My Biography


My Biography(39)_ウリの逃避行(その4)・・(2014年5月28日、水曜日)

■西ベルリン逃亡に成功して・・

「ウーテは、ローだけじゃなく、セカンドでも目一杯アクセルを踏み込んでいたんだ・・」

「そのとき思ったよ・・一体どうなっちゃんだろう・・バレたから、クルマをスタートして逃げ出したんだろうか・・もしそうだとしたら、機銃掃射を浴びちゃうんじゃないか・・」

ウリは、もしトランクルームに弾が当たったら一巻の終わりだからと、自然に、身体を抱え込むようになったと言っていたっけ。

この急激な加速だけれど、実は、検問を無事に通過したウーテが、あり得ないほど強烈な緊張感から解放されたことで、西ベルリン領内に入った瞬間に、アクセルを目一杯踏み込んでしまったということらしい。

「ウーテの、そのときの気持ちは、痛いほどよく分かる・・まあ、後から思い返してみればのハナシだけれどサ・・」

「とにかく、事情が分からないこっちは完全にパニクっていたんだよ・・だらしないけれどサ・・でも、爆走するクルマに揺られなが、数秒後には、もしかしたら逃げ切ったのかもしれないなんて、ちょっと安心感の方が強くなっていったんだ・・」

「外で、銃を撃つ音なんて聞こえなかったし、これだけフルスピードで走ったんだから、少なくとも西ベルリン領には入ったはずだからな・・でも、何でフルスピードなんだ?・・そんなことを考えていたとき、クルマが急ブレーキで止まった・・」

「トランクルームが開けられたときの緊張ったらなかった・・まさに手に脂汗がじっとりって感じだったんだよ・・もし東側の警備兵だったら、飛びかかってやろうと身構えたものさ・・」

「でも、顔を出したのはウーテだった・・それではじめて、逃亡が成功したことを実感したんだ・・そのときは、まあ月並みな表現だけれど、言葉には表せないほどの興奮に包まれていたってところかな・・ウーテも、目に涙を浮かべていたっけ・・」

「彼女は、トランクを開けたあと、その場にヘナヘナって座りこんじゃった・・そのときなんだよ・・そんな感動を味わっていたとき、西側にしかない『Aral』っていうガソリンスタンドの看板が目に飛び込んできたんだ・・」

「東側でも、西のテレビ番組を見ることができるんだ・・もちろん当局のヤツらに見つかったら大変なコトになってしまうけれど、それでもたくさんの人たち が、西のテレビを見ているんだ・・だから、西の生活シーンについては、ある程度は知っていたというわけさ・・あの、『Aral』っていうガソリンスタンド も含めてネ・・」

「とにかく、その看板を、アナがあくほど見つめていたことを思い出すよ・・あ〜、いまオレは西にいるんだってネ・・」

■さて、どうしようか・・

その後、疲れ切ったウーテは、ウリと強くハグした後、ベルリンのホテルに向かった。

ウリは、西側への逃亡に成功したのだから、ウーテとヨアヒムには、これから何度でも会える・・と、ウーテに別れを告げた。

「もちろん心から感謝していたサ・・でもウーテは、オレが何か言おうとしたら、すぐにオレの口を手で塞いだんだよ・・いまは何も言う必要がないってこと さ・・そして彼女が言うんだ・・言葉なんかより、オレの表情の方が信用できる・・それがすべてを物語っているってね・・彼女は、たまに、とても詩的な表現 をするんだ・・政治家はリアリストでなければならないけれど、同時に、ロマンチストでもあるべきだっちゅうことだな・・」

ウリが、ウーテのパーソナリティーを、そんな風に表現した。私も、その感動的なシーンを感覚的に共有していたこともあって、その言葉は、今でも鮮明に思い出す。

ところで、一人になったウリ。さて、どうしようか・・。

その後ウリは、逃亡が成功したことの「実感の輪郭」を確かなものにしようと、西ベルリンの街中をさまよった。

帝国議会議事堂(いまは統一ドイツの連邦議会になっている)からベルリン動物園、もちろん、ベルリンで一番賑やかなクア・フュルステン・ダム通りを、何度も行き来した。

「想像はしていたし、テレビで何度も見ていたから驚きはなかったけれど、やっぱり最初は興奮したよな・・でも時間が経つにしたがって、逆に気が滅入りはじ めたんだ・・これからのことを考えはじめたっていうか、急に東側に残してきた家族のことが心配になってきたっていうか・・とにかく、様々な思いがアタマを 駆けめぐりはじめたんだよ・・」

ウリには、逃亡者が、次になにをするべきか、正確に分かっていた。東ドイツにいたときから、逃亡者に関する様々な情報が乱れ飛んでいたのだ。

■確かめる手段のない情報ほど怖いモノはない・・そして自由・・

西ドイツへの逃亡に関する情報は、様々なルートで社会全体に還流していた。東ドイツの人々が、西ドイツの生活や内情を、しっかりと把握できていたということだ。

もちろん、意識が高い人々に限ったことではあるけれど・・。

「そうなんだよ・・情報は十分にあったんだ・・でも、その意味まで正確に理解している人・・いや、理解したい人と言った方が正確なんだけれど、そんな人た ちは、そんなに多くはなかった・・そういえば、まだオレがドレスデンの大学にいたとき、学食で、こんなことがあったんだ・・」

ウリが、東ドイツ、ドレスデン工科大学の学生食堂で、そこで働く女性従業員の口から、ビックリするような言葉を聞いたことを話してくれた。

「その学食で、一人の学生が西側へ逃亡したことがウワサになっていたんだ・・それを聞いた、その学食のオバサンが、こんなことを言ったんだよ・・どうして、バナナが食べられるっていうだけで逃げ出すのかネ〜・・私にゃ、理解できないよ・・」

