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2010_歓喜と奈落_「リーガ・エスパニョーラ」と「トルコ・シュペルリガ」の最終節・・(2010年5月17日、月曜日)

ほんとにガッカリした。クリストフ・ダウムローラント・コッホ率いるトルコの雄、フェネルバフチェが、最後の最後で「戴冠」という栄光から滑り落ちてしまった。フ〜〜・・

 トルコのシュペルリガ最終節を、勝ち点「1」のリードで迎えたフェネルバフチェ。それもホームゲーム。相手は、トラブゾンスポル。五位以下は確定しているチームだから、チャンピオンズリーグにもヨーロッパリーグにも参加できないことは決まっていた。モティベーションのレベルは高くない・・はず・・だったけれど・・

 ゲームの内容は、もちろん見ていない。でも、ホームのフェネルバフチェが、前半14分に先制し、その9分後に同点にされてから、結局タイムアップまで両方ノーゴールという引き分けに終わってしまった。

 たぶんフェネルバフチェは、必死に点を取りにいったんだろうね。そして、点を取りにいくという「前掛かりの意識」が、微妙に「仕掛けイメージのバランス」を崩していく・・要は、「行き過ぎ」。たまには「引く」という変化をつけなければ、相手守備ブロックも、一本調子の攻めの流れに「慣れ」てしまう。フムフム・・

 もちろん、時間を置いてから、クリストフ・ダウムかローラント・コッホに、今回の顛末についてハナシを聞いてみよう。とにかく、結果を聞いたときは、本当に、全身からチカラが抜けた。でも・・まあ・・それもサッカーだから・・と、気を取り直した。

 まあ、仕方ない・・「次への希望」はあるわけだから・・

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 次が、リーガ・エスパニョーラ。テーマは、もちろん、バルセロナ。

 組織プレーと個人勝負プレーが、サッカーの歴史のなかでも、これ以上ない程の美しいバランスを魅せつづけるスーパーチーム。わたしの新刊(サッカー戦術の仕組み・・池田書店)でも、彼らの、『攻守にわたる』スーパープレーのバックボーンを、「5秒間のドラマ」という手法で分析した。

 天才連中が繰り広げるスーパーな組織プレー(人とボールが動きつづけるパスコンビネーション)。そして、だからこそ増幅させられる「個人勝負を仕掛けていくチャンス」を存分に駆使することで、自身の天賦の才を、喜びとともに極限まで表現する天才たち。

 リーガ・エスパニョーラの最終節を迎えた彼らもまた、フェネルバフチェと同じような状況にあった。ホームに、下位のバジャドリーを迎えたバルサ・・、あっ、違う、違う。フェネルバフチェの相手だったトラブゾンスポルとは違い、バジャドリーは「降格リーグ」真っ只中だった。だから、気合いレベルは「天文学的」・・だった・・。

 聞くところによると、チームのなかでは、既に優勝ムードが蔓延していたとか。こりゃ、危ない・・いくらバルセロナとはいっても、そこは、究極の心理ゲーム、サッカーだからネ。

 監督のグアルディオラも、変な「浮ついたマインド」を抑制することに躍起になっていたらしい。地元メディアを駆使して、チーム内のイージーな雰囲気を「諫め」ようとしていたことを聞いた。たぶんグアルディオラは、バルセロナのメディアに全面的な協力を要請したに違いない。バルサ中盤の王様コンビ、シャビとイニエスタを欠くなどのマイナス面を思い出させることで、チーム雰囲気の引き締めを図る・・!?

 でもゲームの立ち上がりのバルセロナは、意図された「引き締まった雰囲気」とはかけ離れたプレーマインドだった。

 守備が甘いことで(また、バリャドリーの次元を超えた中盤守備の勢いをベースに!)攻め込まれ、何度も危ないシーンを作り出されてしまうバルサ。一度などは、GKのボールコントロールミスで相手にボールを奪われ、絶体絶命に陥りもした(そのシーンでは、最後の瞬間に、プジョルの足がチームを救った!)。

 また攻撃でも、バリャドリーのレベルを超えた組織プレスによって、ミスパスのオンパレードになってしまう。

 でも、そんなネガティブな雰囲気が、前述した、プジョルによる奇跡のクリアによって事なきを得た、信じられない絶体絶命のピンチという「刺激」によって、徐々に引き締まったモノへと変容していくのですよ。まさに、脅威と機会は表裏一体。そして、例によって、(神業的なスーパートラップ=パスコントロール=を絶対的な基盤に)人とボールが動きつづける「バルサ・リズム」が高揚していった。

 もちろん、相手ディフェンダーのオウンゴールによってバルセロナが先制点を奪ったという出来事は、偶発的な神様の所行だった。プジョルの奇跡的なクリアと、この相手オウンゴールによる先制シーンからは、バルサが繰り出す必然的なスーパープレーが、「偶然」までも呼び込んだ・・なんてことまでも感じていた。フムフム・・

 この試合は、その相手オウンゴールがすべてだったネ。そしてバルサが「解放」され、バリャドリーが立ち上がりから魅せつづけた「心の闘い」が終焉を迎えた。

 ところで、イブラヒモビッチ。結局は、バルサの「組織リズム」に乗り切れなかったということだったのかもしれないね。

 最終勝負プロセスには、組織リズム的なモノと、個人勝負プレーを主体にするモノがある。バルサの場合は、その両方を、うまく使い分けている。もちろん「それ」が可能なのは、彼らが擁する天才連中が、互いに使い・使われるという「攻守にわたる汗かきの組織メカニズム」を深く理解しているからに他ならない。

 イブラヒモビッチの場合は、組織的な最終勝負リズムに乗りきれず、ボールがないところで走らなければならないシーンで止まってしまったりすることが散見されていたからネ。それじゃ、バルサの一員にはなれない・・。

 やはりバルサの場合は、小兵の天才連中が演出する「ゼロトップの組織サッカー」っちゅうイメージが似合っているよね。それって、ちょっと、岡田ジャパンを彷彿したりして・・。あっ・・彼らの場合は「それしか選択肢がない」から、まったく意味が違うか・・

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 ところで、三年ぶりに新刊を上梓しました。4月14日に販売が開始されたのですが、その二日後には増刷が決定したらしい。フムフム・・。タイトルは『サッカー戦術の仕組み』。岡田ジャパンの楽しみ方・・という視点でも面白いかもしれません・・たぶん。池田書店です。この新刊については「こちら」をご参照ください。

 




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