The 対談


対談シリーズ(第9回目)・・前フランス国立サッカーアカデミー校長クロード・デュソーさん(Monsieur. Claude Dusseau)とユース育成におけるコーチのミッションを探りました・・(2005年9月20日、火曜日)

「やはり、ユース育成にこそ優れたコーチが必要だということですよね・・」

 今回の「The 対談」は、フランスが誇るナショナルフットボールアカデミー(国立サッカー学院=INF=通称クレーユ・フォンテーヌ)の元校長で、現在は、日本の選手やコーチの育成プログラムをサポートするために来日しているクロード・デュソーさんと、エリートユース選手たちの育成段階においてもっとも重要となるコーチのミッションについてディスカッションを行いました。なかなか興味深いコンテンツがありましたよ。

 最初わたしは、友人のクリストフ・ダウム(ドイツのプロコーチ、現在は、トルコ・フェネルバフチェ監督)が、まだドイツ代表監督に就任することが決まっていた2000年当時、クレーユ・フォンテーヌを手本にした施設をケルンの郊外に建設しようとしていたハナシから入っていきました。

 「その話は聞いたことがありました。たしかに当時は、世界中から様々な人たちが視察に訪れていましたよ。クレーユ・フォンテーヌは、通常のカリキュラムに基づいた勉強とサッカーを両立させたアカデミーで、その頃は希少な存在でしたからね。そこでは、たしかにサッカー的な能力も重要視されていましたが、同時に、勉強の成績にも大きな評価ウェイトが置かれていました。いくらサッカーの能力が素晴らしかったとしても、勉学の態度が悪かったり、ある程度以上の成績を収められなかったことで退学させられた例も多かったのですよ。そこは、フランスを代表する立派なサッカー選手を育成するという目的のために設立されたのですが、若いサッカーマンの目標となるような優れたプロ選手になるためには、サッカーが上手いだけでは十分ではないというフランスサッカー界のノウハウが詰め込まれているというわけです」。

 たしかに、おっしゃる通り。要は、フランスが世界のトップフットボールネーションであるからこそ、優れたサッカー選手を支えるもっとも重要な資質として、サッカー的な能力と同じくらいのウェイトでインテリジェンスも大事だとシリアスに捉えられているということです。もちろん学校での勉強の成績が、「オペラシー」など、本当の意味でのインテリジェンスレベルをはかる基準ではまったくないですけれどネ・・。

 「ところでデュソーさん・・フランスは、本当に多くの創造性あふれる選手たちを輩出していますよね。お隣のドイツのコーチ連中は、まさに垂涎の思いでその現実を見つめていますよ。まあ、やっとここにきてバランスのとれた優秀な若手が台頭するようにはなってきたけれど、今からつい10年前までの状況は目も当てられなかった。ロボット的な選手やフィジカルに強いだけの選手が目立ち過ぎていましたからね。それではダメだということで、テクニックの発展を前面に押し出したユースの育成方針が宣言され、それが徐々に浸透していったというわけです。それに対してフランスでは、以前から、創造性の発展を明確に意識した育成が行われているということを聞くのですが・・」。

 「いやいや、我々も、創造性の発展という視点では大変苦労しているのですよ。いまのフランス代表監督のドミニクも、アルゼンチンや旧ユーゴスラビアを研究していました。どうしてあの国からは、次々と創造性にあふれた上手い選手が出現してくるのかってね。でも結局は、そこに魔法のレシピは存在しないという事実と対峙しなければならなかったのです。要は、子供のときからの積み重ねこそがキーポイントだとね・・」

 「まあ、そういうことなんでしょうね。前ドイツ代表コーチで、今はドイツのユース代表監督に就任しているミヒャエル・スキッベとも、そのポイントについてディスカッションしたことがあるのだけれど、彼も同じようなニュアンスを言っていましたよ。彼は、アルゼンチンのコーチと親しくて、いろいろと情報交換するのだけれど、そこには魔法のレシピなんかはない・・子供の頃からの一貫した方針をベースにする地道なコーチングこそがキーポイントだ・・とね。そこでは一貫した方針と、地道なコーチングの積み重ねというのがキーワードになると思うのですが、だからこそ、それぞれの文化背景に対する深い理解が重要な意味を持つと思うのですが、デュソーさんは、どう考えますか?」