「その言葉を聞いたとき、鳥肌が立ったよ・・彼女は、独裁政権のプロパガンダを鵜呑みにしていたんだ・・ホントに怖い社会だ・・とにかく、何としても逃げ出さなきゃって思ったよ・・」

「オレ達は、独裁者が言うコトなんて、これっぽっちも信用していなかったけれど、他に確かめる手段がない人々にとっては、それが、自分の生き方を決める唯 一の手段なんだ・・彼らにとっては、それが正しいかどうかなんてことは、あまり意味はなかったのさ・・そんな人たちにとっちゃ、仕事と家族をもって安定し た生活をすることの方が大事だったんだ・・」

「でもオレ達は違う・・少なくとも、自由であることは素晴らしいに違いないって思えるだけのバックボーンがあったからな・・オレ達は、独裁者たちが、オレ達から自由を奪っているって思っていたんだよ・・」

「あっと・・それでも、オレ達にだって自由はあったよ・・一つだけネ・・それは、恋愛とセックスさ・・だから、東側の若者たちは、まさにフリーセックスってな感じで、自由を謳歌していたんだ・・その意味じゃ、西側は、とても不自由だよな・・あははっ・・」

話し方はリラックスしているけれど、内容は、とても、とてもシリアスだった。セックスしか自由がないなんて・・。私には、実感を伴ったカタチで理解することはできなかった。

■ブランデンブルク門という刺激・・

気が滅入りはじめたウリは、最後に、東西ベルリン分断の象徴でもあった、ブランデンブルク門へ行くことにした。

そこは、「まだ」東ドイツ領だ。

「そうさ・・だから、門までは行けなかったけれど、そこを遠くから眺められるように、高いステージが設けられていたんだ・・そこに登って、ブランデンブル ク門を眺めていたよ・・そのとき、横に、アメリカ人の観光客が寄ってきて、オレに望遠鏡をすすめたんだよ・・あまり気乗りしなかったけれど、結局は、サン キューと言って望遠鏡を借りたんだ・・」

そこでウリが見たのは、東ドイツの境界線警備兵の隊列だった。それを見たとき、彼は、自分が西ベルリンにいることを、はじめて(!)しっかりと体感した。

「そう・・そのときほど、自分が西ベルリンにいることを実感した瞬間はなかった・・もちろん、オレの横に、アメリカ人観光客がいたことも、その実感を強めてくれはしたよな・・でも、まあ、東側にも、西からの観光客はいるわけだし・・」

東ドイツ政府は、西側からの観光客を受け容れていた。私も、何度か、ウリの家族を訪ねて東ドイツを訪れたことがあった。

そのときのことは、次のエピソードで書くことにする。

「とにかく、ブランデンブルク門まで来たことで、もう後戻りできないことを実感したんだ・・これから、オレの家族に何があろうと、こちらは何もできない し、そのことで起きる全てを、人生の最後まで背負っていかなければならないって実感したんだ・・そして覚悟が決まった・・」

ウリの家族に何があったかについても、次のストーリーで書くことにする。またそこでは、ウリ以外の逃亡者のドラマなんかも紹介しましょう。

■あ、あそこに警察官がいる・・

再び、繁華街のクア・フュルステン・ダムへ戻ったウリは、ゆっくりと歩きながら考えをまとめようとしていた。

・・これから西側のドイツ人として認知してもらうことには問題ない・・それについては、多くの情報があるから心配しなくてもいい・・でも、その後は!?・・大学は?・・授業料や生活費は?・・まあ、そんなところまで考えるなんて、オレらしくないよな・・等など・・

そのとき、目の前に、見慣れないユニフォーム姿が目に入った。

「そうなんだよ・・東側の警察とはユニフォームが違うから、ちょっと考えなければならなかったんだよ・・間の抜けたハナシだけれど、それが警察官で、まず オレがアクセスしなければならない存在だと理解できるまでに、ちょっと時間が必要だったんだ・・何せ、東の警察官は、オレ達の敵だったわけだからな・・で も、そのときは天使のような存在だ・・そのギャップに戸惑ったということなんだろうナ〜・・」

そしてウリは、その西ベルリンの警察官に近づき、恐る恐る話し掛けた。

「私、いま、東ドイツから逃げ出してきたところなんですが、逃亡者の申請をするためには、何をしなければいけないですか?」

はじめその警官は、「冗談につきあっているヒマはないんだよ」と、相手にしようとしなかったけれど、ウリが東ドイツの個人登録証を見せると、態度がガラリと変わった。

「エッ!?・・逃亡者!?・・ホントだったのか〜!?・・いったい何時?・・どうやって逃げ出してきたんだい?・・エッ!?・・車のトランク〜ッ!?・・ そりゃ、大変だったね・・それじゃ、とにかくまず本署へ連絡して迎えを出してもらおう・・」等など、今度は親切に、とりあえず逃亡者を収容する施設へ連れ ていってくれることになった。

もちろんパトカーは、すぐに来た。

■家族への迫害・・

その西ベルリンの施設で数日を過ごした後、空路、ミュンヘンの中央施設へ移送され、数週間をかけて様々な調査が行われた。そして、晴れて西ドイツのパスポートが発行されることになる。

ただ、その収容施設にも東ドイツのスパイが何人もいた。だから、ウリが逃亡したことは、その日のうちに東ドイツの秘密警察に報告されたに違いなかった。

ウリは、そのスパイ網についても情報を持っていたから、驚くことじゃなかったけれど、やっぱり家族が心配だった。

そして実際に・・

(つづく)

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これまでの「My Biography」については、「こちら」を見てください。

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 重ねて、東北地方太平洋沖地震によって亡くなられた方々のご冥福を祈ると同時に、被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。 この件については「このコラム」も参照して下さい。

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