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05_ジーコジャパン(71)・・二つの別物サッカーが観られたゲームでした・・(ラトビアvs日本、2-2)・・(2005年10月8日、土曜日)

「2-0までは素晴らしいサッカーだった・・でもその後はミスが重なって同点に追いつかれてしまった・・あれほどたくさんのチャンスを作り出したのに・・とにかく、(内容とは別に!?)このゲームを勝ち切れなかったことは事実だし、それを経験として今後に活かしていかなければならない・・」。ジーコが、ゲーム内容についてそうコメントしていました。私は、それを聞きながら、「まあ、ジーコは、2-0になるまでとその後のサッカーを、まったく別物としてイメージの引き出しにしまい込んだということなんだろうな・・」なんていうふうに理解していましたよ。

 要は、ワールドカップ本大会で世界にアピールしたい「本番サッカーコンテンツ」と、チーム作りの段階では、他の選手たちにもチャンスを与えなければならない(選手たちの実効レベルを見極めなければならない)という現実状況との相克・・。まあジーコは監督だから、「それら」を一つゲームフローによって構成されるマッチユニットとして捉えていない(あれは別物だった)とは口が裂けても言えないだろうけれど、私は、意識して「分ける」ことにしたというわけです。何せ、2-0までのサッカーは、「結果とリンク」させて記憶にとどめるには、あまりにも残念な素晴らしいダイナミックサッカーだったから・・。

 自由自在・・。上記した「2-0までの本番用サッカー」を観ながら、自然と出てきたキーワードがそれでした。ヨーロッパ組が、狩猟民族のクラブにおける激烈な競争社会で生き延びられている根拠を見せつけた・・といったこのゲーム(もちろん2-0までのサッカー!)。そこで選手たちは、ジーコが演出する「自由な雰囲気」を活用し尽くしていると感じていた湯浅だったのです。要は、選手たちが、守備でも攻撃でも、自己責任ベースで、リスクチャレンジも含めた自分主体のプレーをしていたということです。彼らは、それがなければ、日本代表というチームが、プロとしての自分自身の価値を高めるためのツールにはなり得ないという「現実」を着実に理解しているということなんでしょうね。まあ、もちろん中田英寿という絶対的なリーダーをコアにしてネ・・。

 とにかく中田ヒデは、素晴らしいリーダーぶりでした。攻守にわたる運動量がハンパじゃないし、それをベースに、ボール絡みでも抜群の実効レベルを魅せつける。特に、ジーコが意図する「ダイヤモンド型」というポジショニングバランスを「意識し過ぎる」ことなく、前後左右にポジションチェンジを繰り返しながら、クリエイティブにゲームをリードしていくのです。中村俊輔も良かった(特に、ものすごく危険な中距離シュートチャレンジが特筆の味をかもし出していた・・)。運動量が多く、仕掛けでの「魔法」だけじゃなく、守備でも実効ある絡みが出来ていましたからね。そんな素晴らしい中盤ディフェンスがあったからこそ(稲本が久しぶりに魅せたスーパー実効プレーについては後述)、次の攻撃でのリズムの絶対的ベースであるボールがないところでのパスレシーブの動きが活性化させられたし、相互イメージの有機的な連鎖をベースに、素早くシンプルにボールを動かしつづけられたということです。

 とにかく、限りない自由を与えられたことで、選手たちが期待以上に発展していることは確かな事実です。もっと言えば、彼らは、日本代表チームを、弱肉強食社会(所属クラブ)における様々な「不足分」を補うための自己発展ツールにしているとまで感じられる。攻守のチーム組織プレーをうまく機能させるという意識を絶対的なベースとして、自由闊達に「自分主体の自己主張プレー」を繰り広げる選手たち・・。そのことは、特に地域予選後の、ヨーロッパ組が主体になったチームに感じているというわけです。

 実を言えば、この試合でのラトビアは、もっと闘うと思っていました。何せ、予選落ちが決定した後に、逆に予選を突破したアジアのチームをホームに迎えるのですからね、ふざけるなヨ!っちゅうスピリチュアルパワーが充満すると思っていたのです。でもフタを開けたみたら・・。相手は若手中心のチーム編成で、それも、あるベテラン代表選手の引退ゲームという性格まで与えてしまっていたということでした。まあ仕方ない・・。

