The Core Column


The Core Column(13)__システムとは?・・・(2013年11月26日、火曜日)

■カタチから入る日本サッカー・・それでは・・

まあ、この頃やっと収まる気配が見えはじめてはいるけれど、一時期は、「数字を羅列するシステム」と呼ばれる、ワケの分からないモノがハバを利かせていたっけ。

「そうなんだよ・・どうもこの頃、カタチが一人歩きしているように感じるよな・・大事なことは、強い意志と責任感をもって、自由に、そして積極的にプレーすることなのに・・」

「選手は、アタマのなかに描かれた変なマップを意識し過ぎていると感じるね・・責任回避っちゅうニュアンスも含めてさ・・でもそれじゃ、自分から可能性を狭めているようなものなのだけれど・・」

酒の入った席で、友人のドイツ人プロコーチの口から、そんな愚痴がこぼれた。

彼は、数字の羅列で示されるシステムと呼ばれるモノのことを言っている。

そう、4-2-3-1、4-4-2・・などと表現される「あれ」である。

もちろん日本のサッカーでも事情は同じ。

それだけじゃなく、中盤をフラットにするとかダイヤモンド型にするとか、ワントップかスリートップか、ゼロトップか・・などといった「カタチ用語」が氾濫している。

また、「トライアングルを作れ!」などといった、ワケの分からない指示を飛ばすコーチを見掛ける。彼らは、本当に選手に対し、「三角形」をつくるためにプレーさせようとしているのだろうか?

だとしたら、まさに狂気の沙汰だ。

■サッカーの本質的なメカニズムを理解することが本筋・・カタチに囚われちゃいけない・・

優れたサッカーでは、人とボールがしっかりと動いた結果として、頻繁(ひんぱん)に出現してくるのが、トライアングル(三角形)だ。でも選手は、決して三角形を作ろうとプレーしているわけじゃない。

彼らは、あくまでも、パスをつないでスペースを攻略しようとしているのである。

問題の本質は、選手にしても、サッカーを観戦する方にしても、あまりにも「カタチ」に囚われ過ぎているということだ。

そして、型にはまったプレーやディスカッションが展開される。そう、ステレオタイプ・・

例えば・・

・・今日のゲームは、4-4-2だったからうまくいかなかった・・4-2-3-1の方が、うまくサッカーが回ったはずだ・・とか・・

・・中盤をダイヤモンド型にするほうが、うまく中盤が機能したはずだ・・等など・・

そんな「カタチ」の議論ばかりじゃ、サッカーの本質的な魅力である「自由」をめぐる共通の理解を深められるはずがない。

まあ、もう何度も繰り返し書いちゃったわけだけれど・・

サッカーってさ、イレギュラーするボールを足で扱うボールゲームなんだぜ。

手でボールを扱うバスケットボールやハンドボールのように、攻めや守りのイメージを「確実」にシェアし、それを実際のコンビネーションプレーに活かすことは、難しいんだ。

ちょっとでもボールがイレギュラーバウンドしたら、次にイメージしていたダイレクトコンビネーションが出来なくなる。そんな場合、一度ボールを止めてコントロールしながら周りの状況を判断し、次のリスキーな仕掛けプレーにチャレンジしていかなければならないんだ。

まあ、そんな状況で日本人は、横パスなどの確実なプレー(極力ミスを避けようとする安全プレー)を選択する傾向が「比較的」強いと思う。

だから、世界トップとの「最後の僅差」というカベを打ち破っていくのに苦労するわけだけれど、それは、生活文化にもかかわる、とても深いテーマだから、一朝一夕にクリアできるわけじゃない。

でも、まあ、そのディスカッションについては、既に一度「The Core Column」でまとめたから、「そちら」も参照して欲しい。次には、それをもっと深めていくことにトライしよう。

とにかく、今回のコラムでは、あくまでも、カタチと実際のサッカーの機能性・・という視点でハナシを進めていく。

■「自由」という要素が内包する本質的な意味合い、そしてその魅力・・

ということで、「自由」というサッカーにおける本質的なファクター・・

前述したように、不確実な要素が満載されているからこそ、最後は、自由に、そして積極的にリスクに「も」チャレンジしていかなければ良いサッカーなど望むべくもない。

そして、それこそが、成功するために「自由」を謳歌する(サッカーを本質的なところで楽しむ!!)ということの意味であり、その理解を広めることこそが、サッカー文化を深化させるための唯一の「道」なのである。

