My Biography


My Biography(32)_日常生活(その2)・・(2014年4月9日、水曜日)

■「群れる」ことは苦手だった・・

前回ストーリーの最後で、「自分なりの(気持ちよく、前向きな!?)日常を、積極的に作りあげていかなきゃダメだ・・」なんていう決意を書いた。

もちろん、誰も助けてくれないから自分一人でやるわけだけれど、そこで、大切なコトを再認識するんだよ。

そう、それこそが、海外留学で積み重ねていくべき実のある体感じゃないか・・ってね。

前にも書いたけれど、私は、日本にいたときから、人と「群れる」ことはほとんどなかった。

サッカー関係でも、陸送のアルバイト関係でも、オートバイのツーリングにしても。また、大学同期の仲間うちや、卒業論文のために所属していた流体力学研究室の関係でも。

まあ、「つき合いの悪いヤツ」だったワケだけれど、とにかく、ほとんどのコトを、自分一人で切り拓いたり、解決したりしていたんだ。

もちろん、自分ではどうしようもないコトに遭遇したとき、その解決のために誰かに助けを請う(その決断をする!)ことも含めてネ。

あっと・・当たり前のことか・・スミマセン・・。

とはいってもサ、ケルンで生活をはじめた最初のころは、人(日本語)恋しさで、日本人が多く住む学生寮に寄ったりしたこともあったよね。

でも、そんな行動は、すぐに、「しっくりこない」と感じられるようになったんだ。そして、「ドイツ」に慣れていくにしたがって、自然と、単独行動へ「回帰」していったというわけだ。

■もちろん、「とても近い」友人はいたよ・・

日本にいたときから、「群れる」ことなく、単独行動がほとんどだったと書いた。

とはいっても、常に「まったく一人だった」というわけではない。そこには、いつも、気心の知れた「とても近い友人」はいたんだ。

そう、気持ちよく、前向きな時間を過ごすことができる、とても近い友人。でも、多くはない。

いま現在でも、本当の友人と呼べるのは、湘南高校の同期だった一人や、ドイツ留学中に知り合った数人程度じゃないだろうか。

その高校からの友人だけれど、彼とは、在学時代から、とてもウマが合った。

「My Biography」シリーズで(最初のころのストーリーで!)登場した、鎌倉のドイツレストラン「Sea Castle」オーナー、カーラ・ライフを、ケルン総合大学の入学手続きで困り果てた末に訪ねたのも、実は、その彼の助言があったからだった。

もちろん、心の底(本音のメカニズム!?)までは見通せないけれど、まあ、様々な妥協の上に成り立っている友人・知人関係のなかでは、限りなく、本音に近 いところで(理性的に何かを隠したり耐える必要がない自然に近いレベルで!)人間的な交流ができていたと思う(もちろん今でも・・)。

価値観や感性的に、深く通じるモノがあったということなんだろうね。

いま彼は、医学関係の優秀な研究者として活躍している。

そのことは、素直に、心の底から誇りに感じている。まあ彼は、私にとって、ファミリーの一員という感覚なんだろうね。もちろん彼のファミリーとも、とても良い関係だ。

無償の愛!? それは、チト大袈裟なんだろうけれど・・。

他の人の成功や幸せを、自分のことのように、心の底から喜び、祝福できる。そんな友人を持てたことは、自分の人生にとって、本当に、とても重要な出来事だったと思うんだよ。

もう一つ。

いまでも、その彼と「自然」なつき合いがつづいている背景には、お互いに思い出したくもない若い頃の恥部(若気の過ち!?)を共有しているっちゅう側面もあると思う。

当時のオレ達は、まさに「素っ裸」だった。だから、今更、社会との関係性メカニズムのなかで「着飾る」ようなコトをしても仕方ないというわけだ。

そのことを互いに承知し合っているからこそ、彼とは、いまでも、とても「安心」して本音の(それに限りなく近い!?)コミュニケーションが取れていると思うのだ。

また、ドイツの友人たち、ウルリッヒ・ノイシェーファー(ウリ)やクリストフ(ダウム)とも、同じような次元の関係なんだと思う。何せ、「当時」は、お互いに「素っ裸」だったわけだから・・。

■自分で「日常」を切り拓いていくこと・・

あっと・・。気持ちよく、前向きな日常を、自分一人で作りあげていくというテーマだった。

いま書いているストーリーは、ケルンに到着して一ヶ月も経たない頃のハナシ。

そのときはまだ、サッカークラブに所属しようとする(入会に向けてチャレンジしていく)心の余裕は十分に備わっていなかった。だから、たまに、キャンパスのなかをランニングしたり、そこの空き地でやられている「草サッカー」に混ぜてもらったりしていたんだ。

