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帰国報告・・そして「インド」で感じたことを少しだけ・・(2001年1月14日、日曜日)


「ウワッ!」

 そんな恐怖の叫びが、何度、口をついて出そうになったことか・・。そこは、インドの首都、デリー(ニューデリー)とムンバイ(以前のボンベイ)を結ぶ幹線道路。日本でいえば、さしずめ国道一号線といったところです。それなのに・・

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 どうも皆さん、帰国しました。

 一体どこへ行ってたのかって? ヨーロッパからインドへ・・

 今回は、まずヨーロッパへ飛び、様々なヤボ用を素早く済ましてから、「とんぼ返り」で、「混沌の国」、インドへ飛んだというわけです。何故? 「純粋にプライベートな理由」もあるのですが、他に「職業的な理由」を挙げるとしたら、たぶん・・プロコーチとしての(・・プロコーチであり続けるための?!)「刺激」に対する渇望・・といったところですかネ。ちょっと、カッコつけ過ぎかもしれませんが、とにかく、何とかいまの自分が内包する「凝り固まった」日常生活イメージから「解放」されたい・・という欲求にかられてしまったからとでもいえるかもしれません。

 そして望んだとおりに、実に様々な「異文化コンテンツ」に接し、「自分なり」に対峙しなければならなくなってしまって・・

 そのうちの一つが、冒頭の「ウワッ!」ってなわけです。ご説明さし上げます・・

 とにかく、それが「一級国道」なのに一車線で舗装状態も悪い。それもセンターラインが引いてあるところの方が少ないという体たらく。そこを、まったく「巡航スピード」が違う様々なタイプの車が爆走しちゃって。

 重い積み荷をひっ張るトレーラーだったら、時速20〜30キロがいいところ(日本だったら完璧に積載オーバーで逮捕!)、また早いクルマ(新型のオフロードタイプや小型乗用車など)は80キロは出しています。そこに、バス、オートバイ(ほとんどが小型で、40キロのスピードがせいぜい)、そしてたまには「牛」なんかも闊歩していたり、自転車が「並列」でのんびりと走っている、そして道路はデコボコ・・。そんな状況で、貨物自動車が多いこともあり、速いクルマやバスなどが、どんどんと追い越しをかける・・、もちろん対向車線でも同じ光景が・・。スレスレで行き交う「ボロボロの自動車群」。まあ最初のころは、「地獄」に感じられた光景でした。

 それでも不思議と事故に遭遇しない・・。互いに(追い越しをかけるクルマや対向車線で同様に追い越しにチャレンジしているクルマなどが)クラクションを鳴らしっぱなしで知らせ合うんですが、チョットでも、本当にほんのチョットでも集中を切らせたら・・もう・・

 それでも事故に遭わない・・(もちろん事故率は凄いんでしょうが・・幸いにも私が経験することはなかった?!)。フ〜〜ム。私も運転には自信があるので、常に運転手の視線を追っているのですが(私が乗ったのは、古い、本当に古いアンバサダーという、ディーゼルエンジンを積んだインド製のタクシー!)、その追い越しのタイミングの絶妙なこと・・。もちろん追い越される側も、状況は先刻承知で、しっかりと「譲り合い」ます。何度も、数台まとめて追い越してしまうタクシードライバー氏。タイミングが合わなければ、対向してくるクルマが、測道(とはいってもダート!)へ避ける・・。「まあ、大したもんだナ・・」なんて感心しながら、だんだんと、その追い越しゲーム(これは、私の感覚からすればもうチキンゲーム!)の「タイミング」に慣れ、落ち着いていく自分を発見していました。

 日本の公道だったら、考えられない(絶対に許されない=官僚が完璧に規制してしまう)「危険因子」のオンパレード。インドの人々にとっては、常に「危険(死?!)と隣り合わせの生活」が日常だということなんでしょうネ。(我々日本人の目からすれば!)危険と隣り合わせの(無秩序だからこその自由=全てが自己責任?!)インドの日常生活・・逆にいえば、過保護(過ぎた規制オンパレード?!)ともいえる日本の日常生活・・フム・・

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 私がタクシーを駆って向かったところは、ヒンドゥー教の「聖地」と呼ばれる、プシュカールという小さな村。デリーからは、まず飛行機で、250キロほど南に位置する「ラジャスターン州」の州都、ジャイプールへ向かい、そこからタクシーで、150キロ西南西へ(砂漠地帯の方向へ)入ったプシュカールへ向かったというわけです(それでも、タクシー代は3000円くらい)。

 「危険因子」といえば、(ピンクシティーと呼ばれている)ジャイプールの街中も、相当なもんでしたヨ。とにかく、人(その数が半端じゃない!)、リヤカー、自転車、リクシャー(三輪車の簡易タクシーみたいなもので、エンジン付きのものと人力あり!)、牛、馬、ラクダ(たまにはゾウも!)、それに、バス、トラック、自動車にオートバイなどが、本当に入り乱れるように交錯するのです。何度、目をつぶったことか・・。とはいっても、そこでも不思議なくらい事故を見ませんでした(アッ! 事故になる! という感覚で冷や汗が出るシチュエーションも不思議と少ない・・)。そして人々は、「あうん」の呼吸で、スレスレの「(私の目からすれば・・)危険の交錯」を楽しんでいる・・?!

