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ジーコジャパン(15)・・勝てば官軍、負ければ賊軍?!・・(2003年6月25日、水曜日)

勝てば官軍、負ければ賊軍・・。

 意味は、「戦いは、道理に合わなくても勝てば正義で、道理に合っていても負ければ不正なものとされること(岩波書店 広辞苑第五版)」ということです。ちなみに「道理」とは、「物事のそうあるべきすじみち(岩波書店 広辞苑第五版)」と定義されるのだそうな。フムフム・・。

 コンフェデ後の報道は、ネガティブコメントが目立っていました。なかには、ニュアンス的に「内容からすれば惜しい結果だった・・」というものもありますけれどね。

 私は、試合の結果「だけ」を出発点に、グラウンド上の現象に対するコメントニュアンスを組み立てないように心がけています。

 もちろんジーコジャパンには、身体的・技術的・戦術(発想)的・心理精神的ファクターで(世界の一流から比べれば!)課題は山積みだし、まだまだ、攻守にわたって次元の低いミスも多い。それでも私は、全体として、「まだ世界の二流」である日本代表はよくやった(発展傾向が見えてきた)・・中村俊輔や小笠原のプレーからも、天賦の才を最大限に発揮するという可能性(プレー姿勢&意識の好転傾向)が見えてきた・・中盤の選手タイプのバランスも改善されている・・ジーコも学習し、チームマネージャーとしてのバランス感覚が高揚していると感じられるようになった・・等々、ここまでのプロセスも含み、今回のコンフェデにおける「日本代表のゲームコンテンツ」をポジティブに見ていました。たしかに予選リーグでの脱落は悔しい事実でしょうが、決してそれは「無様な敗戦」ではなかったと評価しているということです。

 言葉を換えれば、日本代表チームが、まだ世界の一流という域まで到達していない日本サッカーに対して「希望を与えられる存在」になっているかどうか・・というのが、私のコメントの基本的なスタートラインだといえるかもしれません。結果に基づいて、また「世界」と比べて批判することは簡単な作業ですからネ。

 私の行動コンセプト(目的・目標イメージ)は、(まあ思い上がっている部分もあるでしょうが・・そのことを冷静に見つめるのもわたし自身のチャレンジ!)できるかぎり多くの生活者の方々がサッカーを語りはじめること・・そのための「言語」を備えられるようになること・・そして、その一助となること(一助になれれば幸せ)というものです。その「目的イメージ」が全てのスタートラインであるし、自分自身のワークに対する評価基準でもあるということです。

 だからこそ、何度もビデオを見返すことで、試合全体の「流れコンテンツ」だけではなく、局面での(個人の、またグループでの)素晴らしいプレーやミスという「現象面」を見つめ、その背景に潜んでいるであろう戦術的発想や心理的要因などを分析する作業をつづけているのです。もちろん選手たちに対するアピールという意味も含めてね。

 とにかく(まあ現実的には、コーチングスタッフが行うのでしょうが・・)、ポジ&ネガ両面の「現象」を何度もビデオを見返すことでその背景ファクターを分析し、選手たちに対する「効果的な刺激」とともにそれを指し示すことで、その「現象」が彼らのイメージ貯蔵庫により明確に刻み込まれるという作業(=イメージトレーニング)をくり返さなければならないということです。

 それこそが、ゲーム展開の7-8割を左右する、攻守にわたる「オートマティゼーション・プレー」を、より高い次元に引き上げるための実効あるプロセス。そんな地道な努力があってはじめて、仕掛けにおける自由度も(その発想も)高揚させることができるだろうし、「世界との最後の僅差」も効果的に縮めていけるというわけです。

 ちょいと、あれがダメ、これがダメ・・というエキセントリックな「後ろ向き」批判の渦に対し、「そうかな〜〜」と首を傾げるだけではなく、そのニュアンスが相乗パワーを持ってしまうことを危惧している湯浅なのです。ジーコもポジティブに変わってきているのだから、もっと冷静にプロセスを見つめなければ・・ってネ。

 とはいっても、負けたという事実に対する冷静な批判ももちろん重要ですし、エキセントリックな批判にしても、(自分なりの)道理を突き詰めようとする「現場の人々」のチャレンジににとって良い刺激(逆モティベーション)になると、ポジティブに捉えられないこともありませんがネ・・。

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 別件の仕事が重なっていることで「私なりのビデオ分析」に取りかかれていません。ということで、まだまだ舌っ足らずで十分に納得がいかないにしても、自分自身の行動コンセプトを見つめ直すという意味合いも含めて「こんなコラム」をアップしておこうと思った湯浅でした。

 それにしてもブラジルの予選リーグ敗退は残念。たしかに彼らは、持てる実力を十二分に発揮しているとは言い難いプレー内容ではありましたが、それにしてもの(ゲームの流れからすれば、まさに!)ツキに見放されたといえる敗退でした。それに私は、彼らの大会期間中における発展プロセスにも興味をもっていましたから・・。

 まあそれも、必然と偶然が交錯するサッカーが為せるワザ。だからこそ人々が愛して止まないのだろうし、まただからこそ、結果に囚われ「過ぎて」しまったら、確実に、ゲームの本当のコンテンツに対する見方を外してしまう危険性が限りなく大きくなってしまうということです。

 まあ、いまブラジルでは、バレイラ監督に対する大変な批判の嵐が巻き起こっているのでしょうが、彼らには、それを逆モティベーションにできるだけの文化・歴史的なバックグラウンドが備わっているでしょうからネ・・。




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