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2006_オシム・ジャパンの4・・拙著「サッカー監督という仕事(新潮文庫_2004年6月刊)」で、オシムさんについてこんなことを書きました・・(2006年8月17日、木曜日)

下記の文章は、オシムさんがジェフ・ユナイテッド千葉(市原)の監督に就任した当時から書きためた原稿からエッセンスを抽出し、まとめ直したものです。

 イビツァ・オシムさんが繰り返して強調する「走る」という現象。そのエッセンスは、攻守にわたって主体的に描かれる勝負イメージが、それを実現しようとする強い意志によってグラウンド上に体現された全力ダッシュの量と質に集約される・・!?

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 いま、ジェフ・ユナイテッド市原のイビチャ・オシム監督に対する注目度が高まっている(注釈:いま湯浅は、「オシムの言葉」著者、木村元彦さんに敬意を表して、オシムさんの名前をイビツァに統一しています)。

 もちろんそれは、彼が就任してからのジェフのサッカーが、見違えるほどハイレベルで魅力的に変身したからだ。私も、オシム率いるジェフのプレー姿勢を見た瞬間から、彼らに対する興味が大きく膨らんだ。彼らは、本当によく走る。たしかに選手個々の能力を加算した単純総計力では限界がある。それでも彼らは、全員で守り、全員で攻めるという積極プレーを繰りひろげながら、美しく、勝負強いというサッカーの理想型を志向しつづけるのである。トータルサッカー。まさにそれだ。

 彼らのサッカーを一言で表現すれば、人とボールがよく動くサッカーということになるだろうか。攻撃から守備へ、守備から攻撃へと、間断なく動きつづけるジェフの選手たち。攻守にわたってリスクへもどんどんとチャレンジしていく。まさにダイナミックサッカー。だからこそ、観る者に新鮮な感動を与えられる。だからこそ、発展できる。オシム監督は、「リスクチャレンジがなければ、発展など望めるはずがない」と明快に言い切る。まさにその通り。頼もしい限りだ。

 サッカーは、だまし合いのボールゲーム。攻撃において相手を騙す(次の仕掛けプレーを予測させない・・守備側の予測のウラを突く)ための、もっもと効果的な方法は、何といっても、活発な人とボールの動き。それは、いかにスペースを活用していくかという普遍的テーマにもつながる。

 ボールがないところでの人の動きが効果的であれば、そこにパスも出てくるだろう。現場の人間は、それを「パスを呼び込む動き」と呼ぶ。そんな、ボールがないところでの創造的プレーを積極的にくり返せば、相手の度肝を抜くようなタイミングのパスが繰り出されるだろうし、守備ブロックのウラスペースを突いてしまうような美しいコンビネーションも出てくるに違いない。パスを出す者とパスレシーバーの勝負イメージがうまく重なり合えば、守備ブロックを意図的に振り回すことだってできるのだ。もちろん最盛期のディエゴ・マラドーナだったら、彼の一挙手一投足で、相手守備ブロック全体を振り回してしまうのだろうが、彼は例外中の例外。やはりサッカーの基本は組織的なパスゲームなのである。有機的に連鎖しつづける人とボールの動き・・。

 観ている方にしても、次の展開を予測しながらサッカーを楽しんでいることだろう。そして、自分たちの予測のウラを突かれたとき、オ〜〜ッ!と、ある種の感動を覚える。それもまた、選手たちと観客とのだまし合い。それこそが、不確実な要素が満載された「非定型の自由なボールゲーム」であるサッカーの最大の魅力だと思う。ジェフのサッカーには、そんな驚きが満載されている。

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 サッカーは走るボールゲーム。選手たちが走ることは、基本中の基本なのだ。しかし、そのことをストレートに表現するサッカー関係者は少ない。活動量をベースに効率を追求する・・とか、クレバーな動きで相手のウラを突いていくイメージでプレーする・・とか、とにかく分かりにくい表現になってしまう。たしかに、走るということをストレートに表現したら、闇雲に走り回るという「アンチ知性イメージ」が先行してしまうだろうから、カッコ悪い。しかしオシム監督は、そんな考え方自体が低次元なものだということを実践を通して明確に示してくれた。それは、すごいことなのだ。

 走るという行為には、様々な目的イメージが複合的に絡み合って含まれている。目的イメージも描けていないのに単に動き回るなんていうことはない。選手たちは、攻撃と守備の目的を達成するための様々なプロセスをイメージし、それをトレースしながらアクションを起こしていくのだ。したがって、走ることは、考えるという行為と同義だとも言える。そんな、結果として無駄に終わるかもしれないアクション(動き)をくり返すことによってのみ、魅力的で美しく、同時に勝負にも強いサッカーを体現できる。良いサッカーは、「クリエイティブなムダ走り」の積み重ねによってのみ実現できるのである。

