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ジーコジャパン(50)・・サッカー批評(2004年12月10日発売)で、ジーコジャパンについてこんな文章を発表しました・・(2004年12月22日、水曜日)

サッカー批評という専門誌で(2004年12月10日発売)、ジーコジャパンについてこんな文章を発表しました。文章を書き上げたのは、11月20日ころ。ということで、内容に「時間差」もありますが、まあ、そのことを考慮して読んでいただければ・・と思います。

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 ヨ〜シッ! そのとき思わずガッツポーズが出た。中村俊輔が繰り出した魅惑的なフェイント&ドリブル突破からスムーズに送り出された正確なクロスが、ファーポストスペースへ向けて美しい糸を引く。そして次の瞬間、全力で飛び込んだ鈴木隆行の強烈なヘディングシュートがオマーンゴールに突き刺さっていった。

 2004年10月13日、W杯アジア一次予選のオマーン戦。そこで記録された唯一のゴールを見ながら、正直、ホッと胸をなで下ろしていた。私は心配だったのだ。ジーコジャパンが、このサバイバルレースを乗り切れるかどうか心底心配していたのである。ただ、ホッとしたその数分後、今度はハッと我に返る。「あっ、これはアジアの一次予選だったんだ!」。

 その心配には私なりの根拠があった。まず、若いオマーン代表が、名将マチャラのもとで格段の進化を遂げていたこと。そしてもう一つ、逆境を跳ね返して闘い抜く逞しさ(セルフモティベーション能力)という点で、まだジーコジャパンから不安をぬぐい去れなかったのである。本当に彼らは、どんなに厳しい状況においても実力に見合ったダイナミズムを限界を超えるところまで絞り出せるのか・・。

 活性化されたダイナミズムは、リスク「にも」主体的にチャレンジしていく積極プレー姿勢となってグラウンド上に現出する。それが人々の共感を呼び、感動を誘う。しかしまだジーコジャパンからは、その基盤となる闘う意志のパワーが十分に感じられないのである。

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 代表監督に就任したジーコが最初にセレクトしたチームは、目標が2006年であるにもかかわらず、ピークを過ぎたベテランを守備ラインのコアに据えるなど、後ろ向きの印象が強かった。たしかに、中田英寿をチームリーダーにするという正しい選択はあったものの、そこには、ベテラン選手とのコミニュケーション的な問題は避けられないという危惧もあった。また、ヨーロッパ組を特別扱いし過ぎる傾向にも問題点が見え隠れしていた。当時はまだ「局面的な上手さだけが売り」という中村俊輔を重用し過ぎるということもネガティブな印象を加速させた。

 そして案の定、守備ラインが十分に押し上げないことで、前線とのコミュニケーション不足が露呈してくる。守備ラインが引きすぎることで中盤ゾーンが間延びした場合、基本的なプレーコンテンツが受け身になってしまう危険性が増大するなど、攻守にわたるミッドフィールドの機能性が減退してしまうのも道理。そんな守備ラインの消極プレー姿勢は、中盤選手たちのマインドをも確実にむしばんでいく。中田英寿が、守備ブロックに対して危機感を持つのも当然の成りゆきだった。

 中田とジーコが、そのことについて話し合ったのかは定かではないが、結局ジーコは、2003年6月8日に行われたアルゼンチン戦において、あまりに受け身で消極的な守備ラインに見切りをつけることになる。その3日後に行われたパラグアイ戦では、最終ライン全員を入れ替えただけではなく、主体的に闘う姿勢が足りない中盤選手たちもスパッと外したのだ。ある意味このパラグアイ戦こそが、ジーコのチーム作りイメージが大きく衣替えした転換ポイントだったとも言える。