そう、サッカーにおいては、他のどのスポーツと比べても、『自由』という要素が、とても、とても大事なのだ。

そのことが、世界ナンバーワンスポーツ(ボールゲーム)として、今でも、どんどんと支持を広げていることの決定的バックボーンなのである。

だからこそ・・

サッカーをプレーするうえで、もっとも大事なことは、カタチ等ではなく、あくまでも、物理的、心理的なサッカー戦術の仕組み(メカニズム)を知り、そして自ら考え、判断し、勇気をもって行動することなのである。

■システムと呼ばれる数字の羅列にも、それなりのイメージ価値はある・・

もちろん私は、選手たちの脳裏に描かれる「フォーメーション」や基本的なタスクイメージ(戦術的な役割≒決まり事イメージ)を否定しているわけじゃない。

そんな基本的なアクションイメージは、脳裏に素早く描写され、それに基づいて身体が自然に動いていく・・等という視点でも、とても大切だ。

例えば・・

オーバーラップしたディフェンダーが、次の守備で、どのように「戻っていくべきか・・」という瞬間的な判断の「基準」になったりする。

私は、チーム(ゲーム)戦術的な約束事(タスクイメージ)をしっかりと脳裏に描き、「まず」それを忠実に実行していくことが、いかに大事なものかは、現場の体感として知っているつもりだ。

そう、数字の羅列によって表される、選手の基本ポジショニングや基本タスクである。

ここで言いたかったことは、それらが、あくまでも「基本」にしか過ぎない・・ということなのだ。

さもないと、その数字が一人歩きしはじめ、自分たちのプレーイメージの「自由な増幅」を阻害してしまう危険性の方が高まってしまう。

もちろん、なかには、その「基本」に忠実にプレーすることを強要し過ぎるプロコーチだっているだろう。

そう、結果「だけ」を追い求めるタイプの監督。

でも、世界トップで活躍するメインストリーム(主流)のプロコーチは、『美しく勝つ』という絶対的なコンセプトをイメージして仕事をしているモノなのである。

■「基本」としてのシステムを有効活用する際のキモ・・

まず何といっても、フォーバックかスリーバックかというディスカッションがある。

そこには、本当に大きな差異がある。まあ、ここでは、そのテーマに深く入り込むことはしないけれど・・

次に、守備的ハーフは、一人か、それとも二人か・・というディスカッション。また、もし二人にする場合、攻守コンビネーションのイメージは?

また一人にする場合、「アンカー」と呼ばれる、主に守備タスクを担う(もちろん能力に応じてゲームメイク等も!)センターハーフ(≒ワンボランチ)ということになる。

また、ワントップにするのかツートップか・・というディスカッションもある。まあ、スリートップなんていうのは、ワントップの「異形」だから、ここでは議論の対象にはしない。

そして、何といっても、2列目選手たち(攻撃的ハーフ)の人数、ポジショニングバランス、そしてタスクイメージに関するディスカッションがある。

これは大事だ。

よく、トップ下とか、サイドハーフなどと呼ばれるわけだが、その基本的なタスクイメージについて、共通のイメージをもつことは、とても重要だと思う。

とても微妙なディスカッションだけれど、私は、その「呼称」自体が、サッカーの発展を阻害するモノだと「も」思っているのだ。

そう、私は、サイドハーフだとかトップ下だとか、彼らの基本的なプレーゾーンを限定してしまうは、大きな間違いだと思っているのだ。

もちろん、スタートラインは「そこ」でいい。ただ、攻守の状況が「流れ」はじめたら、より自由(臨機応変)に、そして積極的にポジションをチェンジしていくべきなのだ。

攻撃の目的はシュートを打つこと。そして、そこに至るまでの具体的な目標イメージは、相手守備ブロックの穴(スペース)を攻略していくことなのだ。

そのために、もっとも重要なのが、相手守備を惑わす『変化』なのである。選手たちが基本ポジションに留まり、その基本タスク「だけ」にこだわっていたら、そんな変化を演出できるはずが無いじゃないか。