 「そうそう、私もいまそれを言おうとしていたですが、まさにそこが大事なポイントなんですよ。すべてのコーチは、まず生活文化を深く理解することから仕事をはじめなければならないんです。それこそが、コーチングの基礎になるということです」

 まさに、そういうこと・・。フランスの場合、生活文化は、地域によっても、人種や民族によっても様々です。世界では、日本のような、単一民族で、生活文化にも地域差がそんなに大きくないという国の方が希なのですよ。だからこそ、微妙に違う様々な生活文化にも深い理解を持たなければ、首尾一貫した地道なコーチングはできないということです。

 たしかに異なる生活文化のコーディネイトは難しいけれど、逆に言えば、そんな「異文化、異人種、異民族のサラダボールという状況」こそがフランスの強さの秘密でもあるのです。異質と共存するためには、様々な心的プロセスを経たり、様々な工夫が必要ですからね。それこそが人々の創造性を高揚させるということです。まあ日本の場合は、狩猟民族のスポーツであるサッカーに関わっていくなかで、日本の生活文化が内包する様々な性向を、様々なベクトル方向で分類・分析する必要があるということになります。一つの文化的な性向が、サッカー的に、あるところではポジティブに作用し、逆にあるところではネガティブ要素にもなりうるということです。

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 そんなことを考えているところに、デュソーさんから、冒頭の発言があったというわけです。ユース世代にこそ優秀なコーチが必要だ・・。「そうですね、やはり究極のテーマは、多面性のある良いコーチを育てるということに尽きますよね。デュソーさんが言うように(このコラムのリードインとなった冒頭の言葉!)、ユース育成にこそ優れたコーチが必要だということですよね。まあ、そのためにデュソーさんが来日しているということなんでしょうがね。ところで、デュソーさんが校長を務めていらっしゃった国立サッカー学院の卒業生を代表するスターは、なんといってもティエリー・アンリだと思うのですが・・」

 「彼以外にも、アネルカなど、有名になったプロ選手は何人もいるけれど、やはりアンリが一番輝いている卒業生かな・・。でも彼が入学してきたときは、まったく上手い選手じゃなかったんだよ。たしかにスピードには天性のものはあったけれど、彼が入学を許可されたには、一にも二にも、やる気があったからですよ。学校としても、これからのアンリの発展に期待して入学を許可したというわけです。入学セレクションでは、上手いことが評価基準というわけではまったくありません。とにかく総合的な視点で判断しているということです。強いて言うならば、これからの発展の可能性を判断するということになりますよね。もちろん経験的な視点だけではなく、科学的なノウハウも存分に活用してね。たとえば、これからの身体の発育の可能性については、左手首のレントゲンを撮り、その骨年齢を測定するのですよ。左手首の隙間を観察するのです。それをみれば、これからの身体の発育の可能性がある程度は分かるのです」

 さすがに、フランスでのユース育成に心血を注いできた方です、強烈な自負も含め、その言葉には聞く者を納得させるパワーがあります。

 「もちろんセレクションでは、その選手がサッカーを知っているかどうかもしっかりと評価しますよ。まあ、その選手のインテリジェンスレベルをはかるなんていう表現ができるかもしれませんね。たとえば、ボールの持ち方にしても、次に意図するプレーが簡単に分かってしまう(相手に次のプレーを簡単に読まれてしまう)ような選手や、パスをした後に、意味なく足を止めてしまうような選手は採らないとかいったことです。アンリですが、そのポイントでも高い評価でしたね。繰り返しますが、決して上手い選手じゃなかったんですよ。才能だけだったら、アネルカの方が何倍も高かった。でもアンリは、とにかく、どこまでもボールを探しにいくタイプの選手だったんですよ(デュソーさんのこの表現は面白い!!)。また彼は、セレクションでの評価基準をしっかりと理解した上で、自分の価値を上げることも考えるといったタイプの選手でもありました。アタマがいいんですよ。学校に入ってもその姿勢はまったく変わりませんでしたね。何につけてもどん欲でしたよ。とはいっても速いだけで、上手い選手じゃないということには変わりはなかった。彼が15歳のとき、フランスのU15の代表に選出されたのですが、そこには、ウチの学校を代表していたというだけの意味しかありませんでしたね。要は、我々が頼みこんで彼を代表に入れてもらったということです。でも、情熱とやる気で、自分の欠点を補い、改善しながら自ら道を切りひらいていったんです」

