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2010_UCL・・これからも、バルサの素晴らしさを表現することにチャレンジするつもりだけれど、それでもネ・・(アーセナルvsバルセロナ, 2-2)・・(2010年4月2日、金曜日)

やっと、日常の喧噪から解放され、静かにくつろぎながら、バルセロナが展開したスーパー『バランス』サッカーに舌鼓を打つ余裕が持てた。それにしても・・

 守備(意識)と攻撃(リスクチャレンジ意志)のバランス・・組織プレーと個人勝負プレーのバランス・・選手タイプのバランス・・などなど、彼らが、様々な視点から、現代の「トータルフットボールへ向かうベクトル」を牽引していることは確かな事実だと思います。

 アーセナルを内容で圧倒したバルセロナのサッカーを観ながら、その思いを反芻していた。

 今月の半ばに、池田書店から上梓される拙著「サッカー戦術の仕組み」でも、バルセロナのスーパープレーを「5秒間のドラマ」として多くピックアップしました。

 バルサをあつかった章の底流テーマは、世界トップサッカーと日本サッカーとの間に、まだ厳然と横たわる「最後の僅差」の本質を、分かりやすいイラストとともに表現した「5秒間のドラマ」とともにディスカッションするというものだったけれど、彼らのプレーを深く観察すればするほど、バルサ全体に深く浸透した「互いに使い・使われるという根源的な戦術メカニズムに対する理解」に感じ入ったモノです。何せ、そのメカニズムを、最高の実効レベルで機能させている選手たちは、希代の天才ばかりなんだからネ。フ〜〜・・

 拙著の基本テーマは、サッカー戦術メカニズムの分かりやすい解明と、それによって読者の方々が、サッカーを「より」楽しめるようになること。要は、わたしの代表作である「闘うサッカー理論(三交社)」「サッカー監督という仕事(新潮社)」「サッカーを観る技術・スーパープレー5秒間のドラマ(新潮社)」をまとめた2010年バージョンということだけれど、そこでのディスカッションでは、決して到達することの出来ない「ポジションなしのサッカー(≒トータルフットボール)」を志向していくプロセス(戦術的な理解の促進)でも、好例として「いまのバルサ」を取りあげざるを得なかった。

 それにしても、アルセーヌ・ベンゲルも脱帽していたように、バルサのサッカーは次元を超えていた。もちろん、時間が経つにつれて、アーセナルも存在感をアップさせていったけれど、だからこそなおさら、バルセロナのサッカーの次元を超えた「凄さ」が際立っていた。

 アーセナル中盤ディフェンスを翻弄するように、縦横にダイレクトパスをつなぐバルセロナ(特にタテ方向への動きには目を見張らされる!)。

 ダニエウ・アウベスが、マクスウェルが、シャビが、ケイタが、メッシが、ブスケッツが、ペドロが、そして「あの」イブラヒモビッチまでが、これでもか・・と言わんばかりに、鋭く正確なダイレクトパスを混ぜながら、シンプルにボールを動かしつづけるのですよ。

 もちろん、その絶対的なベースは、人の動き。それが有機的に連鎖しつづけるからこそ、効果的にボールを動かせるし、スペースも攻略していける・・そんな「ダイナミックな動き」がアーセナル選手たちの(守備の)イメージを凌駕し、彼らの足までも止まり気味にしてしまう(心理的な悪魔のサイクルに陥れてしまう)・・。

 サッカーは究極の心理ゲームですからネ。例えば、「こりゃ・・かなわない・・」なんて思わせる(勘違いさせる!)こともまた、効果的な「心理戦術」の一環なのですよ。アーセナルが「かなわない」はずがないことは、時間の経過とともに、彼らが展開しはじめた互角のサッカーでも如実に証明されている。アーセナルもまた、世界の強者なのですよ。でも、一度バルサの「極限リズム」が上手く機能しはじめたら、そんな強者アーセナルでも「勘違い」してしまう・・。

 こんな現象もまた、サッカーの(心理)戦術的なメカニズムの一環ということです。それにしても、凄かったネ〜。

 そしてバルサは、そんなスーパーな組織パスプレーのなかに、これまた次元を超えた個人プレー(わたしは、エスプリプレー・・なんて表現するけれど・・)を効果的にミックスしていくのですよ。