 その変容プロセスのなかで、遠藤保仁という優れた中盤プレイヤーも見出された。彼は、どちらかといえば「汗かきタイプ」のミッドフィールダーである。私は、そのタイプを、ガットゥーゾ(ACミラン)や戸田和幸のような猟犬タイプと呼ぶことにしているのだが、それ以来遠藤は、日本中盤の優れたバランサーとして重要な役割を担うようになっていった。またジーコも、遠藤保仁という優れた汗かきタイプをチームにインテグレイトできたことでその重要性を再認識し、上手さとは別に、選手タイプのバランスという発想も、より明確にチーム作りコンセプトに採り入れていったと思う。

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 そして迎えたW杯アジア一次予選。初戦で日本は、グループ最大のライバルであるオマーンを埼玉スタジアムに迎えた。総合力では日本の方が上。ただ実際には、その実力の差が見えてこない。攻めあぐむ日本代表。それはそうだ、ドリブル突破など、個人のチカラで打開していくことには明らかな限界がある日本だから、人数をかけた組織コンビネーションも駆使して仕掛けなければならないのに、そこで必要になる人数が常に足りないのだ。孤軍奮闘する中田英寿。ただチームメイトたちは笛吹けど踊らず。

 しかし、後半から久保を投入し、そのアタマを狙うというシンプルな攻めを繰り出すようになったところからゲームの流れが日本へと傾きはじめる。たぶんオマーンは、抜群にヘディングが強い久保の存在も含め、日本がそんな単純な攻撃を仕掛けてくることは想定外だったに違いない。また、前半は消えていた中村俊輔の才能も存分に発揮されるようになる。天才的なボールコントロールで一瞬の余裕を演出し、大きくカーブを描く正確なクロスを送り込む中村。そこではじめて日本の攻撃に実効ある変化が演出された。そして、日本の変り身の早さに対応できないオマーン守備ブロックが目に見えて不安定になり、それが日本の決勝ゴールにつながった。

 ただし、たしかに勝利をおさめたものの、綱渡りのゲーム展開だったことは確かな事実。そこには、ジーコジャパンが今でも抱えている本質的な課題が見え隠れしていた。

 もしシンプルに相手ゴールに迫れなかったら、まず安全に、確実にボールをキープしながら相手守備ブロックを振り回し、ここぞのタイミングで急激にスピードアップして相手ディフェンスの穴を突いていく・・。それが、ジーコが考えるポゼッションサッカーだろう。守備の穴とは、相手守備ブロックで、人数が揃っていない薄い部分のことだ。しっかりとボールをキープしながら相手守備ブロックを翻弄し、守備のバランスが崩れて「穴」が出来たところを見計らって蜂の一刺しという急激なテンポアップでそこを突き崩していくという仕掛けイメージ。

 とはいっても、そのような高度なポゼッションサッカーは、チーム総合力で相手を大きく凌駕し、相手ディフェンスからのプレッシャーを「いなせる」くらいの余裕があってこそ実現できる難しいチーム戦術だ。相手のプレッシャーから逃げ回るだけの横パスをつなぐといった低次元のものとはワケが違う。その視点で日本にそれ程までのチカラがないことは、W杯の一次予選だけではなく、今回のアジアカップでも明白になったといっていい。

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 そしてアジアカップでは、日本代表のチーム戦術イメージに、ある明確な方向性が打ち出されることになる。確実に守り、セットプレーやカウンターのチャンスを高い確率でゴールに結びつける・・。そこには、暑さという厳しい気候条件だけではなく、ジーコが、リスキープレー「にも」チャレンジしていく解放された攻撃サッカーを積極的に推し進めようとしているわけではないという事実もあった。そこでの戦い方は、ジーコがより結果にこだわりはじめたことを明確に示唆していたのである。

 アジアカップでは、ツキにも恵まれ、ビックリするような勝負強さを発揮した日本代表。それは、今年のヨーロッパ選手権で優勝したギリシャにもイメージが重なる見事な粘り勝ちだった。その勝負強さが「戦術ロジック的な余裕」からはほど遠いものだったとはいえ、とにかく最後まで諦めずに勝ち切ったことは、チームに確固たる自信を与えたに違いない。その自らを信ずるマインドは、冒頭に登場したオマーンとの勝負マッチにおいてもポジティブな心理ベースとして機能していたと思う。

