湯浅健二の「J」ワンポイント


2000年J-リーグ・セカンドステージの各ラウンドレビュー


第13節(2000年11月18日、土曜日)

優勝争いが佳境に・・(サンフレッチェ対アントラーズ=1−2)・・また降格リーグが決着してしまって・・(レイソル対フロンターレ=1−0)

レビュー

 今週は、所用が重なってしまい、テレビ観戦になってしまいました。でも、そのおかげで二試合も「熱いゲーム」をライブで観戦。ということで今回は、その二試合(サンフレッチェ対アントラーズ、レイソル対フロンターレ)のポイントを、それぞれ短くまとめることにしました。

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 まずサンフレッチェ対アントラーズ戦ですが、生中継したフジテレビは、延長に入った瞬間に、「途中ではありますが、これでサッカー中継を終了させていただきます。結果は、後ほどニュースでお伝えいたします・・」などと番組を終了してしまいました。結局アントラーズが「Vゴール」で勝利を収めたということですが、まったく!!

 試合自体は、サンフレッチェの出来が非常に良かったこともあり、エキサイティングな好ゲームになりました。とはいっても、ビスマルクがいないにもかかわらず、やはりアントラーズの最終勝負局面における「イメージのシンクロ(同期)レベル」は、サンフレッチェを上回っています。

 決定的なシーンを作り出せないサンフレッチェに対し、アントラーズは、何度も相手最終ラインの「ウラ(決定的)スペース」を使ってしまうのです。(ケガの平瀬に代わった)柳沢、鈴木、熊谷、はたまた小笠原など、チャンスを見つけた者が、交代に(ワレ先に?!)サンフレッチェ最終ラインの「ウラ」に走り込み、そこへタイミング良くスルーパスが出ます。アントラーズの先制ゴールも、同様な「崩し」のシーンで、伊藤のミスを誘って挙げたものでした(伊藤の蹴ったボールがGKに当たってオウンゴール!)。

 やはりアントラーズの選手たちは、勝負の瞬間における「プレー・イメージ」をしっかりと共有しるようです。そのことは、よくボールが動く中盤での「組み立てプレー」にも現れていました。「確立したチームコンセプトの違い」・・っていうことなんでしょう。

 サンフレッチェの守備ラインですが、「マークの受け渡し(つまり互いのポジショニングバランス)」から、ラインをブレイクして「マンマーク」へ移行するタイミングに「難」を抱えている・・だから、アントラーズの最終勝負の場面で、決定的なフリーランニングを仕掛ける相手についてゆけずにフリーにしてしまう・・ということです。ポポビッチの出場停止が、かなりの痛手・・

 久保について・・。私は、彼の「リスクチャレンジの姿勢」に、まだまだ不満です(前節までの二試合での出来は良かったとは聞いているのですが・・)。今週号のサッカーマガジンで、「いい加減に目を覚ませ!」とコメントしたのですが、とにかく彼には、「吹っ切れた闘う姿勢」を心の底から期待しているのです。彼ほどの「才能」は希有なのですから・・

 「ウラ」へのフリーランニングに対する姿勢も消極的・・(まあ走ってもパスが出てくるシーンは少ないでしょうが・・)。それでも、何度も、何度も「クリエイティブな無駄走り」をくり返すことが、自身のイメージを「ハイレベル」に保つために必要なのです。また「ポストプレー」にも不満。たしかにアントラーズのセンターバックの当たりは強烈ですが、それに耐えてボールをキープし、次の「仕掛け」にトライしなければ何も生まれません。

 後方からのパスをうまくトラップできても、「振り返る」ことにまったくトライせず、すぐに「後方からのバックアップ選手へのパス(安全プレー)」ばかりを意識してしまう・・そしてパスを出しても「次の爆発スタート」を意図していない・・だから相手もまったく怖くない・・これでは・・。彼には、「本物のエゴイスト」になって欲しい湯浅なんですが、このままでは「普通のストライカー」で終わってしまう。久保のことが本当に心配な湯浅でした。

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 さてもう一つの「優勝争いゲーム」、レイソル対フロンターレについて短く・・