  とにかくラトビアの中盤ディフェンスは典型的な後手後手プレーのオンパレードでした。何せ、ちょっとでも動けば、ほとんどフリーで「タテパス」を受けられるのですからネ。そこに、「遅れたタイミング」でラトビア選手が飛び込んでくる・・。これじゃ、その守備アタックパワーを簡単に逆利用できてしまうのも道理。軽快なリズムのダイレクトパス交換で、何人ものラトビア中盤選手たちが置き去りにされてしまうのです。とにかく、ダイレクトがポンポン・・そしてラトビア選手たちがチンチン・・。飛び込めず、間合いも詰めることができないラトビア選手たち。もちろん最初から日本選手たちをもっとタイトにマークしていれば事情は変わるけれど、そんな「修正」を主導できるようなリーダーもいない。

 こんな状況だから、日本チームが相手守備ブロックを振り回して絶対的チャンスを演出しつづけるのも道理でした。でも決められない・・。私は、そんなシーンを見ながら考え込んでいましたよ。「それにしても、あれだけ組織的なチャンスメイクができているのにゴールだけが決まらない・・こんなゲーム展開だったら、相手のホームスタジアムでのフレンドリーマッチということなんて気にも掛けず、相手を足の裏で踏みにじることもいとわない程の冷徹さでガンガン押し込みながら取れるだけゴールをブチ込む・・そんな攻撃的なマインドこそが、本物の勝負で勝ち切るための勝者メンタリティーを育む・・何せサッカーは、サッカーは、狩猟民族のスポーツなんだから・・」

 さて稲本潤一。前気味のリベロ(フォア・リベロ)として抜群の実効レベルを魅せてくれました。まず何といっても「プレーイメージが徹底していた」ことが特筆。まさに「クリエイティブな中盤の底」。そんな実直な汗かきベースがあったからこそ中田英寿と中村俊輔も、攻守にわたる創造性プレーを有機的にリンクさせられたというわけです。稲本ほどの能力ベースの持ち主だから、基本的なプレーイメージさえ「徹底すれば」、確実にチームの全体的な実効レベルの高揚に大きく貢献できる・・ボール奪取テクニックの素晴らしさは折り紙つき・・それに、徹しているからこそのクリエイティブなボールなしのプレーも光った・・66分のピンチの場面では、最後の最後まで全力で戻ってカバーリングポジションに入っていた・・そんな徹底汗かきプレーこそが、この試合で稲本が爆発的にアピールした「完全復活劇」を支えていた・・もちろん彼は前へ行っても十二分に仕事が出来る能力があるのは証明済み(実際に何度か、前線でも実効ある仕掛けプレーを魅せていた!)・・ただ、この試合での徹底パフォーマンスは、今の日本代表チームでは「あのタスク」を高いレベルでこなせるのは彼しかいないと確信させてくれるに十分なものだった・・とはいっても、この試合の相手は、前述したようなレベルだったことも考慮しなければならない・・だからこそ、次のウクライナ戦が楽しみなのだ・・なんてネ。とにかく、稲本の「意識ベースの復活劇」は感動的でさえありましたよ。でも次・・とにかく次が大事だよ・・。

 最後に、選手たち自身が自覚しているだろうからあまりやりたくはないけれど、チームの機能性が減退したことの要因も簡単に指摘しておきましょう。まず中田浩二の守備的ハーフへの移動・・サイドとは違い、中盤での彼の守備は、どうしても「待ち」が多くなる・・要は、狙い定めたボール奪取勝負プレーが出てこないし、その時点で狙っている相手へのマークも甘すぎる・・また彼が中央に入ったことで、稲本が上がり過ぎてしまうという傾向も強くなった・・もちろん稲本は前でも良いプレーはできるけれど、前後左右のバランスが崩れた日本の中盤では・・中田英寿にしても、彼がイメージするリズムでのボールの動きを演出できなくなっていた・・それには、アレックスのボールのこねくり回しの悪影響も大きい・・とにかく彼は、まずシンプルなリズムでの展開パスやタテパスを意識しなければならない・・そんな現象だけではなく、前線からのチェイス&チェックが減退した事実も挙げなければなせない・・ボール絡みでは何度か才能を発揮した大久保だったけれど、パスがミスになると途端に足を止めてボールウォッチャーになってしまう・・数メートル先にボールを奪い返した相手選手がルックアップしようとしているタイミングなのに(全力で行けば確実に邪魔をしたり、もしかしたら再びボールを奪い返せるかもしれないのに・・)・・等々。

 最後の15-20分間は、そんなフラストレーションがたまりつづけていましたよ。そして思ったものです。やっぱりサッカーは、攻守にわたる「有機的なプレー連鎖の集合体」・・少しでも、ほんの少しでも「組織プレーのリズムやコンテンツ」が乱れたら(一貫性を欠いた次の瞬間には!)確実に全体サッカーのカタチが崩壊してしまう・・サッカーは、簡単でシンプルなボールゲームだけれど、だからこそ奥が深く、様々な複雑なファクターの複合体なのだ・・なんてネ。
 



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