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一つのドラマが完結した?!・・天皇杯決勝(1999年1月2日)

少し考えるところがあって、アップデートが遅れてしまいました。

 試合は、前半、強力な中盤守備をベースにした積極的な前線への飛び出しなど、エスパルスが圧倒的にペースを握っていたにもかかわらず一点「しか」奪えず、逆に攻めあぐむようになったことからフリューゲルスに立ち直るキッカケを与えてしまっただけではなく、前半のロスタイムにはラッキーな同点ゴールも奪われてしまいます。そして、後半の大逆襲からの決勝ゴール。

 サッカーのゲームって面白いものですよネ。ペースの奪い合いというか、ほんの小さな「こと(刺激など)」をキッカケに、ガラッと試合の流れが変わってしまうんですからね。やはりサッカーは、「有機的なプレー連鎖の集合体」だということです。だから、連鎖がポジティブに噛み合えば、チームパフォーマンスは何倍にもなり、逆に「一人でも」消極的にプレーし始めたら、それがまるで強力なビールスのように、すぐに身体(チーム内)に蔓延してしまうんです。

 「前半はやられっぱなしだったけれど、とにかく一点で抑えておけば後半は何とかなると思っていたんですヨ。それでも(出来の悪かった前半に、それも自らの勝負のループパスをキッカケに)同点ゴールまで奪えるんなんてネ」。世界とのギリギリの勝負を体感した経験から、そのように「試合の流れ」を読んでいたフリューゲルス、山口の試合後のコメントです。まあ、大したものです。

 試合のペースの奪い合い・・。これは深遠なテーマなのですが、このことについては、来週アップデートされる「Yahoo Sports 2002 Club」のテーマとして取りあげようかな・・。

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 1998年度天皇杯の決勝は、「後半」に盛り返したフリューゲルスが、「やり場のない怒り」からほとばしるような「スピリチュアルパワー」の後押し(?!)を受けたかのように、最後まで集中を切らさずに栄冠を勝ち取りました。

 考えてみれば、たしかに彼らには、誰(何)に対して怒りをぶつければよいのか分からないという焦燥感があったに違いないと思えてきます。

 合併までのプロセスを明かさず、密室ですべてを決めてしまったクラブ(企業)マネージメントに対して・・? それを安易に承認してしまったリーグ(クラブ)マネージメントに対して・・?

 それでも、需給関係のバランスが成り立っていない(つまり、企業依存度を限りなく低くすることができるような大衆文化パワーがまだ十分に備わっていない)こと、また、ファンも含めた自分たちが納得するような説明がなされなかったことは問題だったが、結局は自分たち自身で、報酬額が観客動員・メディアノイズレベルからすれば高すぎる・・、クラブが株式会社という営利法人形態である・・、そして撤退する親企業から株式を引き受ける新たな企業がまったく出てこなかったことなどの「現実」を冷静に見つめ、その背景にある意味をしっかりと理解するしかない・・ということも事実なのです・・。

 これで、フリューゲルスが、マリノスに「F」の呼称を残して消滅することになります。「フリューゲルス」という「J−商品ライン」の一部が(一時的に?!)市場から撤退せざるを得なくなったことは寂しい限りではあります。ただ「フリューゲルス」という「ブランド」は生き続けるに違いありません。会社はつぶれても、ある程度社会に認知された「ブランド」だけは確実に生き残る・・。そのことは、一般市場でも既に証明されている「事実」ですからね。「フリューゲルスを存続させる会」の方々のガンバリに期待しましょう。

 さて今回のフリューゲルスとマリノスの合併劇ですが、私は、フリューゲルスの優勝で、その屈折したドラマが、ある形態の完結を見たという捉え方はせずに、それが「J」という社会現象における「次の展開」の序章だったと考えることにします。だから、シーズンの最後まで、「J」を取り囲む厳しい状況にスポットが当たり続けたということでも、フリューゲルスの優勝には大きな意味があったと考えているわけです。

 「次の展開」のベースになるのは、フリューゲルスの合併問題、ヴェルディーからの読売新聞の撤退、ベルマーレの経営規模の縮小、そして吹き荒れるリストラ、減俸の嵐などなどに象徴されるように、「真の意味での、厳しいプロの競争環境」が、常に(これまでも、そしてこれからも)根底にあることを、選手、クラブ関係者など、「J」にかかわる全ての人々が心の底から意識せざるを得なくなったことです。

 「ワールドカップから帰ってきたクラブの練習で、シュートをミスしたにもかかわらず、ヘラヘラしているチームメートを見たんだよ。アッこれはダメだ、まだまだ時間がかかるな・・気の遠くなるような・・そう感じたんだ」

 ワールドカップに参加した、ある日本代表プレイヤーが、インタビューでそう語っていたということですが、そんな「意識の低い」プロ選手たちは、自然に淘汰されていくという環境が整備されたのです。

 今年、大量のプロ選手たちがリストラされることになります。それも、次の展開の序章の一部です。プロである限り、相応の「価値」を提供できなければなりません。できなければ淘汰されますし、スター交代などの下克上もあります。実力さえあれば、年齢、キャリア、学歴、体育会閥などには関係なく(日本サッカーの現状では、まだかなり関係あり?!)、頂上までのし上がっていける。それは、プロの世界の理路整然としたロジックなのです。

 ただ私は、そんなリセッション(不況)的な雰囲気が支配しているにもかかわらず、「J」の本質的な市場価値自体は、着々と高まっていると考えています。そしてその高まりのスピードが、今回の一連の「騒動」で加速するに違いないとも思っているのです。

 もちろんそれは、以前の「バブリーな周辺価値」などではなく、最大多数の人々の生活を豊かにする、(地域の参加意識を高揚させるパワーを秘めた?!)レベルの高いプロサッカーという「コア価値」をベースにしたものです。

 これまでは、(ファッション的な)サッカーバブルだったと考えましょう。ただそのこと(高すぎる選手年俸や有名な外国人選手の獲得、また高い社会注目度など)が、子供たちに「夢」を与え、プロ選手たちのレベルを「急速」に引き上げたことも事実。「J」がなければ、ワールドカップ出場は叶わなかったに違いありません。そのことも再認識しましょう。

 いま「J」は新しい時代に突入しました。ホンモノのプロ環境が「見えざる手」によって深化せざるを得なくなったのです。

 たしかに厳しい状況ですが、そんな危機的な状況が、現場の人々だけではなく、協会、J事務局なども含めた、「J」にかかわる全ての人々の「意識」を極限にまで高めてくれることに、大いなる期待を抱いている湯浅です。

 「脅威」と「機会」は表裏一体。それは使い古された普遍的概念なのですが、特に脅威を意識した選手たちには、それを良い機会だと捉える「ポジティブ・シンキング」で、渾身のチカラを込めた「リスク・チャレンジ」など、観客、テレビ視聴者に感動を与えることができるような「彼らの唯一の仕事場」でのエキサイティングプレーを展開して欲しいものです。

 彼らが提供できる「市場価値」は、それしかないのですからネ・・。




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