 「なるぼと、なるほど・・。アンリは、自分自身で考え、工夫する能力に秀でていたということですよね。それこそインテリジェンスにあふれた学習能力の証ということだと思うのですが・・」

 「その通りです。そしてアンリは、各年代のフランス代表の常連として国際経験を積んでいったのですよ。それに、我々のコーチングによって彼が本来もっているスピードも大幅に伸びましたしね。我々の学校では、科学的な考察に基づいたトレーニングも進めています。たとえばスピードですが、それは天性のものだから伸びは限られています。ただし、フォームなどの矯正によって大きく改善することもあるのです。それがアンリだったというわけです。以前の彼の走るフォームは、まさにムチャクチャだったのですよ。そこで、腕の振りとか上半身や下半身の使い方など(身体動作のコーディネーション)を修正した結果、加速能力や最高スピードが向上したのです。その意味でアンリは、我々の大いなる成功例ですね。それ以外でも、有酸素運動と無酸素運動を組み合わせることで実効性のある持久力を養うとか、生理学的に選手たちの身体の発育をうながすとか、我々にとっては、科学をベースにした身体的な能力の向上が第一義的なミッションだと言えます。それと平行して、戦術的なトレーニングや考えるトレーニングなども精力的に行っていくわけです」

 「なるほど、なるほど。ところでデュソーさんは、国によって微妙に違うサッカー内容については、どのように考えていますか? 今でも、ブラジルやアルゼンチン、イタリアやドイツ、はたまたフランスなどは特徴あるサッカーをやっているとは思うのですが・・」

 そんな私の問いかけに対し、デュソーさんは面白い視点で話してくれましたよ。「世界的にみて、フットボールの内容は、どんどんと集約してきていると思うんですよ。たとえば、ヨーロッパでユースの大会があったときなど、ドイツ、フランス、イングランドとか、またイタリアの代表でも、それがどの国のサッカーか明確に分からないことの方が多い。要は、それだけサッカーの方向性が収斂してきているということですね」

 「そうですよね、たしかにそれは言えています。わたしも何度かユースの国際大会を観たのですが、国の特徴は、明確には感じませんでした。テクニックや運動量、スピードの向上は目立っていましたが・・。要は、世界的な情報化と国際化が進んでいるということなんでしょうね。だから優れたサッカーに対するイメージが、世界的にまとまっていく傾向にあるということなんでしょう。ところで・・ちょっと唐突なんですが、デュソーさんは、優れたサッカーをどのように定義しますか?」

 たしかに唐突な質問になってしまったけれど、でも収斂する方向を理解しておくことは大事なテーマだから・・。「そうですね・・しっかりとした戦術的な準備が為されていて、着実なポゼッションを演出できるサッカーとか、しっかりと組み立てられるサッカーとかいった表現が適当ですかね。もちろんその基盤は、しっかりと組織的ブロックで動きつづけられるようなソリッドな守備だけれどね・・」

 なるほど・・。そこで、組織プレーと個人の勝負プレーがハイレベルにバランスしたサッカーという表現に対して意見を求めたのですが、デュソーさんに、「要は、そういうことですよね・・」と軽くながされてしまったりして・・あははっ・・。

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 そして最後に、日本という文化背景を前提に、そこでもっとも大事になってくるコーチのミッションは・・?、というテーマに入ることにしました。

