湯浅健二の「J」ワンポイント


1999年J-リーグ・セカンドステージの各ラウンドレビュー


第二節(1999年8月14日)

ジュビロvsエスパルス(0-1)

レビュー

 所用が重なり、この試合はテレビ観戦ということになってしまいました。ということで、概観だけのコメントになってしまうかも・・

 試合の立ち上がりで一番感じたことは、ジュビロの攻撃に、彼ら独特の「流れ」がなくなっている・・ということです。前期では、中盤と最前線とが、素早く、広くボールを動かすことで、前後左右にポジションチェンジを繰り返しながらウラを突くなど、相手守備ラインを翻弄したモノです。それがこの試合では最前線と「二列目」が分断してしまっているのです。

 また、「2002」でも書いた「有機的なプレー連鎖」が見られません。つまり、中盤での攻撃の起点(ある程度フリーでボールをキープするボールホルダーのこと)ができても最前線の選手は、ほとんど止まって「足元」でパスを受けようとしかしないのです。もちろん彼らはピタッとマークされているわけですが、そのマーカーの後方には、大きな、大きな決定的スペースが広がっているというのに・・。素振りでもいいですから、その決定的スペースを突く「意図」を常に見せていれば、エスパルスの守備陣の対応の仕方が変わり、ある程度のスキを見せるモノなんですが・・

 何といっても中山の欠場が痛い?! とはいっても、彼の「ウラへの動き出しの速さ」はチームメート全員が認めているところ(その動きの重要さが認識されている)でしょうから、彼がいなくても誰かが代役を務められるはず。でも、そんな動きの出てくる雰囲気がない・・。ということは、他の選手たちが「オレは、中山さんとはタイプが違うから・・」なんて勘違いしてしまっているということなのかも。

 中山の「ウラへの動き」には、「ここにパスを出せ!!」という強い「意志」が込められています。それだけの「パスを呼び込む迫力」があるというわけです。これも「年期」なんでしょう。だから、高原などの若手に同じレベルの迫力を期待するには無理があるかもしれません。それでも、「ウラ突きフリーラン」の気配も見えないのでは・・

 対するエスパルスは、生きのいい攻めを繰り返します。澤登、安永、アレックス、(久保山と交代した)ファビーニョなどだけではなく、後方から伊東、サイドの市川などが、前を追い越す勢いで攻撃に参加してくるのです。たしかにジュビロ同様、起点ができたときの「決定的スペース狙い」には問題はありますが、それでも選手一人ひとりの「仕掛けていく積極的な姿勢」は、ジュビロを大きく上回っています。

 要は、攻めに「驚き」があるかどうかということ。サッカーは、騙し合いのボールゲームですからネ。単調な攻めを繰り返すジュビロ。それに対し、(ロング)パスあり、ドリブル勝負ありという「変化テンコ盛り」のエスパルス。これでは、内容に差が出てきてもアタリマエか・・

 ジュビロでは、(まあこのことは言っても仕方のないことなんですが・・)まだまだ名波の大きな穴を感じてしまいます。彼と藤田が協力して演出する「変化」がなくなったという穴が・・

 また、名波の「後方からの組み立てロングパス」がなくなったのも痛い・・。ドゥンガ同様、彼がボールを持ったときの最前線と二列目の「仕掛けのフリーランニング」は格別でしたからね。この「崩しのロングパス」や「サイドチェンジパス」を、福西や奥、はたまた藤田に期待するには・・

 だからどうしてもジュビロの組み立てが、以前の素早いダイレクトがあまりミックスされていない「ショート・ショート」に終始してしまうのです。これでは周りのパスを受けるフリーランニングも消極的になるのも当然(もちろんフリーランがないから、ボールの動きが緩慢という見方もできますが・・)。そして、どうしても「足元でのパス待ち」に終始し、最終的な崩しの段階(起点ができた瞬間)での周りの選手たちの動きも緩慢になってしまうというわけです。

 サッカーの攻撃では、周りの「動き」をベースにした素早いダイレクトパス、ロングパス、ドリブル突破などが程良く組み合わされる「変化」が重要です。この試合は、その意味でエスパルスに、(試合結果も含め)軍配が上がりました。

 それにしてもジュビロが心配。選手一人ひとりの「意識」を、原点に立ち返って目覚めさせなければ・・。ベンチ手腕に期待しましょう。



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