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「黙祷」!・・そして戦術的にローマを圧倒したレアル・マドリード・・チャンピオンズリーグ、ローマ対マドリード(1−2)・・(2001年9月12日、水曜日)

「この暴挙は、全世界の民主主義社会に対する重大な挑戦である・・」。小泉首相が、記者会見をしたところです。

 昨日(というか早朝まで)は、とにかくテレビの報道、インターネット情報に釘付け。もちろん、アメリカで起きた「テロ(物理的な暴力)」。チャンピオンズリーグ初戦、ローマ対レアル・マドリード戦でも、犠牲になった人々に対し、キックオフ直前に、黙祷がささげられました。

 「東欧ブロック」の崩壊後、唯一の軍事超大国となったアメリカ。世界の「警察」として機能せざるを得なくなったアメリカ。それでも、社会(国民国家・集団などの状態!)、宗教・イデオロギー、人種・民族、はたまた「様々な(相対的)要素を包含する歴史的な事実」etc.など、すべての『立場』に対して「完全にニュートラル(フェア)」に対処するなど不可能です(残念ながら、アメリカも含め、すべての「立場」が自己防衛=自分本位の発想が基本でしょうから・・)。そこには、(いろいろな要素にわたって)ボーダーレスに国際化し情報化する世界・・という現実もあります。当然、それぞれの「立場」から、様々な「視点」に基づいた不平・不満(憎悪にまで発展!?)が出てくることも不可避・・。

 一つだけ確かなコトがあるとしたら、それは、暴力では何も生み出すこと(状況を良い方向へ進展させること)はできない・・ということです(暴力の定義は、これまたそれぞれの立場によって千差万別でしょうが、ここでは、前述したような『無差別の物理的な暴力』と限定しましょう)。

 当然アメリカは、ターゲットを絞り込んだ「報復攻撃(反撃の暴力)」を仕掛けていくのでしょう。ただ相手は、ある意味では「具体的なオブジェクト」が明確ではない「テロリズム」。これは大変なことになった・・。いまは、中東地域も含め、「暴力が多重的・複合的に波及していく」という悪魔のサイクルに陥っていかないようにと願うだけ・・。フ〜〜〜

 とにかく、犠牲になった方々に対して黙祷をささげるとともに、負傷された方々、そして「様々な傷」を負われた方々に対し、心からのお悔やみを・・

 「立場が違う」当事者意識だけは常に持っている(・・と思っている)だけに、無力感に苛まれている湯浅でした。このような(基本的にスポーツとは別フィールドの社会現象である)「錯綜したファクターを背景にする事件」を書くという「蛮勇」に対して、ご理解いただければ幸いです。

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 さてゲーム・・

 なかには、あのショッキングな「映像」を見てからグラウンドへ向かった選手もいたに違いない・・そんなことを感じていました。ゲームは、立ち上がりから「もの凄い動き」を示します。

 まずレアルが攻め込み、数分後にはローマがペースを握る。そして再びレアルが・・

 そこではまず何といっても、両チーム選手たちの「守備でのコンセントレーション(集中マインド)」が最高レベルに達していることを感じました。中盤ディフェンスで、誰一人として気を抜いていない・・、ボールホルダーをチェックする者、次のパスカットや、パスレシーバーへのアタックを狙う者、フリーランニングを仕掛ける相手を「最後まで」マークする者、そして決定的スペースへの「ラストパス」を意識したポジショニングをする最終守備ライン・・。

 そして、高い守備意識(集中)の「一瞬の間隙」をぬうように、チャンスを作り出す両チーム。

 そんな彼らの「集中マインド」を体感させられ、いやが上にも、観戦の気力が高まっていったわけですが、ゲームは、徐々にレアルが「内容的(戦術的)に圧倒」するような展開になってしまって・・

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 今週号のサッカーマガジン(1/4コラム)で、レアルの「選手タイプのバランス」が微妙に崩れている・・そしてそれを補正できていない(スペインリーグ初戦のバレンシア戦を見た後のコラム)・・と書きました。もちろんそれは、天才のジダンが加入してきたからです。

 ただ、ジダンが出場停止で出られないこの試合を見ていて、(もちろんエルゲラの「穴」は明確に感じるものの、希代のチームプレーヤーであるマクマナマンが入ったことで!)調子が良いときのレアルの攻撃がもどってきたと感じました。

 要は、攻めのコンビネーション(ボールと選手たちの「動き」によって演出されるダイナミズム!)が格段にアップしたということです。やはりこのチームは、「まだ」、攻撃のクリエイターとしては、フィーゴの「プレースタイル(プレーリズム)」の方に慣れている・・というなんでしょう。

