん、トピックスのトップページには、新規に「新シリーズ」コーナーをレイアウトしましたので、そちらからも入っていけますよ。

 まあ、とにかく、請う、ご期待・・ってか〜〜・・あははっ・・

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 重ねて、東北地方太平洋沖地震によって亡くなられた方々のご冥福を祈ると同時に、被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。 この件については「このコラム」も参照して下さい。

 追伸:わたしは”Football saves Japan”の宣言に賛同します(写真は、宇都宮徹壱さんの作品です)。

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 ところで、湯浅健二の新刊。三年ぶりに上梓した自信作です。いままで書いた戦術本の集大成ってな位置づけですかね。

 タイトルは『サッ カー戦術の仕組み』。出版は池田書店。この新刊については「こちら」をご参照ください。また、スポーツジャーナリストの二宮清純さんが、2010年5月26日付け日経新聞の夕刊 で、とても素敵な書評を載せてくれました。それは「こちら」です。また、日経の「五月の書評ランキング」でも第二位にランクされました。

 





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