 その勝負強さのバックボーンは、何といっても守備ブロックの進化だった。それは、ジーコのチーム作りコンセプトの一つでもある「選手の主体性を要求する自由路線」がポジティブな効果を引き出した結果だったとも考えられる。

 今回の大会では、トレーニングにおいて、ジーコと、守備ラインのリーダー宮本恒靖が立ち話しをするシーンが頻繁に目撃されていた。そして、そのことに重ね合わさるように守備ブロックがパフォーマンスを高揚させつづけた。外部の者には確かめようもないことだが、守備のやり方についてジーコと宮本が細かなところまで調整したことが、そのパフォーマンスアップの背景にあったと捉えるのが自然だと思うのである。それも、どちらかといえば、宮本の意見が主導するカタチで・・。

 まあ実際には、守備のやり方に関して細かな指示をせずに選手たちの判断に任せる傾向が強かったジーコが、宮本の進言を積極的に採り入れ、細かな判断を守備ブロックのリーダーである彼に一任したということなのだろう。そこでは、宮本という優れたパーソナリティーがあったからこそ、ジーコとの実のある意見交換が実現したという背景条件にも目を向けなければならない。

 もちろん基本的なディフェンスのやり方(チーム守備戦術)については、守備ブロックの全員が考え方をシェアしていなければならないわけだが、それについても、宮本を中心とした選手たちの判断に任せられていたはずだから、守備ブロックがうまく主体的に機能しはじめるのも道理だった。それこそが、アジアカップでの成功を支えたもっとも重要なファクターだったのである。

 とにかく、少なくとも守備ブロックについては、自由な雰囲気によって選手たちの自己主張が前面に押し出されたはじめたのは確かことである。不確実性要素がてんこ盛りのサッカーでは、主体的な判断と決断で、勇気をもって実行していくというのが行動原則。だから、そんな主体的な積極プレー姿勢は、チーム全体の発展プロセスをも加速させるはずだった。

 しかし、守備のやり方について選手たちの自主的な判断が主導するとはいっても、そこには限界があった。選手たちだけでは制御し切れない部分もあるのだ。例えば、最終ラインを積極的に押し上げるラインコントロール。それがリスキーなだけではなく、そのことによって守備ラインの仕事が格段に増えるから、選手たちのマインドを統一する作業はそう簡単ではない。

 現代サッカーでは、相手の攻撃アクションに反応するという受け身の姿勢では、ディフェンスが十分に機能しているとは言えない。守備は次のクリエイティブな攻撃のスタートライン。「どのように」ボールを奪い返せるかが、次の攻撃の実効レベルを決めるといっても過言ではないのだ。だからこそ積極的なラインコントロールが求められるのだ。しかし当事者(選手たち)だけで、そこでのリスクチャレンジマインドを強固に統一するのは難しい。だからこそ指揮官のリーダーシップが必要だし、そのマネージメント姿勢が問われてくるのである。堅牢な守備ブロックを主体的に組織できるようなった日本代表。ただ、次の攻撃に対する効果的ファウンデーションになれているかといったら、疑問の方が先に立つ。

 オマーンとの決戦の前、守備リーダーの宮本が、「オマーン戦では、これまで下がり気味に過ぎていた守備ラインを積極的に押し上げたい・・それで中盤をコンパクトに保てるし、より高い位置でボールを奪って効果的な攻めを展開できる・・」と述べていた。ただフタを開けてみたら、その意志が反映されたとは言い難いサッカー内容だった。

 リスキーな積極プレーにもチャレンジしていくということでチーム全体の意志を統一できるのは監督しかいない。特にディフェンスは、チェイス&チェック、次のパスを狙うボール奪取勝負や協力プレス等々、一人ひとりのボール奪取イメージが常に重なり合っていなければならないという「有機的なプレー連鎖の集合体」だからこそ、攻撃的なリスクチャレンジプレーに対する意志の統一が不可欠だし、ジーコの強固なリーダーシップが必要になってくるのだ。しかし実際には・・。

