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ヨーロッパの日本人・・今週も高原から入りましょう・・(2003年4月13日、日曜日の早朝)

いや、本当に、素晴らしくエキサイティングな勝負マッチでした。

 それでも、底力では、やはりドルトムントに軍配があがる。たしかにチャンスの数では互角でしたが、前半や、後半の立ち上がりの20分間における戦術的なプレー内容など、やはりドルトムントの方が実力が上と感じさせられるのです。

 守備でのチーム戦術的な発想(それぞれの選手たちのポジショニングバランス、ブレイクからの忠実マンマーク、ブレッシングのプロセス、カバーリング等々)、また攻撃での展開と仕掛けの発想(サイドスペースやウラスペースなどの勝負所を明確にイメージしながらのボールの動きなど)では大差はありません。それでも、そんな「大きな流れ」をつなぐシーンや最終勝負シーンにおける「個々のクオリティー」で僅差が見える。そんな「個々」が加算された総合的なチーム力では明確な差が見て取れるということです。

 先日、日本で行われたフットボールカンファレンス。そこで講演したアンディー・ロクスブルク(UEFAテクニカルディレクター)さんが、こんな言葉を紹介しました。それは、1980年代に「デーニッシュ・ダイナマイト(ダイナマイト・デンマーク)」と世界中から恐れられたスーパーチーム、「全員守備・全員攻撃」を体現したデンマーク代表の伝説的なキャプテンであり、日韓W杯でデンマーク代表監督を務めたモアテン・オルセンが、大会後に述べていた言葉。

 「チームのスターは、あくまでもチームである。しかし、差となったのは個人のクオリティーである」。これは、何が「差」の本質なのか・・という普遍的なテーマに対し、彼なりの表現で応えたものだそうな。そういうことなんですよ。やはりサッカーはチームゲーム(パスゲーム)であり、どんなスターでも、そのベースに則って機能しなければならない・・それでも最後の勝負所でモノを言うのはやはり「個のチカラ」。守備においても、攻撃においても・・。

 現代サッカーでは、その傾向がより強くなっています。あくまでもシンプルにボールを動かしつづけながら(もちろん各ステーションにおいて、エスプリが効いた小さな驚きプレーを織り交ぜながら!)最後の「個の勝負」のチャンスを狙いつづける・・。そこでは、組織プレーの「全体的なリズム」を乱す「個」は邪魔なだけの存在になる・・もちろんマラドーナのような世紀の天才は別なのだが・・っちゅうわけです。だからこそ、レアル・マドリーやマンチェスター・ユナイテッドが、本当の意味での世界の強豪チーム(イメージリーダー)として君臨しているということです。

 理想型は、美しさと勝負強さが高質にバランスしたサッカー。単純なルールだからこそ、また不確実な要素が満載だからこそ(最終的には、自由に、自分主体でプレーせざるを得ないからこそ)奥が深い。やっぱりサッカーには、社会メカニズムにも通じる普遍的な価値が満載されている・・。

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 ちょっと「脱線」がふくらみ過ぎてしまいました。さてハンブルガーSV対ボルシア・ドルトムント。

 上記した意味で、コレル、ロシツキー、アモローゾ、フリングス、エヴェルトン、デーデ、エヴァニウソン、ケール、ヴェルンス等、チカラのある選手たち(チームプレーのスターたち)を集めたドルトムントの方が、チーム総合力では一歩リードしているのは誰の目にも明らかです。それでもハンブルクは「ホームパワー」にバックアップされていますからね、攻撃での最終勝負や守備での競り合いでの「勢いや粘り」という視点では、互角の雰囲気なのです。

 ここで、ホームゲームとアウェーゲームの「勝率」を比べた私のデータベースを参照してください(ちょっとデータが古くなってしまいましたが・・)。「J」と比較すれば、違いは明らかですよね。要は、いかにサッカーが「本物の心理ゲーム」であるか・・ということが言いたかったのですが、その結果はまた、各都市を代表するクラブが地域社会のアイデンティティーになっているかという事実も含め、サッカー文化の「浸透度」の本質的な部分を示しているのかも・・。

 ということで、強いドルトムントに対し、互角の雰囲気でゲームを進めるハンブルク。後半10分には、スローインからバルバレスがヘッドでつなぎ、マハダビキアが、右ポストを直撃するヘディングシュートを放ちます。そして、それがチームの「刺激」になり、後半立ち上がりの押し込まれる展開を逆流させていくのです。

 ところで、ハンブルクにとってバルバレスの「頭」は、本当に効果的な武器です。マハダビキアのゴールチャンスの後も、彼の「ヘディングでのつなぎ」から何度かチャンスを作り出しました(後半40分のロメオの決定機は本当に惜しかった・・ドルトムントゴールの右を、ほんの数センチ外れた!)。それも、周りとのイメージシンクロというわけです。

 後半15分、高原が登場します。交代の相手は、例によってカルドーゾ。この試合でのカルドーゾは、良かったですよ。特に前半はネ。それでも、後半に入ってからは、急速にパフォーマンスがダウンしてしまって・・。そして高原と交代ということになった次第。

 よしっ!と観戦にリキが入ったのですが、でもこの試合での高原は、十分にチームに活力を与えることはできませんでした。どうも、前線に張り付き過ぎ(相手のマークを外し、フリーでボールを持つというシーンを演出できない)というイメージが強かったのです。もっと広範囲に動きまわってパスのターゲットにならなければ・・(前線が詰まっているのだから、もっと戻ってボールに触らなければ・・)。

 まあそれには、ドルトムント中盤のダイナモとして(目立たないところで)、攻守にわたってうまく機能していたフリングスが、二枚目のイエローで退場になったこともあったのでしょう(後半21分のことです)。そこからのハンブルクが押せ押せになりましたからね。だから高原も、高い位置でのパスレシーブをイメージしてしまう傾向が強くなったということです。

 ただそんな状況だからこそ、彼自身が味方とのタテのポジションチェンジをリードするというイメージもミックスできれば、相手マークからフリーになれるという意味も含め、より効果的なプレーが展開できたに違いない・・。

 この試合では、中盤でパスレシーブした状況で、次の仕掛けをリードするというコンビネーションプレーはうまく機能しませんでした。まあドルトムント両サイドのエヴァニウソンやデーデは一流のディフェンダーですからね、何度も、高原がトラップした直後のタイミングで(トラップのアクションを読まれて)、素早く狡猾なアタックでボールを奪われてしまうというシーンを目撃されられましたよ。

 そして結局、高原が決定的な仕事に絡むことなく「1-1」の引き分けに終わったというゲームでした。

 あっと・・ゴールですが、先制したのはハンブルクのロメオ。左のホラーバッハからのクロスに、最初ちょっと戻り気味に動き(相手マークとの間合いを空け!)、ベストタイミングで前へダッシュしたことで競り勝った、素晴らしいヘディングシュートでした。それでも、その2分後には、クロスがこぼれたところを、コレルに同点ゴールを決められてしまって・・。

 とにかく、本当の意味でチームに組み込まれはじめている(チームメイトたちの彼に対する信頼レベルが高まりつつある)高原は、どんな内容であれ、グラウンド上の現象を「体感」として蓄積する作業をつづけなければいけません。そしてそれを、攻守にわたる積極的な自己主張につなげていく・・。ガンバレ、高原。




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