 スペインリーグ第二戦の、対マラガでは、フィーゴが「出場停止」ということで、ジダンが「コアのクリエイター」になったわけですが、どうも、「ボールと人の動き」が相乗効果を発揮できていなかったですからネ。

 この試合でのレアルは、「組織プレーと個人勝負プレー」が、本当に美しいハーモニーを奏でていました。「あうん」の「イメージシンクロ」をベースにした素早く、広いボールの動き・・、そしてそこに、フィーゴ等の「才能ベースの個人勝負」が絶妙のバランスでミックスされていく・・。いや、素晴らしい。

 もちろん、そんな「次元を超えた組織プレー(パスプレー)」のベースは、選手一人ひとりの高度な「能力」であることはいうまでもありません。

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 チャンスの「内容」では、レアルが圧倒していました。前半では、マクマナマン、グティー、フィーゴ等が、次々と「ローマゴール前の決定的スペース」を突いてシュートまでいきます(=ローマの最終ラインが崩された!)。対するローマは、(流れの中とフリーキックによる)センタリングからのヘディングシュート二本だけ(バティーとトッティー)。要は、レアル最終ラインの「ウラ」を突いた攻撃は、まったくできていなかったということです。

 後半。フィーゴのフリーキックが見事に決まり、つづいてフィーゴのセンタリングから、グティーが追加ゴールを奪います。この二点目のシーンでは、グティーが、ローマゴール前(ニアポスト寄りの中央ゾーン!)で「まったくフリー」になってしまって・・。フィーゴの「正確なラストパス能力」を甘く見たんですかネ。完璧な、ローマ守備陣のミスではありました。

 その後、攻め上がるローマですが、例によっての「カッタるい」ボールの動きをベースにした(要は、局面での個人勝負に頼り切る)攻撃ですから、簡単にレアル守備ブロックを崩せるはずがありません。対するレアルは、「重心が前にかかった」ローマの中盤に空いたスペースをどんどんと突いていきます。フィーゴが、ラウールが、はたまたグティーが、次々と「決定的シュートチャンス」を得ます(特に、ロベカルがドリブルで左サイドを突破し、最終的なトラバースパスが、ピタリとラウールに合った決定的チャンスは特筆ものの美しさでした)。

 前への「エネルギー」だけは感じられるローマ。それでも、この「リズム」じゃ、レアルの守備ブロックを崩せないな・・なんて思っていた後半28分、レアルのカランカが、うまいタイミングで「抜け出してきた」ローマの右ストッパー、ゼビーナを引っかけてPKを取られてしまいます。冷静に決めるバティー・・

 この「PKシーン」では、まず、ローマ右ストッパー、ゼビーナが、後方の右サイドライン際から、前線のトッティーへタテパスを出します。そして意を決しました。「よし、レアルの守備ブロックは足を止めている。いまだ!!」。そして「完全に自分主体の意志」で、ボールを持つトッティーだけでなく、他のチームメイトたちをも「追い越し」て、レアルゴール前の決定的スペースへ飛び出していったのです。

 そこへ、ゼビーナの決定的フリーランニングを「タイミング良く察知」したトッティーが、抜群のタイミングとコースのスルーパスを通します。カランカが気づいた時には、既に「時遅し」ってな具合でした。

 このような膠着した状態だからこそ、「攻撃の変化」が必要だ・・、ボールをしっかりと動かしつづけるレアルでは、個人的な能力だけではなく、ボールのないところでの縦横の「ポジションチェンジ」が、変化の演出という意味で効果的に機能している・・、でも「足許パス」ばかりが目立ってしまうローマの攻めでは・・。

 そんな状況で飛び出した、ゼビーナの決定的フリーランニング(決定的なリスクチャレンジ!)。またまた、「サッカーの原点」を見た思いがしたものです。

 インプレッシプだったのは、その「追いかけゴール」の後にローマが魅せた、フルパワーの攻勢を「余裕をもって」受け止め、しっかりとした中盤での組み立てから、最後までカウンター気味に危険な攻めを繰り出しつづけたレアルの「自信」でした。

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 さて、「ジダン抜き」で(従来のラインアップで)、彼ら本来の「互いのイメージが高度にシンクロ」した素晴らしい組織サッカーを展開したレアル・マドリード。

 「二人の天才の融合」という難しいテーマをどのように解決していくのか・・、デル・ボスケ監督の手腕に注目しましょう。

 




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