キャンパスには、至るところに芝が敷きつめられている。そんな環境だから、自然と身体を動かしたくなるのも道理じゃないか。

この草サッカーが楽しいんだよ。好きなヤツらが数人あつまったら、すぐに草サッカーがはじまる。ゴールは、バッグや靴を置きゃいい。

当時は、まだ、そんな草サッカーが、至るところでやられていたんだ。

ストリートサッカーなんて言い方もするけれど、実は、そんなストリート(草)サッカーが、ユース選手たちを発展させる大きなチカラになっていたという事実は、あまり知られていない。

残念ながら、時代の流れとともに、このユース選手たちのストリート(草)サッカーは、ほぼ消えかけている。まあ、このことについても、別の機会に書くけれど・・。

あっと・・、私の、草サッカーキャリアのハナシだった。

そう、草サッカー。繰り返しになるけれど、まずそれが、限りなく自主的なアクティビティーだという事実を強調しなきゃいけない。

何せそこでは、自分たちでルールを決め、ファウルなんかも、自分たち主体でコントロールしなければならないわけだから・・。

クラブでのトレーニングにはコーチがいる。だから、様々な制約や規律がある。

でも、ストリート(草)サッカーは違う。そこに参加する誰もが、自分たちが主体になって、心からサッカーを楽しもうとするんだ。

もちろん心から楽しむためには、誰もが、守備や攻撃での「汗かきハードワーク」にも精を出さなきゃいけない。それがなければ、相手に主導権を握られて負けてしまうし、楽しくない。

だから、「それ」をやらないヤツは、仲間はずれにされちゃうという「暗黙のメカニズム」が、そこにはあるんだ。そんな「暗黙メカニズム」のなかで(周りに認められるような)自立したプレーをすることもまた、異文化を本当の意味で「知る」という貴重な学習機会だったのだよ。

あっと、ストリート(草)サッカー・・。

サッカーでは、イレギュラーするボールを、それも足をつかってコントロールしなければいけない。だからミスも多い。ということで、すぐに状況が大きく変化してしまうのも道理なのだ。

選手たちは、そんな「不確実」な状況のなかで、自分自身で考え、勇気をもって決断し、行動していかなければ、良いサッカーを楽しむコトなんて、望むべくもないんだよ。

だからこそ、限りなく自主的にプレーせざるを得ないストリート(草)サッカーが、特に(まだ自分勝手な!?)ユース選手たちにとって、素晴らしく効果的な「学習機会」になるというわけだ。

あっと、またまた・・。

サッカーのハナシになったら、どうしてもリキが入っちゃう。

とにかく、自分なりの日常を作りあげていくなかで、この草サッカーが、「裸のつき合い」という意味でも、とても大切な意味をもっていたということが言いたかった。

この草サッカーについては、また別の機会に書くことにしま〜す。

■買い物・・

そして、毎日の買い物。最初のころは、とても苦労したっけ。

まあ、食品については、スーパーマーケットですべて揃えられるから簡単だ。それに、ランチや夕食は、メンザ(学生食堂)にお世話になるから、朝食や夜食、メンザが締まるウイークエンドの食事のことだけ考えておけばいい。

問題なのは、その他の日用品や家具、また文房具などで、特定のモノが欲しいときだ。

特に、探しているモノが見つからず、仕方なく店のスタッフに聞かなければならないときは、いつも苦労させられた。何せ、店のスタッフが、私のドイツ語を、 うまく理解できなかったり、私が、自分の欲しいモノをうまく表現できなかったりすることの繰り返しだったわけだから。フ〜〜・・。

あっと・・。

食品は簡単だと書いたけれど、そこでも、広いスーパーマーケットの中で、欲しいモノがどこに置いてあるのかを聞かなければならないときとか、チーズやハム、ソーセージなどを注文するときは大変だったっけ。

はじめからパッケージされているチーズやハムもあるけれど、やっぱり、自分の欲しいモノを、陳列カウンターで、種類や量を指定して包んでもらう方がいいに決まっている。

でも、その注文が難しい。

「申し訳ないけれど、アナタがどのハムを欲しいのか、よく分かりません・・」

たぶん彼女は、そんなことを言ったはずだ。そう、ある種類のハムが欲しかったのだけれど、そのハムの名前をうまく発音できなかったんだよ。

「ゲコッホテス・シンケン(茹でたハム)」とか、「ツヴィーベル・メット・ヴルスト(タマネギと挽肉を混ぜたタルタルステーキ風!?)」とか、ドイツには何十種類ものハムやベーコン、また腸詰め(ソーセージ)がある。