 シャビにパスが回されてくる・・彼は、一度キープすることで、組み立てのリズムを変えようとする・・そこに、ソングやディアビ、はたまたセスク・ファブレガスやナスリといったアーセナルの天才連中が、協力プレスを仕掛けてくる・・でもシャビは、うま〜く身体を使って(スクリーニングで)相手のアタックを抑えながらボールをカットし(切り返し)プレスの輪をかいくぐって、タテのスペースへ効果的な展開パスを供給してしまう・・フ〜〜・・

 またメッシやイブラヒモビッチもしかり。彼らは、しっかりと動きながら組織的なシンプルプレーを積み重ねていくわけだけれど、そんな汗かきの組織プレーに対する「自覚と自信」があるからこそ、自分が「ここだ!」と感じたシチュエーションでは、周りにフリーな味方がいるかどうかに関係なく・・また、その位置にも関係なく、個人勝負を仕掛けていく。

 チーム戦術的な義務を果たしているという意識があるからこその強烈な自己主張・・!?

 メッシが、二人のアーセナル選手に取り囲まれてしまう・・でも彼は、落ち着き払ってボールをコントロールし、例によっての「二軸動作リズム」を駆使しながら、ズバッとボールをカットして(要は、相手のアタック動作を切り返して)最前線スペースへ突破していってしまう。そう、スペースは、パスだけじゃなく、ドリブル突破でも「活用」できるんですよネ。スゲ〜〜・・

 あと二つだけポイントをピックアップして、このコラムを締めます。バルサからピックアップできるテーマは無限だから、キリがない。

 まず、彼らのトラップ。要は、ボールを止める技術・・。ホントに、目が覚めるようなテクニックだと思いますよ。そう、トラップは、サッカーのなかでも、もっとも大事な「テクニック」なのです。ボールが止まらなければ、何もはじめることが出来ないからね。

 彼らは、まさに半径30センチといった狭いゾーンでも、そこにマークする相手の(心理的な)プレッシャーがあるにもかかわらず、余裕をもって、どんなに強烈で難しいパスでも、スパッと、瞬間的に自分の支配下に置いてしまう。そして、マークする相手を、「どうだ・・アタックしてみろよ・・」と挑発するように、ボールを「さらす」。とても、とても、素晴らしい・・(スミマセン・・語彙が足りなくて・・)

 若い世代の選手には、勝負ドリブルとか、タメキープといった派手な個人プレーだけではなく、彼らの天才的トラップから「も」、しっかりと学習して欲しいと思います。そう・・イメージトレーニング。何度も、何度も、繰り返し、彼らの「スーパー・トラップ」を観つづければ、自然と、そのレベルに近づいていけるようになる。少なくとも、自分のテクニックを、よい感覚のベクトルに乗せることは出来るはずです。

 そして最後のテーマが、天才イブラヒモビッチ。彼のプレーは、どんどんと「バルセロナのサッカーをアダプトしてきている」と感じる。あっ・・またまた、カタカナ・・スミマセン・・要は、バルサのサッカーに順応してきている・・という意味でした。あははっ・・

 もちろん基本イメージは、 最前線のポストプレイヤーという意味合いも含むワントップ・フィニッシャー。でも、そのプレーゾーンは、徐々に流動的になっていると感じるのですよ。センターに居座ることで「最前線のフタ」に成り下がってしまうのではなく、どんどん移動しながら組織プレーの効果的ステーションとしても機能するなかで、肝心の最終勝負シーンでは、フィニッシャーのポジションにしっかりと着いている・・ってなイメージ。

 要は、イブラヒモビッチも、バルササッカーの底流にある「組織と個のバランス」というチーム戦術的なコンセプトに乗ることが、自分の才能をより効果的に表現するために(要は自分のためにも)とてもポジティブなことだと気付いたんだろうね。もちろん、グアルディオラというストロング・ハンドの助けもあったはずだけれどね。

 ということで、やはり・・というか、同じようなタイプのアンリとの共存は難しいかもしれないね。もちろんアンリが、エトーのような究極の組織プレイヤーに変われるならばハナシは別だけれど・・。とにかく、これからもバルサから目が離せない。

 




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