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 ジーコジャパンの現状に対する見解をまとめよう。

 まずジーコの指揮官としての姿勢について。分かりやすい評価基準に基づいた選手の入れ替えや、国内組に対する評価アップ、はたまた選手タイプをバランスさせることの重要性に対する再認識など、ジーコ自身がプラグマティックに変化・進化していったプロセスでは、優れた学習能力も感じられた。またチーム戦術的には、サッカー内容を重視するという方向から、結果優先へ大きく舵を切るという変化もあった。

 この勝負重視の方向性は、大局的に見て、日本サッカーにとってポジティブなものなのかどうか・・。結果を優先するからこそ、攻撃では安全優先のポゼッション志向が強まるだろうし、守備でも、積極的な押し上げではなく「慎重な立ち上がり」という指示の方向性も変わり難いだろう。それでは、コンパクトな守備ブロックと中盤での積極ディフェンスをベースに、高い位置でのボール奪取から人数をかけた組織的な仕掛け(リスクチャレンジ)を繰り出していくという、日本サッカー全体を「次のステップアップ」へリードする魅力的なダイナミックサッカーにはつながらない。

 ジーコは、仕掛けプロセスについて、様々なオケージョンでこんな意味の発言をしている。「基本的には、ボールをもったらすぐに相手ゴールを向き、そのまま少ないシンプルパスをつないでシュートまでいくのがいいと思っている・・ただ前に相手がいて行くのが難しい場合、いっぺんに突き進むのではなく、組み立て直さなければならない・・日本サッカーは、タテへ急ぎ過ぎる・・ボールをキープする場面と行く場面をしっかりと分けなければならない・・そしてサイドチェンジなどを駆使して相手守備の薄い部分を突いていく・・」等々。

 たしかに正論。ただ指揮官が、その慎重確実マインドを強調し「過ぎた」場合、次の瞬間には選手たちが過度に安全プレーを志向しはじめてしまうのは目に見えている。本当は行けるのに仕掛けていかず、「クレバーに・・安全に・・」という美辞麗句の隠れミノに逃げ込み、消極プレーに終始してしまう選手たち。リスクを避けようとするのは、人間本性のマジョリティーだろう。監督が、「もし行けなかったら一度安全にキープし直そう・・」というニュアンスの方を強調したら、選手たちが、いつも「行けなくなって」しまう危険性が高まってしまうのだ。そんな指揮官の姿勢は、基本的なゲームメカニズム自体が不確実なサッカーだからこそ、結局は消極的で後ろ向きのプレーとなってグラウンド上に現出してしまうものなのである。

 だからこそ監督には、バランスの取れたマネージメント姿勢が求められる。落ち着いた安定を保証する安全策と、リスキープレーへのチャレンジ姿勢という背反するファクター。それらを限りなく高いレベルで調和させ相互補完させるバランス感覚。それもまた、フットボールネーションで言う、優れたサッカーコーチの「指先のフィーリング」なのだ。

 バランスの取れたマネージメントという視点で、ジーコは、もっとリスクチャレンジ志向を強めなければならないと思う。彼は、もっと選手たちのチャレンジマインドを活性化し、チーム内の緊張感を高めながら闘う意志を高揚させていくという方向へチームをドライブしていかなければならないと思うのだ。ジーコジャパンが、日本サッカー界全体をポジティブな発展方向へ導いていけるだけのイメージリーディングパワーを備えるためにも、いま、指揮官のマネージメント姿勢が問われている。

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 選手については、ポジティブな発展潮流のなかにあるとすることができそうだ。前述したように、ジーコが演出する自由な雰囲気によって選手たちの主体的なプレー姿勢が高揚するという成果も見えはじめている。まあこのことについては、選手たち自身の、「オレたちがやらなければ大変なことになる」という危機感の表れだと言い換えられるかもしれないが・・。何せジーコは、世界サッカー史でも希有な「無制限に近い時間」を与えられた代表監督なのだから。

