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帰国しました・・それに最終メンバーについて一言・・(2002年5月18日、土曜日)

やっと帰国しました。成田に到着しても、まだ夢と現実の狭間を行ったり来たりといった風情。飛行機のなかでは、まったく眠れませんでしたからね。そして、いくつか新聞を購入し、新宿へ向かう成田エキスプレスのなかで「最終メンバー」に関する記事を読みあさった次第。

 わたしのところにも、様々なメールがきましたよ。不満あり、納得意見あり、はたまた達観した意見あり・・。

 それに対して、こんな返事を書きました。

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 選手の選考については、契約プロコーチに一任されます。それを尊重しなければなりません。もちろん私も、フィリップ・トルシエの同業者として、彼の(また彼のスタッフたちの)判断と決断を尊重します。私が期待した「名波」と「久保」が漏れたにもかかわらず・・。

 近いうちに、フィリップから「哲学的な表現」を用いて、選手選考の根拠についての表明はあるのでしょう。でも、「何故」という部分については、具体的な議論はやりにくいものなんですよ。サッカーは、数学的な「定量評価」ができる代物じゃありませんからネ。

 たしかに私は、名波、久保の落選に納得しているわけではありませんし、「私の論理」をベースに「何故」という議論を展開することはできます。ただそこには、外部の者には絶対に分からない「内部事情」もあり、それぞれに「内包される意味」が異なる言葉を用いて、選考の「評価基準」を議論することなど、とてもできるものじゃないのです。

 まあ、百人の監督がいれば、確実に「百様の代表チーム」が出来上がるということです。

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 これまで私は、サッカー選手としての「普遍的な価値」について、様々な「表現」を開発してきたつもりです。

 身体的な能力やテクニックなどという「見えやすい」部分ではなく、インテリジェンスや精神力、はたまた創造性などをベースにした「戦術的なチカラ」という部分での「価値」のことです。

 例えば、「攻守にわたって、自分主体で(常に全力で)仕事を探しつづける姿勢」、「互いに、使い、使われるというメカニズムに対する理解度(それが互いのリスクチャレンジプレーのバックアップになる!)」、はたまた「攻守にわたるボールのないところでのアクション内容」等々。でもそれも、まだまだ普遍的というには稚拙だし、「価値」にしても、その評価については、それぞれのコーチで、大きく相違します。

 サッカーは、不確実性ファクターが満載されているからこそ、最後は、自分自身の判断で「自由」にプレーせざるを得ないという、ある意味では理不尽とまでいえるボールゲームです。要は、それぞれのグラウンド上の現象が、常に、味方と相手選手たちのアクションを基盤に、常に「有機的に連鎖」しているということです。

 ちょいと難しい表現になってしまいましたが、基本的なチーム戦術や選手の組み合わ、相手、また自然条件・プライベート条件等々といった様々な要素によって、それぞれの選手たちの「出来」にも雲泥の差が出てくるということです。監督は、それらの、本当に錯綜した「要素」と、具体的に「見えてくるもの(内容と結果)」を広範に把握し判断するという作業をくり返すのです。

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 まあ、この最終メンバーについては、自分の「論理」や感情的なモノも含めて、これからも議論百出でしょう。でも、もう決まったことなのですから、これからは、それで(相手を考え)一体どんなゲーム戦術が有効なの・・、どんな選手の組み合わせがベストなの・・なんていうことにアタマを使おうと思っている湯浅なのです。

 あまりアタマが回らないのですが、一応、私の基本的な意見だけは述べておこうと思ってキーボードに向かいました。

 それでもネ・・。名波と久保だけは、絶対に入れておいた方がいいのに・・なんて未練タラタラの湯浅なのです。




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