またチーズに至っては、百種類以上ってな具合だ。

そんな膨大な種類なんて覚えきれないし、名前を知っていても、うまく発音できない。

最後は、もちろん指を使って(ジェスチャーで)伝えようとするけれど、陳列ケースが大きいときなんかは、意思疎通がうまくいかないケースも多いんだよ。

そんなだから、自分が欲しい種類とは違うハムやチーズを「掴まされる」なんてコトもあった。

そう、店のスタッフの無愛想な態度や、他の客の目を気にして(ホントに、周りからのイライラ・オーラを感じていた!?)、自分が欲しいモノを諦めるという体たらく。

そんな経験は、もう数え上げたらキリがない・・。

何度、「アナタが何を買いたいのか、よく分かりません・・」なんていう突き放した言葉を投げかけられたことか。

また、なかには、あからさまに迷惑そうな顔で無視する店のスタッフもいたよね。

「まったく〜・・アナタの言っていることがよく分からない・・こっちは忙しいのに・・じゃ、次の方どうぞっ!」ってなことも経験したことがあった。

そして、欲しかったものと別のハムやチーズを掴まされては落ち込む。フ〜〜・・。

■それは、ニュートラルな感性を身につけるための貴重な学習機会・・

でも逆に、そんな経験が、とても効果的な心理トレーニングになったとも思う。

それを積み重ねていくうちに、ドイツとの「文化的な(感覚的な!?)距離」も、どんどん縮まっていったと思うんだよ。

要は、日本の感覚では、とても無神経で不親切な(優しくない!?)態度であったとしても、慣れていくにしたがって、自然と受け容れられるようになった(気にしなくても済むようになった!?)ということなんだろうね。

そして、ここが大事なポイントなんだけれど、そんな経験をしながらも、自分自身の言動だけは、「ドイツ化」させず、あくまでも「日本的な態度」を強く意識するようにしていたんだ。

私は、感覚的に、それが正しいと思っていたし、何よりも、自分には、ドイツ的な(ロジカルで合目的的に過ぎる!?)言動はできなかったんだよ。

そして、時を追うごとに、その、日本的な態度(マインド!?)を貫くことには、人間関係にとっての普遍的な正当性(価値)があると確信をもてるようになっていったんだ。

あっと・・。

最後に、確認しておかなければならないことがあった。

もちろんドイツにも、日本的な(!?)謙虚で誠実、思いやりが深いパーソナリティーも多いんだよ。でも、割合的には、日本ほどじゃない・・ってことです。

そしてもう一つ。

ドイツで生活するなかで、様々な事象を、十把一絡げ(じっぱひとからげ)で捉えるのは次元が低いことだと認識できようになったことも強調しておきたいね。

以前はサ、前述したような無神経で不親切な扱いをされたら、「ホントにドイツ人は・・!」なんて思ったし、口に出してもいたんだよ。

でも時間が経つにつれて、そんな(狭い範囲での!?)ネガティブな経験だけをベースに「全て」を判断したり語ったりしちゃいけないことを、繰り返し体感させられたんだ。

要は、全ての事象に対する考え方、捉え方は、決して「一面的」であってはいけない・・と、体感していったということなんだろうね。

そう、それらは、全てが「相対的」なモノなんだと思うのだ。

そんな経験を積んでいくことで、「日本」というテーマについても、固定観念で捉えるのではなく、冷静に、そして中立的に(俯瞰して!?)考えられるようにもなった。

逆に、だからこそ、本当の意味での「日本の良さ」も、しっかりと認識できるようになったと思うんだよ。

あっと・・またまた脱線。そうだ、日常生活についてだった。

でもサ、そんな感性的、情緒的な経験こそが、「日常」と呼ばれているモノの本質的な構成ファクターなんだとも思うわけだ。

スミマセン、分かりにくい(!?)ハナシが多くなってしまって・・

(つづく)

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これまでの「My Biography」については、「こちら」を見てください。

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 重ねて、東北地方太平洋沖地震によって亡くなられた方々のご冥福を祈ると同時に、被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。 この件については「このコラム」も参照して下さい。

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