 またここにきて、個々の選手たちの所属クラブでの再生や発展というポジティブな現象も目立ちはじめている。なかでも、中村俊輔のイメージチェンジには目を見張らされた。9月11日に開幕したセリエAで中村は、まさに別人ともいえるほどの素晴らしいサッカーコンテンツを魅せつづけているのである。もしかしたらそこには、子供が出来たことによる覚醒という心理背景もあったりして(8月下旬に夫人の妊娠を発表)。まあ本当のところは分からないけれど、とにかく彼のプレー姿勢が格段に高揚しつづけていることだけは確かな事実なのである。

 ボールを持っても、これまでのように中途半端にキープし過ぎることなく、タメやドリブル突破チャレンジなどの勝負プレーと、シンプルにパスを回す展開プレーとをメリハリよく使い分けているし、これまではパスを出してもすぐに足を止めてしまうという怠慢プレーの方が目立っていたのに、ここにきてパス&ムーブアクションにも全力の勢いが乗るようになってきた。また、パスを受けるために長い距離をダッシュしたり、守備にも積極的に参加して効果的なボール奪取勝負を披露したりする。特にボールがないところでの忠実なマーキングが特筆だ。そんな汗かきディフェンスに実効が伴ってきたからこそ、仲間たちも彼のチームプレーを認め、信頼してボールを集めるようになる。中村のような才能ある選手は、とにかくボールに多くタッチすることがメインテーマになるのだが、今では、まさに吸い寄せられるようにボールが集まってくるのだから観ていて楽しい限りだ。彼の見せ場(グラウンド上での学習機会)にも格段の広がりが出てくるのも道理。今の中村のプレーでは善循環サイクルが回りつづけている。

 現代サッカーにおける進歩のベクトルは、「テクニシャン」に対して、より広範なパフォーマンスを求めるようになった。より多くの運動量・・「アリバイ」ではない実効あるディフェンス参加・・シンプルパスやボールがないところでの着実なパスレシーブアクション・・等々。そんな組織プレーが充足されてはじめて、彼らの「天賦の才」に対して正当な評価とレスペクトが与えられるのである。シュートを打つという攻撃の目的と、相手からボールを奪い返すという守備の目的を達成するプロセスにおいて、どのくらい実効あるプレーが展開できているのか。そんな厳しい視点でも、中村俊輔に対する評価は着実に高揚しつづけているのである。

 最後に、エイヤッ!の独断と偏見で、この時点でのベスト布陣を表明しておくことにする。GKは、ハイボール処理も含めた総合的な能力で明らかに秀でている楢崎正剛。また最終ラインについては、両サイド選手たち(アレックスと山田暢久)のオーバーラップの活性化と、ゴール前センターゾーンの厚み強化という視点で、このまま、宮本、中澤、田中(松田)で構成するスリーバックを維持するのが現実的な選択だろう。そのことで、稲本潤一と小野伸二の守備的ハーフコンビと両サイドバックによる攻守にわたる協力関係もより活性化するし、相手の後方からの飛び出しに対するマーキングの不安も、ある程度は解消できる。

 そして、何といっても見てみたいのが、中田英寿と中村俊輔による二列目コラボレーションだ。攻守にわたって完全に自由にプレーするシャドーストライカー&チャンスメイカーコンビネーション。また(今の)彼らならば、後方選手たちとのタテのポジションチェンジを活性化する演出家としても十分に機能できるはずだ。そしてこの二列目コンビと形成する三角形の頂点に入るのは、やはり高原ということになる。

 「ナカナカコンビ」を中心に繰りひろげられる、「個と組織」が最高にバランスした、選手たち主導のダイナミックサッカー。今ほど、私のなかでジーコジャパンに対する期待が高まったことはない。とにかくこのチームを、12月に行われるドイツとのゲームで見てみたい。

 さて、勝負のW杯最終予選に臨むジーコジャパン。彼の指揮官としての姿勢の変化も含め、これからも、自分自身の学習機会としてしっかりと見極めていくことにしよう。(了)

 



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