先ほど登場させた、勝利至上主義の(リスクにチャレンジしない!!)プロコーチたち。

彼らの多くは、基本ポジションとタスクを忠実に継続することを「より強く」求める。

たぶん彼らは、選手たちの能力を「過小評価」しているのだろう。

もっと言えば、勝つことだけに特化したゲーム戦術のために、選手たちに「余計なコト」をやらせない・・という意図も、その背景に隠されているはずだ。

それは、サッカーの根源的なコンセプトであるべき『発展のための自由』という意義からは、まさに逆行した態度じゃないか。

そして、選手たちの発展の可能性を潰してしまう。私は、そんな監督・コーチなど認めない。

繰り返しになるけれど・・

私は、基本的なポジショニングバランスと、基本的なタスクイメージには、「基本的」ということ以上の意味はないと思っている。

ゲームがはじまってしまえば、そのシステム(数字の羅列)で示される選手のポジショニングバランスの通りに選手たちが配置されている状況など、キックオフや、相手ゴールキックなど、まさに「リスタート」する時だけだ。

それ以外では、選手たちのポジショニングは、まさに「流動的」と表現するほかない。

そして、そのポジショニング(タスク)の流動性を、いかに選手たちが、その時点の状況に応じて、主体的にマネージできるかに、成否が掛かっているのである。

そう、だからこそ『自由』というコンセプト(概念)が、もっと言えば、選手たちをいかに「解放」するのかというテーマにこそ、根源的に重要な意味が内包されているのである。

■ヨーロッパの現場では・・

私の友人たち(プロコーチ連中)の間では、システムと呼ばれる「数字の羅列」は、まさに、前述した通りに理解されている。

そう、単に、基本的なポジショニングとタスクバランスを表現するフォーメーション図。

それは、選手たちが、自分たちがやろうとしている(やらなければならない)サッカー(プレー)のイメージを、瞬間的に脳裏に描き出すために役に立つ。

そんな「基本的なプレー内容」が描けるからこそ、柔軟に、攻守の目的を達成するために、効果的なプレーを積み重ねることができる。

この「柔軟に」と書いた意味合いについては、前述したとおりだ。そう、状況に応じて、様々なポジションに就き、様々なタスク(役割)を効果的にこなせることだ。

そしてコーチも、選手たちが、主体的に、そして柔軟に考え、その時点(状況)で最善のポジションを取り、最も効果的にタスクを成就させられるように、メンタルと発想、そして物理的な具体的アクションを「解放」するようにリードしていくのである。

■ポジション無しのサッカーが理想・・

ちょっと蛇足だけれど・・

このコラムで扱ったテーマについては、20年前に世に問うた拙著「闘うサッカー理論」(三交社刊)で扱った。

そこでは、「フリーランニング」や「クリエイティブな無駄走り」という表現(戦術的な発想!)も含め、「ポジション無しのサッカーが理想・・」などといった、私の基本的なサッカー概念を表明した。

・・選手ひとりひとりが、攻撃と守備の目的を自覚し、「今やらなければならないこと」を瞬時に判断できれば、また、ゲームの全体的な状況を常に的確に把握 し、自分がその時点で入らなければならないポジションへすばやく移動し、効果的にプレーできれば、ゴールキーパーを除いて、チーム内でポジション(基本的 なプレーゾーン)を決める必要などなくなるに違いない・・

・・ゲームの流れのなかで、たまたま後ろにいた選手がリベロをやればいいし、味方の攻撃のときに、たまたまトップにいる選手がストライカーになればいい・・

・・また、マラドーナのように、相手チームでもっとも警戒しなければいけない選手には、その時点でいちばん近くにいる選手がタイトにマンマークすればいいし、味方の攻撃に「出遅れた者」が、相手のカウンター攻撃にそなえてディフェンスラインに残ればいい・・

とはいっても、そんな発想は、あくまでも理想であり、実際には、いろいろな特徴のある能力をそなえた相手がいるし、それぞれの選手の能力(技術、運動能力、状況判断能力、セルフモティベーション能力等など)や体格などにも特徴があり限界がある。

