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オーストラリア報告(1)・・フィリップの「余裕」・・そしてオーストラリアvsイタリア(0−1)について・・(2000年9月13日、水曜日)


「日本のメディアは、南アフリカ戦とスロバキア戦に負けたとしても、ブラジル戦にさえ勝てば満足なんだろうな・・」

 「言いたいことは、日本のメディアが、大きな目標を取り違えることが多いっていうことなんだ。オリンピックでの目標は、まず全力を尽くして良いサッカーをやること。そして出来ることなら勝って日本サッカーを世界にアピールすること。そしてそれをベースに、2002年ワールドカップへ向けて良いチームを作っていくということなんだ・・。だから結果もそうだが、内容もしっかりと評価して欲しいネ・・」

 13日の午後、キャンベラのコンヴェンション・センターで、フィリップ・トルシエの記者会見が行われました。そこでまず感じたのが、彼の「余裕」。「自信」あふれる言動・・それです。

 とにかくフィリップの言動(メディアに対する態度)に「心理・精神的なキャパの進展」を実感できただけでも会見に行った甲斐があった・・と思っていた湯浅なのです。以前から比べれば、雲泥の・・とでも表現できるほどの格差があります。それも、彼が成した「仕事の内容」をベースに、「日本」が彼のことを支持しているとフィリップ自身が「実感」しはじめたことの証明なんでしょう。

 以前は、(確信が持てなかった・・また心配や不満があった故に、不必要に攻撃的になっていたことで・・?!)ほんのチョットしたつまらないことにも敏感に反応していたものですが、今では、次元の低い質問や挑発的な質問にも、余裕をもって聞き流すことができる(余裕を持って受け応えができる)ようになりました。もっといえば、それは、彼の深層心理にある「コンプレックス」も解消されつつある・・ということなのかも・・(その意味でも、彼にとっても、日本で仕事をすることは最高の学習機会なのかも・・)

 会見にもどりましょう。そこには南アフリカのジャーナリスト、ブラジルのジャーナリストも参加していたのですが、特に南アフリカのジャーナリストに対する「感情こもった」発言は印象的でした。

 まずフィリップが、「南アフリカの人々(あなた方、ジャーナリスト)は、日本代表に勝つというよりも、フィリップ・トルシエのチームを叩く・・ということの方に興味があるようだけれど・・」と、南アフリカのジャーナリストを挑発します。

 それに対して、そのジャーナリストが、「まさにそうかもしれませんね。ところであなたはどうなのですか・・。あなた自身は、感情的に、南アフリカには絶対に勝ってやる・・とは思っていないのですか・・」と質問したのに対し、「いや、プロ監督として、与えられた仕事に全力投球しているだけだよ。相手が(あまり良い思い出のない?!)南アフリカだったとしても、関係はないネ。南アフリカ代表を率いてフランスワールドカップに参加したときと比べて、日本はボクのことを十二分にサポートしてくれているから、良い仕事ができるしネ・・」なんて皮肉たっぷりに応酬したりして・・

 「あの当時の南アフリカのサッカー協会関係者は、戦術的なことも含めて、ボクを全面的にバックアップしていなかったしね(この発言には、雇った監督を全面バックアップするのは彼らの義務であるにもかかわらず・・ってなニュアンスがアリアリ!・・逆に日本協会に対する皮肉?!)。また大会期間中に、チームのルールを破ってナイトクラブへ行った選手たちを追放したことについてだってバッシングされたし、最終戦のサウジアラビア戦の前には、予選リーグ突破の可能性が大きかったにもかかわらず、あからさまに、(協会関係者が)帰国のためのチケットを準備したりして・・」

 フィリップの「感情的な(?!)」批判は留まるところを知らず・・。それでも最後には、「考えても見てください。初参加の南アフリカは、勝ち点2を獲得したんですよ。たしかにフランスには3-0で敗れてしまったにしても、全体としてみれば、評価に値する結果だったと思うのですよ・・」なんて、十二分にロジカルな分析で締めくくります。この一連の発言は、もちろん、日本のメディアを意識してのことでしょうが、そんなやりとりにも、彼の「余裕」を感じていた湯浅でした。

