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第二ラウンド第二戦・・加茂ニッポン、ネパールに3-0!(1997年6月26日)

試合終了のホイッスルが鳴ったとき、ネパールの選手達は、諸手をあげて喜びを表現していました。それに対して日本チームはうなだれたまま・・。異様な光景ではありませんか。
「我々の目標は、守りきって引き分けに持ち込むこと・・」。これは、ネパール監督のコメントでしたが、彼らは、引き分けどころか、とにかく失点を最小に抑えることだけを目標としていたようです。その証拠に、日本チームの先制ゴールの後も、まったく戦術的な変化を見せず、実質的には、フィールド選手10人全員で守備をしていたのです。サッカージャーナリストの大住氏・・。「あなた方は、目的を引き分けと言ったが、相手にリードされていたにもかかわらずまったく攻める意志を見せなかった。あなた方は、サッカーをやるつもりがあったのですか・・」。怒りアラワの質問でした。
もちろんサッカーは大衆文化ですが、国際試合の場合、意識されるのは「国家」。それを代表するチームですから、攻めに転じて多くの失点をくらうよりは、失点を「3点」に抑えておくほうが、自分たちにとっては「モア・ベター」だったのでしょう。試合後のネパールチームの「喜び」の意味でした。また監督は、「マカオやオマーンに対しては、自分たちのサッカーをやります・・」とも述べていました。
こんなですから、ゴールを割るのは至難のワザ。全員で守られたら、高校生チーム相手のプロだってゴールを割るのは難しいものです(以前、ドイツ代表チームと、ある州の高校選抜が「2-0」という練習試合をしたのを見たことがあります)。それでも日本チームは、ボールを持つ選手を「起点」として、最前線だけではなく「二人目、三人目」のフリーランニングなど、果敢に攻め、前半に何度か素晴らしいチャンス(つまり決定的なシュートチャンス)をつくり出しました。私には、長短・強弱おりまぜたパス、素晴らしいコンビネーション、有効なサイド攻撃(それでも、中央だけではなく、サイドにも常に2-3人のネパール選手が張り付いているのですから、簡単には崩せませんよね)など、進歩を感じさせる日本チームでした。
それでも、記者席に座る私のうしろでは「なんてヒドイサッカーだ・・」などという、メディア諸氏のハナシが耳に入ってきます。中には「加茂をクビにしろ」などといったワケの分からないものも含まれています。そんなコメントを聞くたびに、また新聞・雑誌の「パスの精度を欠いていた」「単純な中央突破」などといった、事実に反する報道を見るたびに、「一体、この国のメディアはどうしてしまったのだろう・・」と考えさせられます。彼らは、「パスの精度」って一体何のことか本当に分かっているのだろうか・・。「単純な中央突破」とは一体何のことを示すのか分かっているのだろうか・・。考えさせられます。私の目には、素晴らしい精度の「足元へのバス」や「味方のフリーランニングに合わせたスペースへのパス」です。攻守のミスは、いつでも起こるもの。それがなかったら、サッカーの試合ではまったくゴールが入らなくなってしまいますからね。互いに(攻守にわたり)相手をだましてミスを誘発し、それを有効に突く・・、それがサッカーです。つまり「ワンプレー」には、攻守すべての要素が含まれているということです。ですから、決定的シュートが入らなかった現象を、「シュートミス」、「素晴らしい守備とGK」、という両面から見る必要があるのです。
とはいっても加茂ニッポン、昨日の試合でいくつかの課題を発見したに違いありません。こんな「失点の数を抑える」ということを目的にしたチームとの対戦など、後にも先にもこれっきりかもしれませんが、それでも「守備的なチーム」との対戦はこれから何度もあるに違いありません。ゴール前を固める相手に対して、サイドから攻めるのは常道。ただ昨日は、そのサイドにも「守備が集中」しています。これでは、「相手の決定的スペース(最終守備ラインとGKとの間のスペース)を突いて、決定的なシュートチャンスを作ったり、決定的なセンタリングを上げることは至難のワザ。それでも何度かチャンスを作った加茂ジャパンは大したものだったのですが、守備の薄い部分を突くという攻撃の原則からすれば、確かに課題は残ります。有効で素早いサイドチェンジ(何度も繰り返すことで、相手守備を振り回す)、相手守備をゴール前に貼り付けてからバックパス、そてロングシュート(そのこぼれ球狙い)、超速のパス回し、などなど「変化」をつければ、相手守備の「足」をもっと止めることができたに違いありません。また逆に、ネパールとの力の差を考えれば、「相手に(ある程度)わざと攻めさせる」という手が成功したかもしれません(ただしこんなサッカーが成功するためには、本当に大きな力の差のあることが前提)。
最後に・・・。確かにメディアは「問題点・課題を提議」することが仕事です。ただしそれは、一般の方々が、普通のロジックで分かるものでなければなりません。意味不明瞭なファジー表現を使えば使うほど、現場の不信はつのります。日本チームが、メディア不信になってしまわないように、良いプレーは誉め、悪いプレーは叩くという、メリハリのきいた議論が必要なように感じます。(本当の内容ではなく)「結果の数字」だけをベースに、それを裏付けるための「ファジー表現論評」・・。私は、チョット、不満です。ドイツのことを例に出すのは気が引けますが・・・。そこでのメリハリのきいた議論を思い出すたびに、メディアのレベルでも、確かに「本場」には歴史がある、と感じざるを得ません。




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