世界の一流国でも、スーパーレベルのオールラウンドプレーヤーばかりを集めたチームなどはない。だから、プレーヤー各自の「基本的な役割」や「基本的なポジション(プレーゾーン)」などを決める。それがシステムと呼ばれているわけだ。

それでも、チームのレベルが上がるに従って、基本的な守備ブロック以外、それぞれの役割に対する「取り決め」が減少していくのが自然だ。

私がコーチをしていた当時の読売サッカークラブでも、監督のルディー・グーテンドルフと話し合うなかで、ジョージ・与那城、ラモス瑠偉、戸塚哲也、大友正 人、川勝良一といった才能あるプレイヤーで構成されていた攻撃陣については、動き方などを「細かく」取り決めるような愚を犯すことだけは避けた。

例えば・・

・・戸塚哲也は、基本的にはいちばん前でプレーする」ということ以外、あまり細かな指示はしなくなった・・もちろん、サイドバックの都並敏史や松木安太郎はどんどんオーバーラップしてくるし、ラモス瑠偉は攻撃だけではなく守備でも縦横無尽に動き回る・・

全員攻撃、全員守備のサッカーをめざそう・・

そういわれて久しいが、言葉を換えるならば、それこそ「ポジション無しのサッカー」に近づくということではないか。

基本的なポジションや役割の取り決めがまったくないサッカーは無理としても、たまにはディフェンスラインとオフェンスラインが入れ替わってしまう、それでも全体のバランス(ゾーン的、人数的)が崩れることはない・・

そんな創造的&想像的なサッカーができるようになれば、そのチームが理想のサッカーへ近づいていることは確かだと思うのだ。

■ということで、システム・・

とにかく、数字を羅列したフォーメーションという「カタチだけ」をもって、戦術的なプロセスや結果を語るのは止めにして欲しい。

・・「4-4-2」だったから、うまくいった・・この試合では、「4-2-3-1」で臨むべきだった・・はたまた、中盤をフラットにしたから・・ダイヤモンド型にしたから・・等など・・

そうではなく、局面における、個人やグループとしての(コンビネーション的な)判断とプレー内容が、戦術的なプロセスや結果に影響を与えた可能性の方を考えるべきなのだ。

もちろん・・

・・フォーバックだったから・・スリーバックだったから・・守備的ハーフを二人にしたから・・アンカーを置いたから・・はたまた、ワントップだったから・・等など・・それらは、戦術的なプロセスや結果を語る際の、重要な根拠になり得る。

もっと言えば・・

攻守にわたる戦術的なプロセスや結果を、正しく評価しようとするときには、個人の集中力や勇気、グループとしての「イメージ・シェアの内実」、チーム全体がシェアすべき戦術的な目標イメージの内実・・等などといった大きな影響ファクターをピックアップすべきなのだ。

繰り返すが・・

世界でも日本でも、システムと呼ばれる数字の羅列フォーメーションが受けもつべき「もっとも効果的な役割」について、より深く理解されるようになってはいる。

ただ、ユースサッカーの現場では、まだまだ、「トライアングルを作れ〜っ!」とか、「4-2-3-1のシステムを崩すな〜っ!!」などといった、ワケの分からないことを叫んでいるコーチに出くわすことがあるのだ。

そう、だからこそサッカー協会は、そのシステムと呼ばれるモノの、本質的な「理解の仕方と使い方」について、分かりやすく明快な「指針」を示すべきなのだと思うのである。

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「The Core Column」の全リストは、「こちら」です。

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 重ねて、東北地方太平洋沖地震によって亡くなられた方々のご冥福を祈ると同時に、被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。 この件については「このコラム」も参照して下さい。

 追伸:わたしは”Football saves Japan”の宣言に賛同します(写真は、宇都宮徹壱さんの作品です)。

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 ところで、湯浅健二の新刊。三年ぶりに上梓した自信作です。いままで書いた戦術本の集大成ってな位置づけですかね。

 タイトルは『サッ カー戦術の仕組み』。出版は池田書店。この新刊については「こちら」をご参照ください。また、スポーツジャーナリストの二宮清純さんが、2010年5月26日付け日経新聞の夕刊 で、とても素敵な書評を載せてくれました。それは「こちら」です。また、日経の「五月の書評ランキング」でも第二位にランクされました。

 





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