 この試合は、「仕掛け」満載の面白いゲームになりました。それは、フロンターレが、守りに気を取られ過ぎることなく、吹っ切れた「攻撃サッカー」を魅せたからです。もちろんその「攻撃性」には、守備での積極プレー姿勢も含まれます。

 レイソルも、相手の「仕掛け」に刺激され(そしてもちろん優勝がかかっていることもあって)、ガンガンと「前掛かり」の攻撃サッカーを展開します。そしてゲームが、「動き」のあるエキサイティングなものに・・

 ナビスコカップ決勝でもそうだったのですが、フロンターレの「積極プレー姿勢」には、本当にシンパシーを感じます。攻守にわたる「自分主体のリスクチャレンジ」・・それです。

 ナビスコカップ決勝では、中盤のコア、リカルジーニョの、意味のない「沈滞キープ」が、フロンターレ攻撃の全体的なペースを減退させていった・・とコメントしたのですが、この試合では、彼はベンチスタート(そんな監督の決断が、選手たちを鼓舞するのです・・監督も常にリスクにチャレンジする姿勢を前面に押し出さなければ・・!!)。そしてフロンターレは、攻撃の「活動性」を最後まで落とさずに、前進し続けます(途中出場したリカルジーニョも、素早いシンプルプレーをベースにした決定的な個人勝負を心がけていた?!)。

 ただいかんせん、最後の勝負のイメージが・・。彼らの攻めでは、決定的なスルーパスやセンタリングを出せる状況まではいくのですが(そこまでのプロセスは迫力満点!)、「受け手のアクション」があまりにも消極的(意図とイメージがない!)だと感じるのです。最終勝負の「起点」ができても、受け手の「意図のあるアクション」がないから、出し手も「アバウト」になるしかない・・

 これについては、「受け手のアクションがないから・・」という発想と、「出し手の能力が追いつかないから(最終勝負パスに対する信頼が薄い)・・」という考え方があるわけですが、フロンターレの場合は、明らかに「受け手のイメージ(アクション)」の問題だと感じた湯浅だったのですが・・(やはり私は『パスを呼び込む動き』が基本だと思っているのです!)。だから、「チャンスの明確な芽」はあるのに、実際のシュートチャンスまでいけない・・

 もちろん受け手は、最前線の選手だけではありません。その選手を追い越して決定的スペースへ飛び込んでいく二列目、三列目の選手たちも含みます。決定的なセンタリングの場面でも同じです(素晴らしく素早くボールが動く展開から、何度も決定的センタリングの場面は作り出すんですがネ・・)。「アッ、あそこでニアポストのスペースへダッシュすれば・・」。何度そう思ったことか・・

 また決定的な「守備の場面」でも、「ほんの小さなトコロ」に課題が見え隠れしていました。それは「集中力」などと表現されるモノなのですが、要は、全体的にはしっかりとしたアクティブ守備プレーができているにもかかわらず、肝心なところでのマークが甘くなってしまう(フィニッシャーをフリーにしてしまう)「傾向」が強いということです。

 「ボール」へ当たりにいく選手。そしてボールがないところでの「守備のほころび」を見つけだし、タイミング良くカバー(穴埋め)する選手。「危急状態」では、その「二つの役割のバランス」が重要になるというわけです。ピンチでも「クールな眼」を持つ・・。そうです、レイソルの、ホン・ミョンボの「眼」のことです。

 これでフロンターレの「J-2」降格が決定してしまったわけですが、いまの彼らの「積極的なプレー姿勢(アクティブな守備をベースにした、素早く、広いボールの動きを基盤にしたリスクチャレンジを前面に押し出す攻撃など・・)」を維持すれば、より「課題」が明確に「見えてくる(選手たちが体感できる)」でしょうし、それをベースに「大幅な進歩」も大いに期待できるはずです。そうすれば・・

 とにかく、いまのフロンターレのサッカーには、人々に「感動」を与えられるだけの「内容」が詰まっていることだけは確かな事実なのです。さて、またまた(?!)来年の「J-2」が楽しみになってきたじゃありませんか。



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