 オシム監督は、そのことをシンプルに言いつづける。しっかりと走れば、良いサッカーになる・・走ることがもっとも大事なことだ・・。それは、彼ほどの大コーチだからこそ言えることなのかもしれない。彼が言えば、誰もがその言葉を重く受け止めるだろう。そして、走るという行為の背景に、物理的、心理的に複雑に絡み合うメカニズムが隠されているという事実と対峙する。

 私は、いま日本サッカー界はイビチャ・オシムという宝物を手に入れたと表現することに躊躇しない。日本のサッカー界は、彼のおかげで、基本中の基本である「走るという行為」をより深く見つめ直し、本当の意味で自分たちのモノにする最高の機会とモティベーションを得たと思うのである。

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 2003年の「J」セカンドステージ第二節。ジェフ市原が、ガンバ大阪をホームの市原臨海運動公園スタジアムに迎えた。8月23日に行われたから、真夏のゲームである。結局ホームのジェフが「2-1」でガンバを振り切ったのだが、試合後の記者会見で、久しぶりに質問をしてみようという気になった。何せ、相手はイビチャ・オシムだし、その試合には質問に値するだけのコンテンツがある。私は、オシム監督の「ゲーム総括」が終わったタイミングを見計らって「ハイッ!」と手を上げた。

 「この蒸し暑さは、ヨーロッパの監督にとっては想像を絶するモノに違いない・・こんな厳しい環境では、運動量が落ちるのは当然・・ただ、どのように落とすのかが問題・・そこで貴方がキーと考えた試合前の指示はどんなものだったのか?」

 そんな私の質問に、オシム監督は、「たしかに厳しい気候条件だ・・だから選手たちには、より賢く、クレバーにプレーしなさいと指示をした(答えの要約)」。それに対し私は、「そこが問題だ・・選手たちにクレバーにとか、賢くと指示した場合、よほど選手たちの意識が高くなければ、彼らは、賢く、クレバーに足を止めてしまう(走らなくなってしまう)のがオチだ・・それは、言い訳の可能性を与えられた選手たちが間接的にサボっている状態ともいえるのではないか・・」と、ちょっと挑発的に切り返していた。

 「いや、選手たちはよく考えてしっかりとしたプレーしようとしていた・・(たぶん、停滞していた前半のサッカー内容をイメージして?!)まあたしかに、うまくゲームをはこぶことができなくなってしまった時間帯もあったけれどね・・」と、落ち着いた声で答えたオシム監督は、つづけて、私が聞きたかった根幹の部分に対しても答えてくれた。「ロジックな理想論は誰にでも語れる・・でも実際に選手たちにやらせるのは、簡単なことではないんだよ・・」。その瞬間、私は心のなかで叫んでいた。「それだ!」。まさにそれが、私が聞きたかった言葉だったのである。

 そのとき私は、イビチャ・オシムが描く理想的なサッカーイメージを体感し、久しぶりに、ものすごく興味を惹かれる現役監督に出会ったというハッピーな気持ちに包まれていた。あるときなどは、「走ったって負けることはあるけれど、走らずに負けるよりはましだ・・」と、記者連中を納得させたものだ。まあ、あれほどの実績を残した監督だからこその言葉なわけだけれど、そんな発言にも、自信の深さと、プロコーチとしての確かなウデを感じるのである。

 「確実に守備をやらなければならないが、それで攻めることを忘れてしまったら元も子もない・・チャンスになったら、しっかりと押し上げられることも大事だし、そこでボールを奪われたら素早く戻らなければならない・・それが良いサッカーだし、だからこそ走ることが大切なんだよ・・」。そんな発言に、イビチャ・オシムほどの研究対象はそうそう現れてこないと確信したものだ。

 この原稿は、2004年シーズン、ファーストステージ第二節のマリノス戦を観た後に書いているのだが、そこでの見事なサッカーに(3-0でジェフの完勝!)、2004年シーズンも、8人で攻めて10人で守るというトータルサッカーを標榜するオシム監督は、我々をとことん楽しませてくれると確信したものだ。いや、もしかしたら彼は、日本サッカー界の至宝として長く語り継がれる存在になるかもしれない・・。

 オシム監督のメディアに対する発言については、ジェフユナイテッド市原のホームページに「オシム語録」として掲載されている。示唆に富む至言の数々。是非一度ご覧になることをお勧めする(事後注釈:木村元彦さんの「オシムの言葉」も秀逸ですよ)。(了)
 



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