 徒歩で道路をわたる人々は、決して「走る」ことはありません。双方が「うまく対処」できる「反応スペース」を残しているのです。もし走ったりしたら、自ら「対処の可能性」を抛棄してしまい、ヘタをすれば、避けようとするクルマの進行方向へ入ってしまうことだってあるでしょうからネ・・

 とにかく、そんな「危険因子」が日常に満載されていることも、私たち日本人にとっては「異文化」であることに違いありません。

 もっといえば、今回の旅の目的のひとつが、「異文化に素直に入っていけるかどうかを確かめたくて」ということだったのかも・・なんて感じていた湯浅だったのです。

 文化は、地政学的な要因、人種、民族、文明・技術レベル、宗教、そして言語なども含む(チョット要素が錯綜しているかも・・ご容赦アレ!)さまざまな生活環境によって異なってくる、人々の「生活の仕方」(・・この考え方に、根本的なマチガイがあればご指摘ください!)。だから、異文化に接することは誰にとっても「大いなる刺激」になるはずです。でもそれを「自然」に受け入れられるかどうかは、また別のハナシ。私は、自分がどのくらい「当たり前」に異文化に入っていけるかどうかを確かめたくなった・・ということなのかもしれません。アッと・・またちょっと気取った表現になってしまってかも・・

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 ここで取り上げた交通システムに限らず、日常衛生などの生活インフラ的な問題点から、大きな生活(所得)レベル格差の存在なども含む社会インフラ的な問題点まで、それらは、先進工業国では「ある程度」はうまく「抑制」されている危険因子だとすることができます。

 私は、そんな「未規制(未整備)因子」が満載したインドの文化に入り込みながら、それらを「かなり」スムーズに受け入れることができた自分を「体感」して、ちょっと安心したというわけです(もちろん、最低限必要な予防措置や心構えは大前提ですが・・)。

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 あっと・・、数日を過ごした「プシュカール」のことについても簡単に触れましょう。

 そこは、地下からの湧き水が作る小さな湖のまわりを取り囲むようにできた美しい村。100を超えるヒンドゥー教の寺院が建ち並びます(前述したように、そこはヒンドゥー教の聖地! だからその村では肉は食べません・・レストランにも肉料理のメニューはありません・・)。山に囲まれた「砂漠地帯(デザート)」ですから凄く乾燥しているのですが、気温は、いまは真冬ということで、昼間でも22〜23度くらいまでしか上がらず、本当に過ごしやすい毎日でした(砂漠地帯に特有の放射冷却のため、夜はかなり冷え込みはしますがネ・・)。そして夜空には満点の星が・・。本当に心を奪われてしまった湯浅だったのです。

 村は、徒歩で30分もあれば一周できるくらいの規模。「規模」といっても、村の中心街の周辺には、インドでも「極貧」といえる人々が生活する「ホンモノの砂漠地域」が広がっていますから、どこまでを村の範囲というのかは分かりませんが・・

 その「砂漠地域」に、むき出しレンガを積み重ねただけの「簡素」な建物に居住する極貧の人々の生活は、本当にハードだと感じます(何度も書きますが、あくまでも私の目から見てのハナシ・・『まだ』比べる対象を持たない彼らにとっては、ごく普通の日常生活?!)。ゴミも捨て放題。そして時々、犬や鳥に「ついばまれる」牛や犬などの死体に遭遇します。

 「身近にある具体的な死」と隣り合わせの生活。ほとんど毎日、そんなハードな現地の人々の生活を体感し、生活レベルの向上という課題は、時間が解決するんだろうけれど、そのプロセスではどのような社会的展開があるのだろう(暴動や革命?! いや、インドには深い信仰や、非暴力エボリューションというガンジーの教えも根付いているはずだから、暴力は否定されるはずだけれど・・)などと考えを巡らせることもまた、私にとっての自然な日常マインド環境になっていきました(もちろん現地の人々とも、そのことについて深く話し合ったものです・・それについては別の機会に・・)。

 それでも、死んだ母犬と四匹の子犬の横で、フラフラになりまながらさまよっていた、生まれたばかりの残りの二匹の子犬を見たときはちょっと落ち込みましたが・・近くの家族に、いくばくかのお金をわたして世話を頼んだのですが・・さて・・。フム・・

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 さて今回のコラムで言いたかったことです。それは・・

 自らの「サッカー的な哲学(コンセプト)」を確固たるものにするため、どんな「文化」でも、「あるがまま」に受け入れられることも重要な要素・・、それがあって初めて、どんなに困難な問題に直面したとしても、自身の「矮小な理論(発想)」などではなく、より解放された広い「視点」でソリューション(解決)プロセスを探ることができる・・、また、具体的な危険(=自然のあるがままの姿?!)と隣り合わせの日常環境には、サッカーにかなり通じるものがある・・、サッカーでは、どんなに「クレバーな戦術」でも、必ず大きな「危険因子」がつきまとうモノだから・・

 ということで、次には(どこで書くかはまだ決めていませんが・・)、サッカーコーチにとって永遠のテーマである、限りなく危険因子を抑制するような「消去法的な発想」か、それとも危険因子を「当たり前の要素」として捉え、常にリスクチャレンジを繰りかえしながら前へ進む「ポジティブ(積極)発想」か・・という主題でコラムを書くことに「チャレンジ」しようと思っている湯浅なのです。

 まあ結局のところは、「消去法的な発想」と「ポジティブ(積極)発想」を、バランス良くミックスすることで「戦術」を考えるというのがもっとも現実的なんでしょうがネ。ということで、乞う、ご期待・・




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