 デュソーさんは言います。「コーチに課せられた基本的なミッションですが、それが我々が考えるものと大きく相違することはありません。まず戦術的な原則と、その応用に対する考え方を教え、その後に、選手たちの創造性を発展させるというタスクが出てくるわけです。クリエイティブな部分でのコーチのミッションは、選手たちと一緒になって考えるとか、そのプロセスをサポートするということになります」

 選手たちと一緒に考える・・サポート・・。その言葉を聞いた瞬間、湯浅のイマジネーションが弾けましたよ。「そうそう・・いまマーケティングの世界では、コーチングとか、ファシリテイト(facilitate=手助けするとか促進するなどの意味)という概念がもてはやされているんですよ。それを実践するのがコーチであり、ファシリテイター(=促進させる人、世話役、まとめ役、目的達成のための準備を手伝う人などの意)というわけです。でも一般の日本人のマインドは、ちょっと違う。特にスポーツ界では、選手たちは受け身の姿勢が目立ちすぎるし、逆にコーチたちは押しつける姿勢が強いように感じるのです。選手たちはもっと自己主張しなければならないのに、個人責任を回避するように組織に逃げ込んでしまう・・。またコーチはコーチで、選手たちの自己主張を発展させることに熱心じゃない・・。デュソーさんは、そんな日本人の性向を感じませんか?」

 「その傾向があることは分かっています。コーチが指示を出し過ぎるとかね・・。また選手たちにも、探求心が欠けていると感じることがあります。コーチングのやり方が原因という側面もあるんでしょうが、選手たちは、どうしてこのようなトレーニングをするのか、どんな効果があるのかを質問しようとする姿勢がほとんどないと感じるのですよ。逆に言えば、日本のコーチも、トレーニングの目的や意図とか、トレーニングの効果などを分かりやすく選手たちに説明するという努力に欠けているとも感じます。だからこそ、優れたコーチを養成しなければならないということなんです。もちろん日本のコーチが勉強していないということではないし、日本のコーチの能力が低いなんてことを言っているのではありません。ただ、日本全国どこへ行っても、コーチに個性が足りないとか、コーチの哲学が弱いと感じられることが多いんですよ。だから選手の個性も育たない・・。良いトレーニングをやってはいるけれど、そのなかに自分が表現されていないというコーチが多いと感じるのです」

 そこまで一気に語りつづけたデュソーさんは、ちょっと水でノドを潤してから、今度は落ち着いた声でこんなふうに話をつづけました。「とはいってもね、フランスでも事情は同じなんですよ。フランスのコーチ連中も、中央の研修会で学んだトレーニング方法を、自分なりに工夫することなく、そっくりそのまま(形式だけ)実行してしまうんです。研修会で学んだトレーニングアイデアを、それぞれの目的に応じ、自分なりにアレンジして個性を発揮していくという創造性がみられないのです。それは問題ですよ。考えない人は、世界中どこにでもいるということですね・・残念ながら・・」

 そしてデュソーさんは、最後に、こんな言葉で我々の対談を締めくくりました。「日本人コーチたちの知識レベルはまったく問題ないのですよ。そうではなく、知識を、しっかりと実践していくアイデアに課題があるのです。もっと日本のサッカーは国際的にならなければいけません。サッカー自体が情報を発信しているのですからね。フランスに限らず、ヨーロッパ各国で行われているコーチ養成コースでは、自国のサッカーだけじゃなく、世界を見てしっかりと学習しなければならないという、ライセンス取得のための条件が課せられているのですよ。先ほど話題になった異文化に対する理解やコーディネーションというテーマも含め、とにかくコーチは、国際的な目と感覚を持つことが大事なのです」

 追伸:今回の対談では、日本サッカー協会の契約コーチ、樋渡群さんのご協力(対談アイデアの供与と通訳)をいただきました。彼は、フランスへサッカー留学し、コーチのライセンスを取得しただけではなく、パリ・サンジェルマンでユースのコーチもつとめていました。優秀なコーチです。ありがとうございました・・




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