 この「余裕」が、選手たちの「メンタル」にどのような影響を与えるのか・・。戦うチームには、常に「極限の緊張感をベースにした闘争心」がなければいけない・・。チームの雰囲気が、必要以上に「落ち着いて」しまっては、逆に「リスクチャレンジ」という意味でのパフォーマンスが落ち気味になってしまうことは、サッカーの歴史が証明していますからネ。それでもフィリップが、トレーニング中に、(何か気に入らないことがあって)中田ヒデや中村に対してまでも「攻撃的なパフォーマンス」で迫ったことを聞き、ちょっと安心した湯浅ではありました・・

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 いまオーストラリアの首都(首都機能だけに特化した町)、キャンベラのキャフェでこの原稿を書いています。

 今回は、私にとって久しぶりの「現地取材」ということになりましたが、万障繰り合わせたのは、もちろん、このオリンピックチームを観れば「2002」が見えてくる・・からです。

 たしかにオリンピックは「最高峰」ではありません。それでも、東欧圏のステートアマが席巻していた時代とはまったく違い、その性格が、フットボールネーションの「次代を担うヤングスターの競演」というものに様変わりしたことだけは事実。ですから私は、「経済主導のプロサッカーリーグの思惑」が絡んで出場できない有名な若手選手たちがいるにもかかわらず注目しているのです。

 さて、昨日(12日、火曜日)現地に到着した湯浅ですが、ホテルでのインターネット接続、メールチェック、携帯電話のつながり具合、ホテル周りの状況確認、サッカー情報の収集などの「インフラ整備」に忙殺され、この日は、夕食をとってオーストラリア情報誌に目を通すのがやっとという体たらく。ということで、この原稿が、オーストラリア報告の第一回目ということになります。

 人工湖、広大な緑などの自然に囲まれた素晴らしく美しい「町」、キャンベラ。こぢんまりとしたシティー(中心街)やパーラメント(国会)、国際的な催し物が開催される施設など、全体的な雰囲気は、まさに「西ドイツ時代の首都、ボン」そっくり。首都機能だけを備えた「有名な田舎町」・・それです。

 シティーには、チケッティングセンターがあり、この日も、多くの(この町にしては?!)人々が列をつくっていました。それでも、全体的な町の雰囲気は、オリンピックという世紀の(いつまで、そのレピュテーションを維持できるのかナ・・??)祭典にもかかわらず、「冷静」そのもの。そんなところにも、当時のボンへ思いを馳せたものです(とはいってもボンでは、こんな一大イベントが開催されたことはありませんでしたが・・)。シティーで目立っていたのは、数十人のチェコサポーターだけでした(キャンベラでは米国対チェコの試合もあります)。

 それでもキャンベラの人々は、おおらかで明るく、とても親切。やはり生活環境が人々のマインドに与える影響は大きいんでしょうね・・なんて、地元の人々と接する機会がまだ不十分であるにもかかわらず大胆に書いてしまう湯浅でした・・

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 さて、オリンピックの開幕戦。9万8千人の大観衆で埋め尽くされたメルボルン・クリケットグラウンドで行われた地元オーストラリア代表とイタリアの試合を、短くレポートしましょう。

 ハーフタイムに入るまでで、試合全体の「流れ」はつかめました。要は、「勝負所」をしっかりと把握し、瞬間的に「勝負のイメージ」がシンクロするイタリア・・、対して、地元(心理)パワーで、忠実・確実な守備からのパワーオフェンスを展開するものの、どうしても最後勝負シーンでの「稚拙さ」が目立ってしまうオーストラリア・・というものです。

 オーストラリアは、サンフレッチェに所属していたフォックスを「スイーパー」に置く、コンベンショナルな(確実な)「スリーバック」。対するイタリアは、「フラットスリー」気味のスリーバックです。

 試合全体を通じて、オーストラリアの「人を見る(マンオリエンテッドの)」忠実・堅実守備システムは、ある程度うまく機能していました(イタリアの攻撃を、中盤での激しい守備でつぶし続けた)。ただ、守備のテクニックでは、やはりイタリアに軍配が上がります。ボールホルダーの「次のアクション」を正確に読んで対処してしまう(ボールを持つ相手のアクション方向に素早く入ってしまう)イタリアに対し、まず相手の「身体のアクション自体」を押さえようとするオーストラリア。これでは、オーストラリアの守備が「荒く」なるのも当然(まるでラグビー・・)。彼らは、レフェリーの「ホームタウンディシジョン(ホームチームに有利な判定を下す傾向があること・・もちろん意図的ではないにしても・・)」に感謝しなければなりません。

 たしかに試合の多くの時間帯でオーストラリアのペースだったように「見え」ましたが、実際の(実効ある)ペースは、やはりイタリアが握っていた・・というのが湯浅の見方です。というのも、攻撃と守備での「勝負所」におけるプレーに、明らかな「差」が見えていたからです。

 オーストラリアの攻撃は、中盤まではある程度うまく機能するのですが、最終勝負シーンでは、単純なタイミングでのセンタリング、ロングシュートトライなど、どうしても「単調」になってしまいます。これではイタリア守備ブロックを崩せるはずもありません。もっと最終勝負での「変化」がなければ・・。その原因は、最終勝負の瞬間における「パスの受け手」の動き(フリーランニング)がトロイことです。だから、「最終勝負の起点」が出来てもラストパスが遅れたり、それを出すことさえ出来なくて、結局ドリブル勝負せざるを得なくなったりと、攻撃が「稚拙」になってしまうのです。これでは・・

 オーストラリアが作り出した本当の意味での決定的シーンは、前半と後半に一本づつあった、ニアポスト狙いのピンポイントセンタリングからのヘディングシュートくらいでしょうか(二本ともに見事にイタリアゴールを襲う・・ただイタリアGKが見事にセービング!)。ただその他のチャンスは、「臭い」を放っただけで終わってしまう・・

 対するイタリアは、サスガに「フットボールネーション」、明確な「最終勝負へのイメージ」をもってプレーします。例えばセットプレー。ほとんどはピルロが蹴るのですが、その際の、パスを受ける選手たちの「ゴール前フリーランニング(そのタイミング)」の見事なこと。何度、ハードにマークしているハズのオーストラリアディフェンダーの「ウラ」を突いたことか・・。ニアポスト勝負がほとんどなのですが、(ほとんどのケースでラストパスが合わなかったとはいえ・・)私にとっては、瞬間的に決定的スペースに入り込まれてしまったこと自体が「守備の崩れ」なのです。逆にオーストラリアの攻めでは、そんな、決定的な瞬間における「爆発フリーランニング(クリエイティブなムダ走り)」は本当に希でした。

 またゲームが流れている中でも、イタリアの代表選手たちは「ココゾ!」の勝負所をしっかりと意識しています。その代表的な現象が、「相手にボールを奪いかえされた直後」の守備プレー。彼らは、「忠実に人を見る」というオーストラリアの守備ブロックが、そのバランスを崩す瞬間をしっかりとイメージしています。それは彼らが、イタリアからボールを奪いかえして「よし!」と攻め上がる瞬間なのです。

 前半だけで三回くらいあったでしょうか、ボールを奪いかえして攻撃に入ったオーストラリアのタテへのスピードが落ちた・・、つまり、横パスが出されたときや、仕方なしのドリブルに入るなど、攻め上がりに問題アリと思った瞬間には、確実に一人はイタリア選手が激しいアタックを見舞うのです。そして、そのアタックが成功したシーンでは、必ずといっていいほど、ダイレクトに近い「素早いタイミング」で、オーストラリアのゴール前に大きくあいたスペースへ(中央、サイドを問わず)決定的なタテパスが送り込まれるのです。

 大したものだ・・と思うのは、その「一連のアクション・イメージ」を、決定的スペースへ走り込まなければならない「その時点で最前線にいる選手」も、しっかりとシェアしていることです。ですから、「アッ! アイツは、あそこでボールを奪い返せる!」と感じた最前線の選手が、例外なく「次の決定的なフリーランニング」をスタートするのです(スタートの準備に入る)。

 試合全体は「低調」そのものでした。ただ、そんな「倦怠ムード」の中でも、一発を狙い続けるイタリア。そんなところが、「歴史の差」なんていう風に表現されるんでしょうネ。そんな「歴史の差」が、「イタリア12番」の、ココゾ! の状況でアタックしてボールを奪いかえしたプレーに現れていたんでしょうネ(そのまま持ち込んでピルロにラストパス・・決勝ゴール!!)。

 倦怠ムードの中で、ココゾの一発をモノにする・・「勝負にこだわる試合運びを魅せた」イタリアの真骨頂・・というゲームではありました。

 さて明日は、日本代表対南アフリカの初戦です。この試合は、私のホームページだけではなく、ラジオ文化放送(試合前後のコメントだけ・・)、新しく立ち上がった大規模スポーツサイト、「スポーツナビゲーション」、またサッカーマガジン(ゴール・失点シーン分析)でも書く予定です。フ〜〜

 乱筆、失礼・・では今日はこのあたりで・・




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